38 恋人たち


 喫茶店や春夜君のお家に行った翌日の放課後。早速だけど舞花ちゃんと花織君のデートの日だ。私と朔菜ちゃん姿の舞花ちゃんは春夜君と共にバスに乗り、再び沢西家を訪れた。


 デートと言ってもお家デートらしい。何でも、花織君の『夢』に関係するのだとか。朔菜ちゃんの手にはエコバッグが握られていて、バスに乗る前……商店街で買ってきたものが入っているそうだ。何が入っているのかな? 気になったけど後で分かるだろうから、それまで楽しみにしていよう。


 玄関で出迎えてくれた花織君が朔菜ちゃんを見てぎこちない動きになった。


「よ、よう」


 花織君が朔菜ちゃんに声を掛けている。朔菜ちゃんが顔を横に向けてボソッと言った。


「来てやったわよ」


 朔菜ちゃんの頬が少し赤い気がする。甘酸っぱい空気に見ているこっちが照れてしまう。


「キッチン借りるよ」


 朔菜ちゃんは花織君に断ってテキパキと何か作り始めた。エコバッグから玉ねぎや人参といった食材を取り出している。


「まさか? アレを作るつもりなのか?」


 花織君が驚愕したような顔で呟いた。


 私と春夜君はリビングの絨毯の上に座って、そんな二人を見守っていた。春夜君は途中で退屈したのか自分の部屋から本を持って来て読み始めている。


 やがて座って待っていた花織君の目の前のテーブルに出来立てのオムライスが置かれた。卵がふわとろしていそうな、いかにも美味しそうなオムライス。


 私はそれを見ながら悔しさに歯軋りした。


 朔菜ちゃん……! 何で花織君にだけなの! 私もめちゃくちゃお腹空いてるよ!


 彼女の気持ちも分かるけどね。好きな人にだけ特別っていう気持ち。

 仕方ないからスカートのポケットに入れていた飴玉を口に含んで感情を静めた。


 朔菜ちゃんが花織君の隣の椅子に座ってテーブルに肘をつき、右手の甲に頬を置いている。


「ねぇ……食べさせてあげようか?」


 朔菜ちゃんに持ち掛けられ、それまで硬直したように微動だにしていなかった花織君が不自然に体を軋ませた。


「やっぱり知ってるんだな? この、オレの長年の願望はオレと舞花ちゃんしか知らない筈だ!」


 声を荒げる花織君に朔菜ちゃんは冷静なトーンで返した。


「舞花に聞いたの」


 花織君はあからさまにショックを受けた顔をした。


「嘘だ。あの子が言う筈ない。誰にも言わない約束をした!」


 朔菜ちゃんは黙っている。


「それに。オレの夢はユララにオムライスを食べさせてもらう事で、あんたは今日……ユララの格好をしていないじゃないか」


 花織君は語尾を弱めて朔菜ちゃんから視線を逸らした。そんな彼に朔菜ちゃんは問う。


「ねぇ……花織が好きなのは『ユララ』? それとも『私』?」


 花織君がゆっくりと朔菜ちゃんに視線を戻した。色を失くしたような表情の花織君に朔菜ちゃんはスプーンを差し出した。オムライスが掬ってある。


「はい、あーん」


 促されて花織君がオムライスを口に含んだ。状況に納得していない様子でも、しっかり食べている。その間、花織君は朔菜ちゃんの顔を熱心に見ていた。


「ユララじゃなくて不満? がっかりした?」


 少し笑うような朔菜ちゃんの問い掛け。彼女を見つめる花織君の顔に変化があった。それは微笑みに変わった。


「いいや」


 花織君が朔菜ちゃんのスプーンを持つ方の手首を引っ張って彼女を引き寄せた。その頬に手を添えている。


「何?」


 朔菜ちゃんが少し不機嫌そうな声で聞く。こちら側からは彼女の後ろ姿しか見えていないけど、多分睨んでいるんじゃないかな。


 花織君は間近から朔菜ちゃんを見て、更に表情を明るくした。優しい目で彼女に笑い掛けている。


「オレが好きなのは全部舞花ちゃんだから何も問題ない」


 朔菜ちゃんは何も言わなかった。ただ花織君を見ているようだった。


「今まで気付かなくてごめん。ずっと離れてたから、あの時の自分の気持ちが一時の気の迷いかもしれないと思うようになってた。舞花ちゃんも幼かったし。結婚の約束は……してもいいと思ったからしたんだ」


