第25話

☆☆☆


結局こういうことなんだろう。


誰かの命を奪ってまで他の誰かを助けたりしたから、しっぺ返しが来たのだ。



今頃少年は空の上から私をあざ笑っているかもしれない。



『僕を殺した罰だよ』と、言われている気がした。



私はフラフラと家を出てさまよい歩いていた。



スマホも財布も全部家に置いてきた。



そんなものを持っていたって、もう私には必要ないからだ。



外は相変わらず同じ光景があって、行き交うサラリーマンと学生で溢れている。



みんなが制服を来て学校へ向かう中、私だけがパジャマ姿で逆走していた。



添付されていた写真を思い出す限り、私は高いビルとか学校の屋上から飛び降りて死ぬのだと思う。



学生の私の死に場所として最もふさわしいのは、やっぱり屋上だ。



呪いのメールも、きっとそうなるように私に行動させるはずだ。



だからこれはせめてもの抵抗。



なにもかもが呪いの思い通りにはならないという、抗議。



私はこの街で一番高いビルへとやってきていた。



ビルの3階までは飲食店が入っていて、それより上には中小企業が入っている。



外階段を上がれば誰でも屋上までたどり着くことができることを、知っていた。



元々はグリーンに塗られていたらしい外階段をカンカンと音を鳴らして上がっていく。



階段は随分と色が剥がれていて、赤茶色に変色している部分も多く見られた。



この建物の中では今の時間帯、出勤してきた社員たちが集まってきているのだろう。



あと数十分で就業時間になるのかもしれない。



踊り場にある扉の向こうからは人の声がひっきりなしに聞こえてきているけれど、まさか私がビルの屋上を目指しているなんて、誰も気が付かない。



時折聞こえてくる楽しそうな笑い声に胸がズッシリと重たくなる。



裕之も今頃学校に到着して、あんな風に笑っているのかな。



その中に自分がいないのは悲しいけれど、どうかそうであってほしい。



いつまでも悲しい顔や、苦しい顔はしていないでほしい。



じゃないと、私が人を殺してしまった意味がなくなってしまうから。



カンッと最後の1段を踏みしめて屋上に到着した。



なにも遮るものがないビルの屋上は風が強くて髪型がすぐに乱れてしまう。



灰色のコンクリートで固められた胸までの塀と、水色に塗られたベンチが3つ。



端っこの方に喫煙所が設けられているだけの簡単な屋上になっていた。



私はフラフラと塀へ近づいていく。



タイムリミットまではまだ丸々24時間くらいある。



だけどそれを待っていたのでは、呪いの思うツボに動かされてしまうだけだ。



「私は違うの。私の意思で死ぬんだから」



空へ向けてそうつぶやく。



この声が少しでもイオリに届けばいい。



決してイオリの呪いの結果ではないと、知らしめてやる。



胸まである塀は人が一人立てるくらいの幅がある。



私は両手で自分の体を持ち上げて、その上に座り込んだ。



高い場所は得意じゃないから、ここに登るだけでも全身が震え上がってしまう。



座り込んだままどうにか立ち上がろうとするのだけれど、手足が震えてうまくいかない。



「しっかりしなきゃ」



自分自身の足を両手で叩いて、無理やり立ち上がる。



その瞬間風が強く吹き付けていてギュッと目を閉じた。



目を閉じた瞬間方向感覚が失われる。



左右も、上下もわからなくなって、危うく足を踏み外しそうになりパッと目を開いた。



階下に広がる建物や人、車はどれもジオラマのように小さくて、踏み出した自分の足で簡単に踏み潰せてしまいそうに錯覚する。



鼓動を鎮めて深呼吸し、空を見上げる。



下を見るから怖くなるんだ、上を見ていれば私だって平気でいられる。



空には白い雲が浮かび、鳥たちが自由自在に飛び立っている。


そう、私は今から鳥になるんだ。



ここから飛んでも落ちることはない。



空高く舞い上がり、大きく羽を伸ばすんだ。



両手を広げて空を見つめると恐怖心がスッと遠のいていく。



今は風がふいても心地よくて、私の背中を押してくれているように感じられた。



もう1度目を閉じてみると今度は心地よさを感じた。



フッと思わず口角がゆるむ。



これなら大丈夫そうだ。



恐怖心も、不安定感も拭い去られて、今ならどこまでも飛んでいくことができる。



大きく息を吸い込んで右足を前に出した。



地面がなくなり、空中に投げ出された右足。



そしてもう一歩踏み出そうとしたそのときだった。



「なにしてる?」



そんな声が聞こえたと同時に腕を掴まれていた。



ハッと息を飲んで目を開ける。



空中へ投げ出された右足から途端に寒気が這い上がってきて、地面におろした。



振り向くとそこには裕之が立っていた。



私を睨みつけて、口をへの字に曲げている。



「裕之、どうして……」



驚きとチャンスを失った喪失感で複雑な心境になる。



「今朝、結の家に行ったんだ。結は俺のためにあれだけのことをしてくれたのに、俺、つい突き放したから、謝ろうと思って」



「そうなんだ……」



「だけど結はいなくて、部屋にはスマホだけが残ってた。ロック番号を知ってたから、見させてもらったよ」



裕之の説明に私は唇をかみしめて下を向いた。



スマホを見たのならもう事情は理解しているはずだ。



今から私がなにをしようとしているのかも。



裕之は私の腕を右手で握りしめたまま、左手でポケットをまざぐり、私のスマホを取り出した。



「どうしてそれを?」



「念の為に、持ってきた」



どういう意味なのかわからずに首をかしげる。



すると裕之はスマホを塀の上に置き、器用に片手だけで上がってきた。



裕之の方が15センチは背が高いから、街を見下ろせばまた人々が小さくみえるのだろう、軽く体を震わせた。



「なぁ、結」



私のスマホを手にとり、それを私に握らせる。



私は忌々しいメールが届いているそれを放り投げてしまおうかと思ったが、グッと思いとどまった。



裕之がここまで持って来たのにはなにか理由があるはずだ。



「俺のことを助けてくれてありがとう」


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