第3話 新見のゆずソフト

 岡山駅の前の桃太郎像の前で待ち合わせだ。この場所のすぐ目の前がバス乗り場のロータリーになっている。ここからバスに乗って新見市まで行き、そこからレンタルサイクルで目的地の神社まで行く予定だ。


 上田はまだ来ていない。


 バスの時間まであまり余裕はなく、そろそろ来てもらわないとヤバいかなと思い始めていた。なにせ田舎のバスだ。一本乗り過ごしただけですぐに次が来るわけではなく、大幅な時間ロスになってしまう。


 そのときちょうどスマホに着信がある。


『もしもし、わたし、麻里です。今、高野君の後ろ』


「あのなあ。後ろにいるんならいちいち電話かけてこなくてもそのまま声を掛けろよな」


 振り返った僕は桃太郎像の裏側に隠れてこちらをのぞき込む上田のところへ歩みよる。


「それにしてもさ上田。どういうつもりでそんな恰好なんだよ」


「どういうつもりって、まあ、デートですから」


 駅前の桃太郎像の前で待ち合わせした上田は、黒いレースのワンピースに白いタイツ。そして右目にはいつもの黒い眼帯。いわゆる地雷系というやつだ。


「言っておくが今日はデートじゃないし、僕たちは神社の裏山に入るんだ」


「山をなめてるわけじゃないですよ。ほら、これ見てください」


 上田の指さす足元は黒と白との二色で構成されるトレッキングシューズだ。


「確かにそこは間違っちゃいないけれど、ほかにいろいろ間違いがあるだろう」


「あ、この白いタイツなんですけど、ちゃんと虫よけ効果もあるんですよ。入山前にはさらに防虫スプレーも吹きますし」


「いや、そうはいってもなあ……まあ、地雷系ファッションというのも、趣味は人それぞれだから文句は言うまい。夏にも関わらずロングスリーブだということもまあいい。だが、呪いだとかそんな山に入ってその恰好じゃあ、なんというかまあ、いろいろヤバすぎるだろ。もはや呪いの申し子だ」


「でもですね、だからと言って真っ白の服を着て呪いの藁人形を持っているほうがヤバくないですか? 本格的すぎます」


「黒と白以外の服は持ってないのかよ」


「持ってないですよ。必要ありませんから。それに知ってる誰かに逢うわけでもありませんからね、高野君にどうみられるかだけが問題なんです。ねえ、わたし、かわいいでしょ?」


「お、バス来たぞ」


「あ、待て、こら、逃げる気ですか!」


 新見市は岡山県の中部にある。県内でも瀬戸内海に接する南部に岡山市や倉敷市など比較的人口の多い地域が集中し、中部以北は山岳地帯が多いためあまり人口は多くない。


 新見市は山岳地帯の多い中部の中にぽっかりと開いた平野部で、その市街地に人口が集中している。


 岡山駅をバスで出発し、高梁川を沿うように北上していく。しばらくは窓の外を眺めてはいたがあまり変わり映えのない景色やがて飽きてしまう。


「ところでさ」と僕は隣でずっと窓の外を眺め続けている上田に声を掛ける。

「なんで丑の刻参りに行くのに午前から出発するんだ?」


 僕のそんな言葉に、上田は頭に〝?〟がついた状態でふり帰る。


「いや、夜まで時間が余るだろ?」


「いえ、夕方には帰るつもりですよ」


「え、だって丑の刻参り……」


「高野君、知らないんですか? 丑の刻は一日に二回あるんですよ。今回は午後の二時に行うつもりですけど?」


「い、いいのか? 普通午前二時にやるもんじゃないのか?」


「まあ、普通はそうかもしれませんけど、さすがにそれはいろいろと大変じゃないですか。それに、わたしだってそんな場所に真夜中に行くのはちょっと怖いですよ」


「あ、そ、そう、なのか……」


「どうかしましたか?」


「いや、てっきり今回は泊りなのかと思ってたから、余計な準備をしてきてしまったなと……」


「と、泊り……ですか? いろいろと、準備して、いたと?」


「ああ、まあ、それなりには――。あ、いや、違う! そういう意味ではないんだ。つまり、なんだ、その……」


「えっと……高野君が準備していたというならまあ、わたしは一泊くらいしてもかまわないですけど……」


 上田はジト目で僕の様子をうかがう。


「か、からかわないでくれ。本気にするぞ」


「本気で言ってるんですけどね」



 バスに揺られること九〇分。新見市に到着する。

 岡山県の北西部に位置する新見市の人口は約二六〇〇〇人。岡山県と広島県、それに鳥取県に接する三国山である。豊富な果物王国であると同時に千屋にある千屋牛は世界屈指の美味とされる美食の宝庫だ。晴れの国と言われる岡山県内としては比較的気温も低く、過ごしやすい場所ではあるが、それでもその日の気温は特別だった。


 バスを降りたその瞬間から頭部をじりじりと焦がす太陽に憎しみを感じる。その年は何らかの素数の公倍数の年らしく、ギーギーギャーギャーと梅雨が開けたばかりの蝉が日中をにぎやかに騒ぎ立てる。


 ここからレンタルサイクルでそう遠くない距離だとは聞いているが、さすがにあまり動きたくないなという気持ちは上田にしても同じらしい。


 黒魔術研究部というものが果たして運動部なのか、文芸部と同じ文化部なのかは定かではないが、どちらにしても強すぎる太陽は忌むべき存在だと思っていることは間違いない。


 自転車で数分も走らないうちから弱音を吐きだす始末。


「ひと先ずあそこで休憩してからにしましょう」


 上田が指さす先にはやたらに広い駐車場とそれなりに大きな平屋の建物。寄ってみると、入り口付近のテントの下では地元ならではの地産地消の野菜や果物が販売されており、建屋の半分が土産物売り場、半分は食堂になっていて、さながら道の駅になっていると言えばいいだろうか。土曜日の昼ということもあって田舎にもかかわらず、地元内外からの多くの人でにぎわっている。


