第5話 暴走と出会い

「……今更だけど、こんな物食わせてていいのかな」


 今日もらった菓子は、マフィンだった。二つを綺麗に平らげた狼は、首を傾げる。しかしどこも体調に異変はなさそうだった。

 潜入を開始して、二週間が経過した。大して成果も得られないまま、毎日のように狼に餌付けしている。狼は狼で、最初こそ遠慮がちだったものの今となっては総吾郎を見かければすぐに寄ってくるようになった。裏口から出てくる彼を、毎晩待っているらしい。


「ていうか、お前は一体何なんだ? 野良狼?」


 狼は口を舌で拭いながら、首を振った。どうも、この狼は人語を確かに理解しているらしい。


「まあ、いいや。でも、飼い主とか心配しないのか? ていうかこんな大きかったら目立ってしょうがないと思うんだけどなあ」


 今度は一瞬迷ったように、首を傾げる。苦笑していると、背後からクラクションが鳴った。驚いて振り返ると、いつもの送迎用ワゴン車があった。ぎょっとして見ていると、助手席の扉が開く。降りてきたのは、アキラだった。


「何やってるの」

「あ、いや、その」


 狼を見やる。すると、狼もアキラを見つめていた。今までの、まるで無防備な様子とは打って変わって空気が張り詰めている。アキラは一瞬眉を寄せると、すぐいいつもの無表情に戻った。


「可愛いじゃない」

「え?」


 狼に近寄ると、手を差し出した。そして、「お手」と囁く。狼は、恐る恐るその大きな左前足を乗せた。


「あら、賢い」

「あ……あの……?」

「次、おかわり」


 左前足をおろし、今度は右前足を乗せる。どうやら、きちんと理解しているらしかった。


「伏せっ」

「あ、アキラさん?」

「三回回ってわん!」

「な、何やってんですか?」


 狼が三回転し、一度軽く吠える。その様子を嬉しそうに見ながら、アキラは手を叩いた。


「すごい、やるわね。次は難しいわよ、バック転」


 すぐさま、狼は後ろへと跳んだ。勿論、空中で回転して。それはもはや、獣の業ではなかった。アキラは笑みを浮かべて、狼へと駆け寄る。そして、その深い毛並みを撫で回した。


「どこで見つけたの? この子」


 それは、総吾郎に言っているらしかった。慌てて、「こないだ寄ってきたんです」と答えると、アキラは深く頷く。


「名残惜しいけれど、行かないと。またね」


 最後に一撫ですると、アキラはいつもの無表情に戻り狼に背を向けた。ワゴン車へと向かう途中で、総吾郎に「話がある」と耳打ちしてくる。ワゴン車に乗り込む彼女のあとを追い、一度だけ振り返った。狼は戸惑っているのか、せわしなく尻尾を振っている。しかし、狼もまたこちらへと背を向けた。

