第15話 憑依と出会い

 夕飯も終わり入浴も済ませた。今は杏介が入浴している。一応会社の寮という名目の宿泊機関らしいが、『卍』の基地同等に設備が整っているらしかった。やはりそれだけの資金もあるのだろう。

 アキラからも聞いていたが、この鉱山は『卍』との取引だけでなくあらゆる宝飾業と強く関わっており、そのシェア率は『新』日本内では一位か二位かを争うとの事だ。確かにそんな場所を、『neo-J』が放置するわけなどない。


「……マオくん?」


 通路にある窓の向こう側。夜も深いが月明かりが彼を照らしていた。恐らく敷地ではあるのだろうが、鉱山の外だ。何をやっているのだろう。

 恐らく杏介はまだ風呂から上がらない。特にやることもないし、かと言って先に寝るのも憚られる。


「行くか」


 職員に「外の空気を吸いたい」と告げ、扉を開けてもらった。礼を言い外に出て、恐らくマオの居る方向へと向かう。夏の始まりの夜独特の、じっとりした蒸し暑さが辛い。

 マオの姿が見えた。金網の向こうだ。看板にはアルファベットで何やら書かれている。ひとまず、「ヒラリ」と書かれているのは分かるものの他が一切解読出来ない。英語でもないので、恐らくフランス語だ。

 しかし、一つだけ分かる。マオを取り囲むようにして点在している、石の塊たち。それはすべて、十字の形をしていた。

 恐らく……墓地だ。

 どうやらマオはまだこちらに気付いていないらしい。ひとまず、息を殺した。彼は総吾郎に背を向けて屈むと、背中から何かを引きずり出した。


「ご本尊さま、ご本尊さま」


 マオの声が聞こえる。銀色の鞭のような、長く太い紐のようなものがずるずるとマオの背中から引きずり出される。アキラの蔦のように、体内から出しているかに見えるが服の中なので詳しくは分からない。しかし、その形がようやくはっきり見えてきた。

 鎖だ。一つ一つ同じ形の銀色の物体がひも状に連ねられている。長さは全て合わせて10メートルはあるだろう。問題はその物体の形だった。


「あれは……」


 ここに来る前に、マオに投擲されたナイフ。すべてが、同じ形だった。よく見るとナイフの端と端に、紐が取り付けられている。それですべて連なっているのだろう。まさか鎖の元だったとは、あの時思いもしなかった。


「ご本尊さま、ご本尊さま」


 彼の呟きは止まらない。か弱い、しかししっかりと芯のある声。その声に呼応するように、鎖が揺れ動きだした。蛇のように蠢いているのが見える。まるで、意思があるかのように。


