13 本


「先輩、帰りましょう」


 放課後、沢西君が教室へ迎えに来てくれた。

 着席していた私の傍には晴菜ちゃんが立っていた。見上げて表情を窺う。


 彼女は沢西君に冷たい視線を送っていた。その瞼が閉じられ、次に目を開いた彼女は別人のような笑顔で私に言った。


「やだ。明ちゃんたちラブラブだねっ! 私も最近、忙しくて一緒に帰れないし。しばらくは帰りが別々だね。寂しいな。別々に帰っても私の事忘れないでね!」


 晴菜ちゃんに両手を握られ、うるうるした瞳で見つめられた。


「ありがとう晴菜ちゃん。一緒に帰れなくてごめんね」


 今、目の前にいる友達と昨日ありすちゃんに聞かせてもらった彼女の音声。そのギャップが凄くて内心戸惑っていた。


 廊下に出たところで沢西君に手を引かれた。


「先輩、そっちじゃありません。こっち」




 連れて来られたのは第二図書室だった。沢西君は人がいないのを確認して私と向き合った。


「今日は用事ないって言ってましたよね? これからの作戦を立てましょう。岸谷先輩により大きくダメージを与えるにはどうすべきか、オレも連日考えているんですけど上手く思考がまとまらなくて。先輩、何かいい案を持っていたら遠慮なく言って下さいね」


「あ……うん」


 沢西君の発言を受け、私の中に罪悪感が生まれる。目線を彷徨わせながらも何とか返事をした。


 沢西君はこんなに私の復讐の事を考えてくれているのに。私は復讐よりも沢西君と今日も一緒に過ごせる時間ができたって浮かれポンチだった。気を引き締めないと。


「うーん。そうだなぁ」


 呟いて首をひねってみても特に思い付かない。考えあぐねていた時、ふと本棚に目が留まった。ありすちゃんの言葉が甦る。


『読んでる本の好みが合いそうな気がしたの』


 私は第二図書室で借りた本を教室の自分の席で読んでいる事が多かった。多分その時、ありすちゃんに見られていたのだろう。「私もその本読んだ!」みたいに思ってくれたのかもしれない。


 ありすちゃんが昨日教えてくれた情報はショックだったけど、それ以前にこの第二図書室で目の当たりにした光景のインパクトが強過ぎて昨日のダメージは少なかったように感じる。沢西君の存在も心強かったし。


 でも引っ掛かりが残っている。ありすちゃんが気掛かりな事を言っていた。


『本当はもう一つ、知ってる事があるんだけど』


 そう私へ告げた際の彼女の様子が……何かを心配しているような雰囲気だった。沢西君に聞いてみる。


「ありすちゃんが知ってる、もう一つの事って何だろう。もしかして復讐の手掛かりにならないかな?」


「さあ……どうでしょうね」


 沢西君は言い終わらないうちに図書室中央にある本棚の方へ歩き出した。


「沢西君?」


 どうしたのだろうと後を追う。


「あの人も先輩の事、よく見てましたね」


 立ち止まった沢西君が本棚の一角に視線を落とした。彼の長くて綺麗な指が数冊の背表紙を横になぞる。


 息を呑んだ。一瞬何も考えられなくなった後、問い掛けが口から漏れた。


「見てたの?」


 彼がなぞった並びには私が一番気に入っている作者の本が置かれていた。


「先輩、よくここで読んでましたよね。オレが側を通っても気にしない様子で本の世界に没頭してて。見ていて気持ちいいくらいでした」


「見られてたんだ……」


 愕然とする。恥ずかしくて下を向いた。


 第二図書室はあまり広くないので机はカウンター用のものしか備わっていない。読書できるスペースとして椅子が何脚か壁際や空いた場所に置いてあるだけだ。晴菜ちゃんが一緒じゃない時などはよくここへ来て椅子に座り本を読み耽っていた。


「沢西君の好きな本も教えて!」


「嫌です」


 何か話題を……と焦って聞いてみたらソッコーで断られた。


「え……」


 呆然と呟く。思いがけないダメージをじわじわ受けている最中、細めた目を向けられた。


「そんなの、オレの事をちゃんと見てたら分かりますよね?」


「……そうだね。これからは沢西君の事、ちゃんと見るよ」


 距離が近い気がして俯いて一歩下がった。


「沢西君が私の好きな本の事、知っててくれたの嬉しい」


 素直に思った気持ちを口にした。


「あのシリーズね、主人公たちと一緒に旅してる気分になれるんだ。長い物語なんだけど読んでいってずっと最後の方に主人公と主人公が好きだった仲間の想いが通じるシーンがたった一文だけあって。そこを何回も読み返してた。両想いってどんな気分なんだろうって」


「してみます?」


 沢西君に問われて一拍、呼吸が止まった。相手の目を見つめ返す。


「……読んでたの?」


「あ、ハイ。フツーに。先輩、経験なかったんですね」


「~~~~ッ」


 声にならない声を上げ熱くなる頬を押さえる。


 先程語ってしまった本の内容を沢西君は知っていた。私が繰り返し読んだ場面にはキスシーンがあった。


「赤くなって可愛い」


 可愛いと言われて心臓が一段と騒がしくなる。からかわれているんだと考え直すけど眼前の存在を激しく意識してしまって冷静に対応できない。


 距離が縮まる。沢西君の手が私の右頬を撫ぜた。

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