 アキラと並んで後部座席に座ると、ワゴン車が発進した。


「あ、あの。どうしてここに?」


 本来なら、送迎は『卍』の事務員が一人で行うはずだった。アキラは夜道を眺めながら、そっと答える。


「今日は私も『外』で任務があってね。ついでだから、拾ってもらった」

「なるほど……」

「で、田中くん。あの狼だけど」


 はっとした。アキラの表情が、あまりにも険しい。


「あれ、しばらく泳がせてちょうだい」

「どういうことですか?」

「……私の勘が当たればだけど、あなたなかなか大きい手がかり引っ張ってる」


 先程の、楽しそうな彼女は居なかった。ただ、仕事の顔だった。いや、もしかすると……。


「いい? これは大きなチャンス。私も出来る限り、任務をこの近辺のものにするようにする。何かあったら、すぐ連絡。分かった?」

「はい」


 あの、狼の顔が重い浮かぶ。人懐こそうな、否、実際その辺にいるような犬らしい生き物。疑惑が、生まれる。

 正体は、何なのか。







「田中くん、暇?」


 重手の声がした。もう閉店間際で、片付けも終盤に入った頃だった。


「あ、手は空いてます」

「そっか、よかった。ねえ、もうここには慣れた?」


 彼女の問いは、恐らくアルバイトとしての質問だろう。「まあ、だいたいは」と曖昧に返事をすると、彼女はにこりと笑う。


「あのね、ちょっと今余裕あるからパンケーキの焼き方教えてあげる。洗い物だけだったら、さすがに店員として勿体無いから」

「あ、はい。ありがとうございます」


 彼女は、自分の本来の任務を分かっているのだろうか。そう思いながらも、大人しくメモを取り出した。

 重手は材料を選別し、並べ始める。そして揃ったのか、総吾郎を呼んだ。


「あのね、まず小麦粉と米粉を合わせてふるうの。米粉を入れると、食感がまた変わるのよ」


 言われた通り、二種類の粉を合わせてふるう。すると、重手は何かの小瓶の蓋を開けた。そして中身の赤い液体を、一、二滴垂らす。それが気になり、重手を見た。彼女は「これは、今回だけね」と呟く。

 卵やらバターやらを混ぜ込み、言われた通りの火加減で焼き始める。甘い香りが、漂ってきた。


「はい、引っ繰り返して」

「はい」


 フライパンを大きく振り、生地を上へと一回転させる。すると、あの狼のバック転のような回転をして生地はフライパンへと戻った。綺麗な狐色の生地を見て、重手は満足そうに頷く。

 完成したパンケーキは、美味しそうな匂いを放っていた。重手はにこにこしながら、「上出来ね」と呟く。


「次からは厨房にも入ってもらうわ。接客はその次ね」

「え、いいんですか?」

「初めてでこれだけ出来たら大したものよ。これ、持って帰りなさい。あとはやっておくから、もうあがって」


 どこか、違和感を感じるがとりあえず頷く。パンケーキを箱に詰め、挨拶をして更衣室へと向かった。

 着替えて裏口を出ると、辺りを見回す。今日はいつもより早いので、もしかするといないかもしれない。実際、狼の姿は見えなかった。

 アキラの言葉の真意も分からない上、今日の重手もよく分からない。何を考えているのだろう。

 駐車場を見ると、まだワゴン車は来ていなかった。どうすればいいか分からず、とりあえずいつも狼と会う裏口へと戻る。


「あ」


 居た。いつものように、そこに座っている。狼は総吾郎を見つけると、近寄ってきた。しかし、今日はいつもと違ってどこかしょんぼりとしているように見える。尻尾を振る気力もないのか、だらりと垂れ下がっている。少し気になって、駆け寄った。

「だ、大丈夫か?」


 狼はうな垂れたように、頭を下げる。しかし、それだけでは何も分からない。どうすればいいか分からず、とりあえずパンケーキの箱を開けた。


「食うか? 今日のやつ、初めて俺が焼いたんだけど」


 狼は一度力無さげに鳴くと、差し出されたパンケーキをくわえた。そして、ゆっくりと咀嚼する。いつものような勢いがなく、段々心配になってくる。

 突然、狼の目が見開いた。パンケーキを吐き出すと、咳き込みはじめる。


「お、おいっ!」


 狼の咳は、止まらない。やがて、その体が地面へと崩れた。

 先程の、重手の行動を思い出す。あの液体のことが、今になって不安を掻き立ててきた。


「大丈夫か!?」


 狼の体を揺らす。体毛に覆われたその肌は、あまりにも高熱だった。どうすればいいか分からずあたふたしていると、腕を掴まれた。それは、確かな手の平だった。灰色の毛に覆われた、確かな……肉球の存在しない、人間の手の平だ。


