第24話:マズいぞ、やめろ

 他に誰もいないバーの店内で。

 床に仰向けに倒れたふわり先生と、覆いかぶさって密着した俺。

 とても柔らかくて、とても温かい先生の身体が、俺の全身に甘い刺激を与える。


 そしてすぐ目の前に、目を閉じてキスを待つふわり先生の顔。

 とても恥ずかしそうな表情があまりに可愛くて、きゅんとした。


 俺の理性が『マズいぞ、やめろ』と言った。

 俺の本能が『可愛いぞ、キスしろ』と囁いた。


 ふわり先生は俺の高校の担任教師だ。

 さすがにキスするのはマズいって頭ではわかってる。

 でも最近とてもふわり先生を可愛く感じるようになっている。


 そんなところにこの密着感。ドキドキが止まらない。


 ──俺……ふわり先生のことが好きだ。


 そんなことに、今更ながらに気づいてしまった。


 自覚してしまうと、もう止まらない。

 先生の唇に引きつけられて、どんどん顔が近づいていく。


 そして──


 唇に少し湿った柔らかな温かみの感触が広がった。

 ふわり先生の身体が、ピクっと震えたのがわかった。

 そして先生の両手が俺の背に周り、きゅっと抱きしめられた。


 ああ、これがキスか。

 とても甘美で。とても幸福で。とても柔らかい。


 けれども相手が担任の先生という事実に、禁断の果実を口にしたような背徳感が背筋を駆け巡る。


 ヤバい。脳が溶けそうだ。

 このままずっと唇を合わせていたい。

 そんな気持ちに支配された。


 先生も俺のキスをずっと受け入れ続けている。

 けれどもここはバーの店内だ。


 いつ新たな客が来るかもしれない。

 バックヤードで休憩をしている真紅姉さんが戻って来るかもしれない。

 だからいつまでもこのままでいられない。


 俺はゆっくりと唇を離し、身体を離し、立ち上がった。

 ふわり先生がゆっくりと目を開ける。


 火照って桃色に染まった頬。

 潤んで惚けたように俺を見つめる瞳。

 色っぽくてめちゃくちゃ可愛い。


 ふわり先生を起こすために、俺は手を伸ばした。

 彼女もゆっくりと手を伸ばし、俺の手のひらを握る。

 優しく引っ張って、ふわり先生の身体を引き上げて起こした。


 立ち上がった先生は、手で服装を整えてから俺を見た。


「ホト君。……遊び……だよね?」

「え?」


 いきなりそんなことを言われるなんて思ってもいなかった。

 先生の表情は決して怒ってる感じじゃない。

 自分で自分に言い聞かせている。そんな感じがした。


「あ、ごめんね。私からキスを誘ったんだから、怒ってるわけじゃないよ。ホト君はこうやってバーで働いてるし、モテモテだし、別に私を好きでキスに応じたわけじゃないってわかってる」

「いや、あの……」

「でもさっきはあんな態勢になって、ついキスして欲しくなっちゃったんだ。ホントごめんね」

「謝らなくていいよ」

「あのねホト君。遊びなら遊びだって、はっきりと言ってもらった方が、私も自覚できるからさ。だからはっきり言ってよ。お願い」


 ふわり先生は真剣な目をしている。

 バーの男に恋をしているのが、良くないことだって思っているに違いない。


 そうだ。ここで『遊びだ』って言えばいいんだ。

 そうすれば、ふわり先生は俺のことを諦めてくれる。

 簡単なことだ。


「ふわりちゃん。さっきのことは遊び……」


 ここまで聞いて、ふわり先生の頬がぴくりと動いて、表情が強張った。


「……じゃなくて、本気で好きになった」

「……え?」


 俺の言葉に先生はフリーズした。


「嘘でしょ?」

「ホント」

「あ、でも……」

「信じられない?」

「うん、ちょっと」

「俺がそんないい加減なヤツだと思う?」


 先生は無言で、俺の心の底を見るかのように俺の目をじっと見つめた。

 そして──


「ううん。ホト君の言うことを信じる」

「そっか。よかった」

「嬉しい」


 つい本当のことを告白してしまった。

 学校では生徒と教師の関係だけど、この店ではバーテンダーと客の関係だ。


 実は俺が生徒だってふわり先生に気づかれなければ、本音を言っても問題はないはずだ……よな?


 俺はそう思い込もうとした。

 ホントは色々と問題もあるのかもしれないけど。


 ただ、普通のカップルのようにつき合えるかどうかはわからないから、そこは慎重に行動する必要がある。


「気持ちだけは伝えたくて、本音を言った。でも今はつき合えない。めっちゃワガママだけど、ごめん」

「ううん、いいよ。『今は』って言ってくれたし、私も無理を言うつもりはない。ちゃんと言ってくれてありがとう」


 ふわり先生は両手で俺の手を握って、ぎゅっと握手してくれた。

 その時扉が開く音がした。俺達は慌てて離れる。


「こんちは~。二人だけど空いてる?」

「あ、いらっしゃいませ。大丈夫ですよ」


 新たなお客さんだ。

 それを見てふわり先生が言った。


「じゃあ私帰るね」

「はい。ありがとうございました」


 先生は支払いを済ませて帰って行った。

 俺は新しいお客さんの接客をする。

 お客さんの気配を察知して、真紅姉さんが奥から店内に戻って来た。


 つい感情に流されて、ふわり先生に本心を告白してしまった。

 これからどんな付き合い方をするのか、ちゃんと考えなきゃいけないな。


 ふわふわした頭の今の俺には、それくらいしか考えられなかった。

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