廃村の霧

潤田子虎

チャールズ・エバンズは祖先の地を訪ねる

 とにかく、彼と出会ったのが運の尽きだったんだ。

 彼というのはチャールズ・エバンズ。同僚の顧客だった男だ。中肉中背、茶色の髪と茶色の目、多少かぎ鼻で、まぁイギリス人としては普通の容姿だよ。

 たまたま僕の名前を知って、同郷かもしれないと言って近づいてきたんだ。僕はロナルド・フォグランドという、ちょっと珍しい名字でね。実際彼とは同郷だったんだが、それも何代も前の話さ。僕の父の祖父か曾祖父がフォグバーンという村の出身で、彼の祖母もその村の出身だったんだ。

 チャールズが言うには、フォグバーンという村はもう廃村になったんだが、土地の権利がまだ生きていて、相続できるかもしれない。そのために、一緒に村の探索をしないか、と誘われたんだ。今考えればおかしな話で、役場で調べればすむはずなんだが、探索にかかるちょっとした費用以上に損はないし、欲もあったし暇もあったしでその話に乗ってしまったんだ。

 いや最初からおかしな話だったんだよ。チャールズが僕に話しかけたのが、何でも霧とか霞とかに関わる珍しい名字が多い村なので、もしかしたらと思ったそうなのだが、君ならそれだけで話しかけたりするかい? ああ、彼の祖母がフォグバーンの出身というのはたぶん本当だ。祖母の名字までは聞かなかったがね。


 ええと、それで、いろいろ疑うべき事は多かったんだが、結局彼とフォグバーンに行ったんだ。食料と寝袋を持って、二泊三日の探検行さ。フォグバーンというのは田舎の谷間の、霧深い湿気た場所でね。廃村になって20年余り、かなりひどい有様になっていた。草ぼうぼうどころか背丈以上の木もかなり生えていて林になりかかっているし、建物は朽ちているし、確かにちょっとした探検行だったよ。

 そこで昼は壊れかけた家やかつて家だったものに入り込んで何か自分と関係のある物はないかとごみの山をひっくり返し(我ながらいったい何を探していたというのか)、夜は教会で書類調べさ。この教会というのはキリスト教ではない何か土俗の信仰でね(近代のイギリスでは考えられない事だが、実際にそうだったのさ)、建物がしっかりしていたので探検行の根城にしたんだ。もっともそれ以外に、チャールズがこの宗教にご執心でね、僕が書類を調べている間に、この宗教の聖書(のようなもの)を読んでいたらしい。それで、なかなか面白いよ、とか言って、その聖書を僕によこすんだよ。

 宗教というのは何であれ、神様を象った像や絵や、何かご神体のような物を中央に祀ってある物だと思っていたのだが、ここはちょっと違ったね。何か鏡のような、簡単な縁取りのある、平たくて真っ黒い物が飾ってあったんだ。チャールズが注意してくれたんだが、つるつるに磨き上げられているのに、光を少しも反射しないんだよ。触ってみたが、妙に冷たいという以外に、石だか金属だかまったく見当がつかなかったね。


 そうして僕がその真っ黒い物を調べている間に、チャールズはどこからか持ってきた杓のような物を振りかざして、何やら儀式めいたことをやっているんだ。あまりに滑稽なので、笑い飛ばすべきかいい加減にしろと言うべきか迷っている間に終わったがね。

 実際、終わったんだよ。チャールズが呪文を唱え終えてすぐに霧が出てきたんだ。真っ黒い鏡から、ね。その霧は、触手のように渦巻いて、僕を通り越して彼に掴みかかったんだ。そして、思い出したくもないんだが、彼は溶かされていったんだ。溶かされた、というよりは表面から少しずつ吸収されていったと言うべきか。その間ずっと彼は何か甲高い叫び声を上げていたよ。僕はといえば、あまりの出来事に、彼が消えていく一部始終を見てしまったんだが、幸いにもその霧は僕には掴みかからずに消えてしまった。そして僕はようやく一目散に逃げ出したというわけさ。真夜中だったんだが、満月が明るく照っていて、躓かずにすんでよかったと思ったのを覚えているよ。


 いったい何が起こったのかはわからない。チャールズがふざけてやったのか、あの土俗の宗教の信者だったのか、僕を生け贄にするつもりだったのか、今更聞こうにも彼はもういない。

 ただもう霧が恐ろしくなって、とてもイギリスにはいられなくて、乾いた土地に逃げ出すべくこうしてエジプト行きの船に乗っているのさ。

 それなら飛行機の方がよかったろうって? 確かにそうだね。でもたまたまエジプト行き船旅の広告が目に入って、これだ!と飛びついてしまったのさ。

 嘘じゃない。神掛けて、作り話でも夢物語でもないよ。僕も夢であってくれればいいと思うんだがね。実際、彼が押しつけた異教の聖書がこうして手元にあるんだから。

 いやいや、待ってくれ。出て行かないでくれ。ドアを開けたら夜霧が入ってきてしまうじゃないか。海の上でも霧が出るなんて、まったく思わなかったんだよ。霧が晴れるまで話し相手になって、気を紛らわせてくれ。少なくとも、そのドアを開けないでくれ。

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