「え?」


 狼を見る。その目は、赤く輝いていた。熱に浮かされたように潤み、しかししっかりと総吾郎を見ている。

 刹那。


「、うわっ!」


 右腕の袖が、裂けた。飛ぶ血液の向こう側に、伸びた爪を輝かせる狼の腕が見える。それは、足ではなく確かな腕だった。

 狼が、立ち上がる。二足で、だ。


「……どういう、ことだよ」


 狼はふらつきながら、腕を振るう。速いが、見切れない程ではない。何とか避けると、改めて狼を見た。

 その出で立ちは、もはや毛深い男性だった。赤い目を煌々と輝かせ、その長身をふらつかせている。


「狼人間?」


 一歩、あとずさる。しかし狼は、その間合いを一気に詰めてきた。


「くそっ!」


 背を向けて、駐車場へと走りだす。ワゴン車があった。中から、いつもの運転士が降りてくる。


「どうした!」

「わ、分からないです! 急にっ」


 話している最中に、腕がとんでくる。屈んで避けると、運転士は携帯電話を取り出した。


「俺が架根さんに連絡する、悪いが引き付けておいてくれ!」


 無責任にも聞こえるが、今この状況で逃げ切れないと踏んだのだろう。総吾郎は「はい!」と叫び返すと、ワゴン車から離れた。

 裏口の方へと回り、飛んでくる攻撃をひたすら避ける。

 やはり、さっきの液体のせいなのだろうか。それならば、重手を呼んだ方がいいのだろう。しかし、その考えは打ち砕かれた。


「……嘘だろっ!」


 裏口の扉が、なくなっていた。ふさいでいたのは、「neo-J」と書かれた真っ白な大型トラックだった。どうして、このタイミングで。

 まさか。


「お前、もしかして『neo-J』なのかよ!」


 狼は答えない。どうやら、聞こえていないようだった。ただ、腕を振るってくる。それも避けようとしたが、再び右腕を捕らわれた。血の飛沫が、飛来する。

 アスファルトに転がると、ジーンズからポケットの中身が飛び出した。その内の一つの、小さな巾着を見て思い出す。


『これ、一応お試しのやつ何個か詰めといた。何かあれば、すぐ使えよ』


 杏介が、潜入を始めると聞いて持たせてくれたものだ。どうして、今になって思い出したのだろう。

 狼が、片膝をついた。先程から大きくふら付いていたが、その影響だろうか。とにかく、今しかない。巾着を拾い、指を二本突っ込む。中から適当に一つ摘み出し、確認もせず強く握った。じっとりと、手汗が「種」を包み込む。

 やがて、脳髄に鋭い衝撃が走った。痛みに体が脈打つも、手の平を見ると「種」は消えていた。吸収に成功したらしい。


「よしっ!」


 とは言ったものの、種の正体を確認する前に吸収してしまったことを思い出す。それによく考えると、能力発現の方法も分からない。杏介いわく、「種」それぞれ条件が当てられているとのことだ。何かしないと、分からない。

 再び、腕が飛んできた。それを間一髪見切り、すれすれでかわす。その時、音が聞こえた。何かが、弾けるような。


「そうか、」


 正体が、分かった。しかし、発現の方法が分からない。それでも、何かをしないと始まらないだろう。

 ふらつく狼の背後に急いで回り込む。そして、覚悟を決めてしがみついた。


「っく!」


 バチバチバチッ、といくつもの鋭い音がスパークする。未だ大量にあった狼の体毛が、一気に逆立った。静電気だ。

 狼が、アスファルトに倒れた。どうやら、効いたらしい。青白い稲妻が、可視出来る程に狼の全体へ密集している。総吾郎もまた、狼に重なるようにして倒れた。全身が、麻痺している。これが終わったらちゃんと「種」を勉強しよう、とぼんやりと考えた。

 しかし、体が揺れる。


「っと」


 狼から転げ落ちると、上を見上げた。狼が、立っている。冷や汗が垂れ落ちた。


「マジか……」


 だらだらと涎を垂らし、狼は総吾郎を見下ろしている。そして、その腕を振りかぶってきた。スローモーションの中、ゆっくりと覚悟が決まっていくのが分かる。

 しかし、痛みは来なかった。


「大丈夫?」


 麻痺する鼓膜の中に届いた、声。アキラのものだ。上を見上げると、確かに彼女は居た。


「アキラさん……」

「よかった、すぐに見つかって」


 アキラは、右腕から伸びる蔦を引き抜いた。そして、総吾郎へと駆け寄ってくる。狼は、蔦でぐるぐる巻きにされていた。

 アキラに抱き起こされ、脳が揺れる。麻痺は、マシになっていた。


「これ、あの子ね」


 頷くと、「やっぱり」と呟かれる。そっとアスファルトへ体を下ろされると、アキラはいつもの無表情で耳へと囁き始めた。


「よく聞いて。あの子の正体は後の話。まず、あの子を大人しくさせる。止めは田中くんがさす。ただし、生かして」


 この状態で何を言うか、と言いたかったが彼女は続けた。


「狼人間の弱点は、まだ解明出来ていない。けれど、『旧』世界の文献に、手がかりならある。とりあえずそれでやってみましょう。それで無理ならまたどうにかするけど、厳しいか」