「何か食べましょうか?」


「いや、さすがに今から少し動くしな、食べるのは丑の刻参りが終わってからのがいいんじゃないのか?」


「さらっと物騒な言葉を言いますね」


「上田が言うなよ。しかも、その恰好で」


「かわいいでしょ?」


「ま、飲み物でも飲みながら少し休めばいいんじゃないか?」


「おい、聞いてるのかよ! あっ! あれ!」


「どうした?」


「ゆずソフトクリームですよ!」


「だな」


「だな。じゃないですよ! めちゃくちゃおいしいらしいです。噂を聞いたことが何度かあります」


「めずらしいな。上田はあまり甘党ではなかったはずだけど」


「氷菓だけは特別ですよ。高野君は氷菓、きらいですか?」


「きらいなわけないだろう? 大好物さ。特に『愚者のエンドロール』や『遠回りする雛』は本当に傑作だと思う。米澤穂信作品はそのトリックよりも、犯行目的が秀逸な作品が多くて――」


「あの? さっきから何を言ってるんですか? 早口で」


「――すまない。好きなものの話になるとつい……」


「あ、持ち帰りのできるゆずシャーベットというのもありますよ」


「それこそ今からかってどうするんだよ。買うならせめて帰り際にしないと荷物になるし、とけてしまうだけだろ」


「溶ける前に食べちゃえばいいじゃないですか」


「お前はななせかよ」


「ああ、デリカシーがないですね。なんでデート中にほかの女の名前を出しますかね」


「デートじゃないだろ」


「デートですよ。言いませんでした?」


 ともかく僕たちはひとまずソフトクリームでも食べてからだを冷やしてから出発しようという話になった。


「ゆずソフトをひとつください」


 上田が注文し、続いて僕が、


「プレーンソフトをひとつお願いします」


 と……


「ねえ、高野君。どうして君はそういうことが平気でできるんですか? せっかくわたしがゆずソフトがおいしいって教えてあげているのに、どうしえあえてプレーンのほうを頼みますかね」


 ――しまった。これにはこれでちょっとしたわけがあって癖になってしまっている

のだが……


 ともかく僕らはベンチに並んで座り、ソフトクリームを食べる。プレーンのほうもなかなかにうまい。しかし、正直に言えばさすがにせっかくおいしいという噂のゆずソフトを食べてみたいという気持ちはある。が、しかし、さすがに上田が食べているそれを一口食べさせてほしいとは言えない。


「あれ、マコト? こんなところでなにしてんの?」


 不意にかけられた声に目を向けると、そこには完璧で究極な美少女伏見ななせがいた。夏らしいスカイブルーのノースリーブシャツと白のショートパンツから日焼けした細い手足が伸びている。小柄な彼女が一層小さく引き締まって見える。


「な、ななせ? なんでこんなところに?」


「あ、ほら、今日は休みだからさ、千屋牛バーガーを食べに来たの」


「千屋牛バーガー?」


「しらないの? 新見の名産の千屋牛を使ったハンバーガーよ。絶品なんだから!」


「わざわざこんなところまで?」


「おいしい食べ物は旅とセットなの。それで、あなたたちはどうしてこんなところまで?」


「伏見さん。そんな野暮なことをわざわざ聞かないでくださいよ。見て分かりませんか? デートですよ、デート」


「おい、上田。ちょっと待てよ」


「高野君は黙っていてください! 伏見さん、せっかく偶然出会ったところ申し訳ないのですが、デートの邪魔になるといけないので、向こうに行ってもらって構わないですか?」


「おい、上田――」


「あ、いいのいいのマコト。アタシもちょっと用があったし、それじゃあね」


 ななせはおとなしく退散し、僕と上田の間には言い知れぬ気まずさがあった。確かに今日は上田のフィールドワークに付き合うためにここに来たのだが、彼女とて僕がななせに好意を抱いていることぐらい知っているだろうに、あの言い方はいかがなものかと思うし、ななせにもちゃんと言い訳をしておきたいと思うのだが……と思っていると、すぐ目の前に再びななせがいた。手には、ゆずソフトを持っている。


「あー、そうそう。アタシさ、この後でこの近くにある育霊神社に行ってみようと思っているんだけどさ。すごく面白いところらしいので、よかったお二人もデートで行ってみてはどうかな?」


「はー。やっぱりそういうことですか。偶然、なんて言いながら、本当は全部知って先回りしていたのですね」


「えっ? なんのこと? 偶然だよ、偶然!」


「はいはい。わかりました。わたし達も今からそこへ行くので、せっかくなのでご一緒しましょう」


「そう、それはまた偶然ね!」

 

 ソフトクリームを食べたからだろうか? さっきまで暑かった夏の日差しの中、少しばかりの寒気を感じる。


「あ、マコト! プレーンのほう食べてるんだ! 実はアタシ、そっちのほうも気になってたんだよね。ちょっと交換!」


ななせは僕の手からプレーンのソフトクリームを奪い、替わりに自分の持っていたゆずソフトを渡す。


確かにゆずソフトは冷たくてさっぱりしていてとてもおいしかった。


そして、上田の視線が恐ろしく冷たかった。

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