「どうかこの地をお守りください」


 鎖の端が、まるで蛇が頭をもたげるように浮き上がる。


「その為ならば、いくらでも捧げ物を致します」


 そのまま、地中へ……十字の墓石の根元すぐ傍の地中へと、潜り込んだ。


「ご本尊さま、ご本尊さま」


 鎖はどんどん地中へと沈んでいく。マオの声も、より震えだす。しかし昼間見ていたマオの雰囲気とは、かなり一変している。まるで別人だ。

 急に、アキラの言葉を思い出す。


『一つだけ注意しておいてほしいの。この場所は鉱山が設置される前は元々……』


 ずるり、と鎖が引き上げられた。土と共に、黒い液状の何かが混ざっている。その正体は、瞬時には分からなかった。

 鎖は再び、マオの背に潜り込んでいく。やはり、体内に吸収されていっているようだ。全てを飲み込みきると、マオはうなだれた。そのまま、バタリと倒れこむ。


「マオくん!」


 つい、叫んでしまった。びくりと体を浮かすと、マオが怯えたような顔をこちらに向けてくる。


「そ、総吾郎……」

「ごめん、気になって……今のは」


 マオは顔を伏せた。金網の扉が開いているのに気付くと、総吾郎はそのまま中に入り込んだ。マオの傍に駆け寄り、屈む。


「大丈夫? 背中……」

「すまねぇ、心配かけて。でも大丈夫なんだ、本当に」

「いや、あれはどう見ても大丈夫じゃないだろ」


 口を噤む彼を見、総吾郎もまた何も言えなくなる。先に口を開いたのは、マオだった。


「悪い。本当は、話すべきだとは思う。でも……信じてもらえるか。杏介のにいちゃんはあんな感じで、話を避けてたし」

「じゃあ、俺だけにでもいいよ。杏介さんにも言わないようにする」

「……本当に悪い、今日は勘弁してくれ。見てもらわないと分からないものもあるし、でも絶対お前らがいる時には説明するから」


 一瞬迷ったが、頷いた。マオは安心したように笑うと、激しく咳き込んだ。


「大丈夫!?」

「わ、わるっ……げほ、ごほ、いつもこれ、やると……げほっ」

「とりあえず戻ろう、歩ける?」

「だいじょ、ぶっ……」


 肩を貸し、歩き出す。初めて気付いたが、細身で小柄なのにかなり体重を感じる。やはりあの鎖のせいなのだろうか。


「悪い、総吾郎……」

「大丈夫だって。その……友達、だし」


 何と言えばいいのか、分からなかった。だからこそ出てきた単語だが、マオは幸いにも反論してはこなかった。

 マオに入り口のパスワードを入力してもらい、中へと入る。さすがにもう他の職員の姿が見えず、マオの部屋へ向かうことになった。通路を曲がり、総吾郎と杏介の部屋の反対へと歩いていく。最奥の部屋にたどり着き、マオがパスワードで開けた。


「ありがとな、本当に」

「大丈夫だよ」


 マオをベッドに寝かせた。マオは先程に比べると少し顔に生気が戻ってきており、一安心した。そのまま部屋を出ようとしたが、腕を掴まれる。


「マオくん?」

「いや、その……すまん。杏介のにいちゃんも待ってるもんな、行ってくれ」


 力ない、笑み。そこで何となく、気付いた。彼は少し……孤児院の弟や妹達に似ている。親と引き離され、それでも気丈に生きようとしていた彼らと。

 きっとデニスがいなくなって、気を相当張っている。おまけに先程の事もある。それなりに、参っているのかもしれない。


「俺、ここにいるよ」

「い、いいって! さすがにそれは申し訳なさすぎるし」

「俺も、マオくんと色々話したりしたい。マオくんが寝付くまででいいし」


 それを聞き、マオは顔を赤く染め上げる。その顔を隠すように、背を向けてきた。


「悪い、慣れてねぇんだこういうの」

「俺も。特に最近、同い年くらいの男の子と関わってなかったし。でもヒラリの人とかでいるんじゃないの、親戚とか」

「……その話も、あの事含めてするよ」

「分かった」


 その後も当たりさわりの無い話をし、次第にマオの口調にとろみが出てきた。やがてそれが寝息に変わったのを確認すると、既に深夜の0時を回っていた。

 音を立てないように扉を閉め、元来た道を辿る。既に消灯されており、わずかに灯った豆電球の明かりを頼りに進む。部屋にたどり着くと、中はまだ明かりが点いていた。そっと扉を開くと、杏介が丁度電話を切った瞬間だった。


「おう、おかえり」

「た、ただいま戻りました。今の電話……」

「本部からや。定時連絡が長引いたんやけど、ちょっと面倒な事なりそうや。座り」


 椅子を勧められ、大人しく座る。杏介はバッドに座り、手に持ったメモを眺めながら口を開いた。


「『neo-J』の方に動きがあったらしい。『門』が開いて大型の車が出てきて、どうやら向かってる方向がここや」

「あ、マオ君が言ってた交渉の件ですか?」

「おかしいんやそれが。マオの奴、交渉明々後日って言ってたやろ。この計算やと、明日の昼にはここに着くぞ」

「え?」

「つまりや。恐らく、デニス氏おらん事がバレて今の内に畳み掛けに来てる可能性が高い。もしくはほんまに誘拐されてるか。ったく、架根もそうやし『neo-J』もやし、俺の周りは何でこんなに時間を前倒しにするんや」


 それは、かなりまずい。何だかんだデニスの件も手がかりが掴めずのままな上、マオもあの状態だ。そして更に不安材料がある。


「誰が来るか、もう分かってるんですか?」


 その言葉に、杏介は気まずそうに顔を逸らす。それだけで全てを察した。


「……数人おるらしいけどそのうちの一人はコローニア・フェロンドゥって言う38歳男性。俺が知ってる当時のポストはどこかの部署の部長やったけど、多分もっと昇進してるやろなぁ……何せ10年も前の話やし」