「弱点……?」

「林古くんがくれた雷の種、使ったのね」


 回りにくい呂律の代わりに、頷く。狼の方から、何かが千切れる音がした。


「あれは林古くんの十八番で、多分田中くんの持ってる種の中で一番強いもの。それが効かないなら、それに一度賭ける」

「どうすれば……」

「銀の弾丸」


 千切れる音が、加速する。


「『旧』世界の、様々な国の物語で狼人間は銀に弱いってある」


 まさか、そんなものを信じているのか。しかし彼女は、本気のようだった。そして何より、このままだと泥仕合には代わりないだろう。

 アキラはコートのポケットから、何かを取り出した。それを、総吾郎の手に握らせる。


「この『種』を吸収しておいて。多分そろそろ、蔦が切れる。すぐ戻るから」


 それだけ言うと、アキラは狼のもとへと向かった。とりあえず、渡された「種」を見る。


「……え?」


 それは、珈琲豆だった。恐らくあの時言っていた『ドリフェ』の研究の代物なのだろう。

 アキラの腕から伸びる蔦が再び狼をまとめあげていくのを眺めながら、珈琲豆を強く握り込んだ。少しずつ、麻痺がとれていく。しかし、起き上がることが出来ない。体が、重い。


「もういい?」


 再び、アキラが近付いてきた。吸収が完了したのを確認すると、頷く。しかし、うまくいかない。体全体が、とにかく重い。その様子を見、何かを確認したのかアキラは更に何かを手渡してきた。


「これを持って」


 それは、銀色に輝くフォークだった。受け取ると、軽く握る。しかし、すぐに感触が失せた。驚いて見てみると、ある程度厚かった持ち手がまるで紙のように薄くなっている。軽く、力を込めただけなのに。


「さっきの種は『圧力』の種。それを、より凶器っぽくして。とりあえず粘土みたいにぐにゃぐにゃしていいから、早く」

「は、はい」


 言われた通り、動かしづらい右腕でフォークをこねる。面白いくらい簡単に変形するフォークを、鋭いアイスピックのような形へ成型していく。再び、狼が蔦を裂き始めた。


「来る。急所は外して」


 アキラは両腕から、蔦を生やし始めた。狼は完全に蔦を引きちぎると、まっすぐに駆けてくる。そこに、ふらつきはなかった。的は、はっきりとしている。

 重い腕を振り上げ、変形フォークをダーツのように飛ばした。危うい感触の中で、強い重力能力を浴びたフォークは弾丸のように空を貫く。

 グシュ、と肉を突く音。それは、狼の鎖骨を貫通した。強い咆哮を響かせると、狼はアスファルトへ倒れる。それっきり、動かなかった。その様子を見、アキラは無表情のまま総吾郎を見下ろす。


「……本当に効いたわね」


 やっぱり、彼女にとっても賭けだったらしい。ぴくりとも動かない狼を、伸びっぱなしだった蔦で縛っていく。狼は荒い息のまま、大人しくされるがままになっていた。

 狼から離れると、アキラは未だ動けない総吾郎の元へと屈んだ。そして、蔦を伸ばして来る。


「口を開けて」


 言われるとおり、無理矢理口を開く。全身の筋肉が、重かった。すると、口の中に蔦が入り込んでくる。


「!?」

「大人しくして」


 体内を、鋭い痛みと吐き気が襲う。蔦は体内をあらかたかき回すと、ずるり、と総吾郎から這い出てきた。同時に、体が一気に軽くなる。


「もう動けるでしょ、種引っこ抜いたし」


「そ、そんなこと出来るんですか?」


 確かに、呂律も回るようになっていた。麻痺もない。


「私の能力ならね。自然代謝まで待つのも苦しいでしょう」


 そういえば彼女の体は一体どうなっているのだろう。恐らく「種」によるものなのだろうが、いつも「種」を吸収しているのだろうか。

 アキラは狼を見る。狼はきゅんきゅん鳴きながら、こちらを見ていた。その体は、少しずつ変化していっている。灰色の体毛は、短くなっていた。より、人間へと近付いていっている。


「やっぱりというか何というか……」

「あ、あの、あいつって何なんですか?」

「その話は後。とりあえず、運ぶわよ」


 狼を抱き上げ、アキラは目で総吾郎を呼ぶ。それを追い、ワゴン車へと向かった。

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