 花織君の話を受け、朔菜ちゃんは俯いて絞り出すように口にした。


「佳耶お姉ちゃんは? 告白してた」


 尋ねる声が朔菜ちゃんじゃなくて舞花ちゃんになっている。


「結婚するって約束してたのに酷いよ!」


 彼女は感情が昂った様子で花織君を責めた。花織君が表情を曇らせた。


「あれは……理に言いくるめられて……。ただオレに免疫がなくて、一番親しい女友達を好きだと勘違いしてただけだよ」


「それに私だって気付かなかった!」


「ごめんって! もう、間違わないから」


「本当……?」


 花織君が一心に朔菜ちゃんへ視線を注いでいる。


「……うん」


 神妙な面持ちで返事をした花織君に朔菜ちゃんが抱き付いた。花織君が瞼をいっぱいに広げて頬を赤らめている。彼はうわ言のように呟いた。


「何このギャップ」


 朔菜ちゃんが少し体を離して花織君を見上げた。花織君が距離を縮める。


 私と春夜君が同じ部屋にいるのも構わずイチャイチャし始めた二人を直視していいものか悩む。朔菜ちゃんがこんな事を言い出した。


「もっとしていい?」


「ダメ!」


 花織君が即答した。彼は朔菜ちゃんを宥めるように言い聞かせている。


「オムライスが冷めるから」


「美味しかった?」


 朔菜ちゃんの問いに花織君は「物凄く」と答えた。朔菜ちゃんが笑った気配がした。


「この日の為にいっぱい練習したの。……やっぱりもっとしたい」


 朔菜ちゃんが猶もねだる。花織君は口元を手で押さえ横を向いた。


「オレ、初心者だから手加減して」


「私も初心者だよ?」


「ぐふっ」


 朔菜ちゃんの返答が想定外だったようで、花織君が呻って自らのシャツの胸元を握り締めている。


「そんな訳あるかっ!」


「何で?」


「だって舞花ちゃんは可愛いし……」


「本当だよ。……確かめてみる?」


 えっ? 何か過激なイチャイチャに発展しそうな二人に戸惑う。ずっと好きだっただろう花織君と想いが通じて感極まってるのは分かるけど、私は友達としてどう対処したらいいんだろう。私たちはまだ高校生でそんなっ……と考えたところで先週、春夜君との間に起きた事を思い出した。何も言えない。


 オロオロしていると、それまで隣で本に視線を落としている様子だった春夜君が話し掛けてきた。


「明。前……オレの部屋の本が読みたいって言ってましたよね? いいですよ。行きましょう」


「えっと、でも……」


 朔菜ちゃんの方に目線を移す。花織君はこっちを見ていたけど朔菜ちゃんは振り返らずに花織君の方を向いていた。


「オレの部屋の本、読み放題ですよ?」


「うっ。分かった」




 つい釣られて春夜君の部屋に付いて来た。以前ここに来た時の事が頭を過って意識してしまう。


「明」


 優しい声音が私を呼ぶ。手を引かれてベッドの端に並んで腰を下ろした。


「あれ? 本を読むんじゃなかったっけ?」


 尋ねると春夜君は爽やかに微笑した。心なしか距離が近い。ベッドの縁に掛けていた手に春夜君の手の温もりが伝う。


「これはオレの頼みで本はそのご褒美です。嫌ですか?」


 真っ直ぐな瞳で聞いてくる。


「ううん」


 首を横に振った。


「どっちもご褒美だよ」

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