「面識は」

「バリバリあるどころか、あっちで相当世話になった。めっちゃ熱血的な人格者でなぁ」

「つまり」

「……よろしくおねしゃす」


 はぁ、と深く溜息。正直予感はしていたが、覚悟までは出来ていなかった。そんな総吾郎に対し慌てたように杏介はまくしたてた。


「い、いや大丈夫やって! 何なら俺変装して同席するし!」

「いやそれならもう杏介さんが出たらいいでしょ」

「声と口調でバレるやん……」


 一先ずシミュレーションを一通りこなし、翌朝に備えて眠ることになった。布団に入り、目を瞑る。どうやら、なかなか前途多難な予感がした。







 目を覚ますと、杏介は未だ眠っていた。かつてアキラに聞いたが、杏介……というより『卍』の平均睡眠時間は三時間足らずらしい。仕事が詰まっているからか、と思ったがそうではなく本人達が自主的に眠らずに研究に没頭しているからだそうだ。『卍』の基地から離れている今、研究しようも無いのでゆっくり眠れているのかもしれない。

 一先ず朝の支度を始め、身なりを整えて部屋を出た。時刻は八時、鉱山の職員も動き始めていた。


「おう、総吾郎」


 ロビーに出ると、マオが居た。昨日の様子は一切見せず、駆け寄ってくる。


「早いな、眠れたか?」

「大丈夫だよ。マオくんは?」

「俺も何とか。……早々悪いが、問題発生だ」

「『neo-J』?」


 マオは一瞬驚いた素振りを見せたが、頷く。一応「『卍』から連絡があった」と補足すると納得がいったようだった。


「さっき連絡があって、昼前には到着するらしい」

「やっぱり、責任者が居ない隙を狙っているのかな」

「かもしれねぇ……クソッ、足元見やがって」


 苛立たしげに足を踏み鳴らすマオに「落ち着いて」と言うと、彼は再び項垂れる。しかしすぐに顔を上げると、強い目で総吾郎を見た。身長が同じくらいなので、目線がしっかりと合う。


