3.転換点

08


 ──メイが深淵層に落とされてから、二日が経過した。

 穴底生活三日目、現在時刻は朝八時を回ったところ。


「おはよーございます。今日も生きてます。多田良メイです」


〈おはよーさん〉

〈今日も生きてます!〉

〈今日も生きてます!〉

〈今日も生きてます(配信開始の挨拶)〉

〈挨拶が切実すぎるんだよなぁ……〉

〈今日生き〉

〈略すな略すな〉

〈今日生きです〉

〈今日生き!〉

〈今日生き〜〉


 体力回復のためにもとばっちり八時間の睡眠時間を設けているメイは、しかし気だるげな眼差しはいつも通りに配信を開始する。 

 まずは視聴者を介しての情報確認。『パイオニア』は“多田良メイを失った状態での深層攻略は慎重を期さざるを得ず、二次被害の発生を防ぐため救助計画の細部を詰めている段階である”として依然行動には踏み切らず。『ダイバーズギルド』もまた、“所属クランの意向を尊重し協力していく”──つまり自分たちからは動かないとの方針を示したままとのことであった。


〈しかしS級探索者ダイバーをここまで蔑ろにするのやばくねぇ?〉

〈正直ちょっとおかしい〉

〈まあでも片腕無くしてS級としての価値が残ってるかって言うと〉

〈本人の前で言うかそれ?〉

〈いつものダンハブ民〉

〈やっぱギルドが大手クランとずぶずぶで言いなりってウワサはガチなんすかね〉

〈流石に都市伝説……って言いたいところだけど〉

〈現状がねぇ……〉

〈サフラもムジナもだんまりだし〉

〈対探局とかは動かねぇの?〉

〈アレは探索者ダイバーが問題起こしたとき用の鎮圧部隊だぞ〉

〈今回のは一応ダンジョン内遭難?に当たるから管轄外〉

〈居場所も現状も全部リアルタイムで発信中なんですがね〉

 

 こんな状況にあってメイにできることは結局、配信を通して自身の存在をアピールし続けることだけ。未知の領域における人命のかかったエンターテイメントとして、既に視聴者数は平均百万人程度を維持するほどに膨れ上がっており、ダンジョン関連の話題に興味の無い人々にすら“なんか大変な目に遭ってる凄い美少女改め美女”として認知されている。もはや国内では知らぬ人のいないほどの有名人……のだが。


「誰でもどこでも良いから早く助けに来てくれないもんかねぇー……」


〈いやお前が余裕ぶっこいてるからみたいなところもあるぞ〉

〈随分満喫してらっしゃるようじゃないですか〉

〈あんま危機感が伝わってこねぇんだよな……〉


 生来の表情の乏しさとひとまず地上と繋がれているという安心感が相まってか、配信越しに窺えるメイの様子は一見安定しているようであり、それゆえに救助が急がれていないのではという意見もあった。

 胡座をかき困ったなぁと首を傾げるメイ、そこへおもむろに近づいてくる黒い影──マリ。


「お、おはよー」


 この三日間で警戒もかなり緩んできたのか、例えばこうした寝起きらしいタイミングなどには、メイに這い寄りすぐ近くでぽてりとまぁるくなる様子も散見されるようになった。まだ半分眠っているようなものなのか、触手の一本一本も脱力しふやふやと覚束ない様子。メイはそっと右手を伸ばし、不規則に微細動するその一端に触れる。指の先が僅かに当たる程度の接触であれば、マリはもうビクリと震えることも無くなっていた。機嫌が良いときであれば、だが。

 害意が無くむしろ友好ツンデレ的とすらあるとはいえ、相手はモンスター。自分がここまで無警戒に接していることを、メイとて今だ不思議に思わないわけではない。やはり極限状態でどこかおかしくなっている可能性だって否めない。しかしどうしたって、名を付けて呼んだ辺りから、メイにとってその触手はマリという存在になってしまっていた。


〈おうそれやぞそれ〉

〈機嫌が良い時のネコ〉

〈アニマルビデオ感あるよな〉

〈穏やかな顔で撫でるな〉

〈その顔で早く助けては無理あるぞ〉


「えぇー……でもマリ、良くない?」


〈良い〉

〈まあそれは分かる〉

〈俺この配信で触手の可愛さ“理解わか”っちまったわ……〉

〈正直テンペスト号好き〉

〈頑なにテンペスト号呼びするニキ好き〉


「あ、そろそろちゃんと起きそう」


〈分かるんか〉

〈随分詳しいな〉

〈まるで触手博士だ〉

〈触手博士はもうエロの権化なんよ〉

〈真面目に触手の研究してる人たちに謝ろっか?〉

〈ダンハブ民が謝罪なんてできるわけないだろ!〉


 声なき声たちがやいのやいのと言い合う内に、やはり寝ぼけていたらしいマリがぶるりと大きく身を震わせ。やがて意識の覚醒を示すかのように、触手が気持ちしゃっきりとしていく。そうすれば次は、自分がメイのすぐ近くにいて、しかも撫でられていることにも気が付いて。ッ、ぐらいのごく僅かな飛び跳ね具合で、メイの歩幅数歩分ほど身を離した。


〈そういうところやぞ〉

〈自分がツンデレであることを思い出したマリ〉

〈げぼかわ〉

〈お前に気を許したわけじゃないんだからねの仕草〉

〈寝ぼけてるときは素直になるタイプのツンデレ〉

〈てか触手って寝るんすね……〉

〈一応休眠は取るぞ〉

〈マリの場合はメイの睡眠サイクルに合わせてるっぽいけど〉

〈やっぱマリはマリでおかしいよな〉

〈でも可愛いだろ?〉

〈それはそう〉


 リスナーたちの指摘する通り、メイとマリのやりとりもまた、この場から緊張感が消え失せている要因の一つであった。いっそ血みどろの死闘でも繰り広げてくれた方が切迫した雰囲気にもなったろうが……なぜかモンスターに襲われていないという状況自体が、当座のメイの身の安全を印象付けてしまっている。


(マリを配信に乗せたのは失敗だったかなぁ……いやでも、いずれは露見してただろうしなぁ……)


 指先からぷにぷに感触が消失したことに一抹の寂しさを覚えつつ、少しのあいだ考え込むメイ。無言の時間になってしまうが、最早リアルタイム垂れ流し生存報告と化しているこの配信においては、さして珍しくもないことであった。

 

「……しかしまあ。実際問題、早く助けに来てくれないと──」


 やがてメイは言いながら、右手をポーチに突っ込み携帯糧食を取り出す。一箱──持ってきていた量の全てのうち、既に半分近くがメイの胃の中に消えていた。初日で合計一本を。二日目でさらに切り詰めて一食で一本の四分の一、それを朝昼夜で三度。残りは二本と四分の一。それらをカメラの前に見えるように置き、さらにその隣に水の入ったボトルも取り出す。こちらは満タンの二リットルボトル一本と、同サイズで残り三分の一ほどのものが一本。


「──飯と水が無くなっちゃいます」

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