「総吾郎……悪い、頼めるか。多分俺も同席はすると思う」

「頑張るよ、いざという時は手助けしてほしい」

「ああ、分かってる。とりあえず作戦会議したい、杏介のにいちゃんは?」

「まだ寝てる、起こそうか」


 一先ず一時間後に集合する約束になり、総吾郎は部屋へと向かった。未だ眠っている杏介を揺り起こすと、彼は状況が分かったのか「すぐ用意する」と眼鏡をかけた。

 二人で応接室へ向かうと、マオが朝食を用意しているところだった。


「おう、座ってくれ。紅茶はミルク入れるか」

「多めで。ありがとさん」


 マオが作ったというチーズケーキと紅茶を見て、「甘党なんだな」と呟く。マオは「頭働かせねぇと」とだけ返すと、杏介と総吾郎の対面に腰掛けた。


「さっき二度目の連絡があった。あと一時間程で到着するらしい。で、昨日杏介のにいちゃんが言ってたように経理顧問を仲介するって言ったら許可はおりたぜ」

「オッケー。あっちは誰が話に出るか言ってたか?」

「電話に出た本人だ。コローニア・フェロンドゥっていう、すげぇ声のでかいおっさんだった」


 杏介の顔が歪む。昨日の話の通りだが、嫌な思い出でもあるのだろうか。

 いや、それより。


「え? 経理顧問って、俺が?」

「実在はするが、そいつは……まあ、この交渉が終わったら話す。昨日の話の中に含まれるし」


 杏介は一瞬眉をひそめたが、敢えて突っ込んではこなかった。ただチーズケーキをフォークで切り口に運んでいる。


「大丈夫だ、外部から呼び寄せたって伝えてるから別にそこまでここの内情に詳しくなくても怪しまれる事は無えよ」

「そういうものかな……第一こんな子どもがって思われそうだ」

「それを言えば俺も跡継ぎである以上、責任者が居ない今は代理扱いだ。気にされる事は無えと思う」


 紅茶を口に含む。少し渋い。


「杏介さん、居てくれますよね」

「おう、念のために変装道具も持ってきとる。これ食ったらすぐ用意するわ」

「すまねえ、二人とも。完全に巻き込んで」


 ふ、と杏介は笑った。どこか諦観しているかのような、気の無い穏やかな笑み。


「仕事やからな。それに、あいつらは敵や。やれる内にやれる事はやっとかんとな」


 最後の一欠けらを口に含むと、杏介は席を立った。手を振って部屋を出て行く。彼の姿を見送って、マオへと視線を戻した。


「……マオくんは、どうしたい?」

「どうって?」

「その、俺は……交渉するわけだろ? ここが『neo-J』に奪われないように。他に、何か望みというか。そういうのってあるのかなって。交渉に入れるのかどうか」


 マオはああ、と首を揺らした。


「特に無えよ。とにかく、ここを守りたい。親分のことも、この鉱山のことも。俺にとって、ここが全部だから」

「……そっか」

「ここは、確かに『新』フランスが『新』日本に贈った鉱山だ。確かに『新』日本の国家機関に委ねるのが道理だとは思う。でも、俺は聞いたんだ」


 唇をかみ締めているのが見える。悲痛さが、空気を伝ってくる。


「……人事を組み替えるって。それも、かなり大々的なテコ入れだ。確かにここは日本だし、言葉も世代はかけたけど日本語に揃えたさ。でも、やっぱりそれでも……ギリギリでも、残しておきたいものはある」

「ヒラリの純血?」


 頷かれる。マオの顔は、どこか泣きそうな色だった。


「親分、俺を養子にする前に『外』の女を娶ろうとした事があって。でも、諦めたんだ。ここの血を守るため。その意義は、俺にも分からねぇよ。愛する女を捨ててまで血の一色性を守る理由なんざ、きっと親分にも分からねえだろうよ。それでも、数十年数百年の単位で守られてきたものを自分の世代で切るってのは……何となくだとしても、怖かったんだと思う」


 純血の価値。それは、あの時値がついた事で確かに総吾郎自身も感じていた。しかし、分からない事がある。その血の価値は、一体どこから生じているのか。ただ混じりけの無いというだけで、それは果たして一体何が……有益なのか。


「親分はそこから、結婚する事も無かった。勿論一族内で嫌程結婚を薦められたが、俺を養子にする事でそれを回避した。分かるか、親分はそうする事で……女に立てた操とヒラリの伝統を守ったんだ」


 ぼとり、と。ついに零れ落ちた。


「……哀れでよ。ヒラリに生まれたってだけで大切なものを捨てさせられて、訳の分からない血の伝統を守らさせられて。俺は、親分の事を馬鹿だと思う。それでも俺は、そこまでした親分をすげえと思うし、そこまでして守ったこの鉱山を……踏みにじらされたくねえんだ」


 ナプキンで拭いてやると、彼はかすかに笑った。

 深く深呼吸すると、マオの瞳は涙を止めた。鼻を軽くすすると、入り口の扉に視線を向けた。その顔はどこかいぶかしげだ。


「どうした?」

「……足音がする、ヒールの。規定でヒールは履かせねえようになってるんだが」


 扉が開いた。そこには、女性にしては長身の……人影。


「お待たせしたわね!!!!」


 声が。明らかに。


「……なんで!?」


 総吾郎の悲鳴のような問いに、杏介は得意げに鼻を鳴らした。


「ふっ……日頃の不摂生のおかげで痩せるだけ痩せたこの体なら、胸部に詰め物をするだけで」

「いやだからって何で女装!? 女装である必要性が一体どこに!?」

「簡単や。スパイの時は男そのままの姿で行ってたからな。つまり異性ならまず疑われる事無いやろて」


 何故そこまで得意げかつ自慢げなのか。やはり普段の仕事のストレスで、この林古杏介という男はどこか歪んでしまっているのだろうか。そう思えて仕方ない。

 マオはと言えば、必死で笑いを堪えている。先程のような泣き顔よりは勿論断然いいが、しかし本当に何故こうなってしまったのか。


「ほれ見てみ、元々髭も薄いしちょっと厚めにファンデ塗るだけでもどうにかなっとるやろ。ウィッグは普段の髪色よりトーン落としてみました」

「もうどうでもいいです……」


 ――『neo-J』来訪まで、あと残り三十分。

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