第9話【告白と誓い】

 沙優の言うがいつを指すのか、瞬時に理解できた。

 ――二年前の夏祭りの日、今みたいに二人並んで花火を眺めている最中、


『――お前本当に帰るのか?』


 ふとしたきっかけで沙優のいなくなった生活を想像し、恐怖にも似た酷い孤独と寂しさの波に襲われ、つい心の声を漏らしてしまった。

 それまでの生活へと、ただ戻るだけのはずなのに。


『――吉田さんは、私に帰ってほしくないの?』


 気持ちを聞かせてほしいと訴えかける沙優の瞳に、俺の中の正義と本音がぐちゃぐちゃに絡み合い、出てきた言葉こたえは、

 

『――やっぱ、帰るべきだ』


 あの時の必死に微笑みを取り繕った沙優の表情は、今でも忘れられない。

 その数日後。

 居場所を突き止めた沙優の兄の一颯がうちを訪れ、一週間という明確なタイムリミットが設けられた。

 もしもそれがなければ、俺たちはずるずると、社会に認められることのないいびつな共同生活を続けていただろう。


「ねえ......教えて」 


 沙優の囁くような声音こわねが、現実へと俺を引き戻す。

 恋人となった今では、もう本音を隠す必要はどこにもない。


「......ああ。帰ってほしくなかったよ」


 フィナーレが迫る花火に目もくれず、体を沙優の方に向け、しっかり言葉を紡ぐ。


「いつもそうだった。俺は沙優のことになると、フィルターがかかっちまう。もっともらしいことを言って本音を隠し、そのうえ本当にいなくなったら子供みたいに泣き叫んで後悔しちまう。哀れで残念な男なんだ」

「吉田さん......」


 再会してからだって。

 後藤さんへの想いをわざと強くつのらせ、沙優への気持ちから無理に逃げようとしていた。

 あれほど後藤さんに沙優と向き合ってほしいと言われても、俺は答えを出す直前まで常套句じょうとうくで本心を塗り固め、沙優と恋人同士になってはいけない理屈を並べた。

 意味も無く、先に出会ってしまった恋を優先するかのように――。


 とっくに俺は、沙優に惹かれ――そして恋に落ちていた。


 だがそれを認めてしまうと、沙優と生活を共にし、保護者であろうと必死に務めた過去の自分を否定してしまう。

 でもいざ答えを告げようとした時――今までずっと封じ込めていた想いが決壊し、とめどなく溢れ出した。


 自分に嘘をつくな!


 なにいつまで保護者ヅラを引きってやがる!!


 本当は誰よりも沙優のことを愛してるんだろうが!!!

 

 強烈な耳鳴りにも似た心の叫びたちのおかげで、俺はようやく自分を受け入れることができ、気持ちを打ち明けられた。


「そんな哀れで残念な男の、一世一代の言葉を聞いてくれ」 


 気持ちは打ち明けられたが、まだ肝心なことを言ってなかった。

「うん」と小さく頷いた沙優に向かって、俺は、


「――荻原沙優さん、あなたのことが好きです。結婚を前提に改めて、俺と付き合ってください」


 そう告げた。

 花火の輝きを帯びた沙優の瞳が、驚くように大きく見開かれ、そしてみるみるうちに涙を浮かべる。

 やがて頬を伝い、地面に透き通ったしずくがポツリと零れ落ちた。


「......順番、バラバラだね」

「......だよな。俺だってそう思う」


 本当は最初に、せめて同棲を始める前に言うべきだった言葉。

 懇願こんがんに近かった告白を、俺は以前からどこかチャンスがあればやり直したいとずっと思っていた。

 好きな女性の前ではカッコつけたい――男とはつくづく見栄っ張りな生き物なのだ。

 結婚というワードは、大学生になり自由を得た沙優の人生を束縛してしまうような気がし、使うのを躊躇ちゅうちょしたが――俺にはもう、沙優以外の女性は考えられない。

 一生を添い遂げる覚悟だ。

 

「――はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 そうして沙優は鼻をスンと鳴らしてから涙を拭い、にへら、と満面に笑ってみせた。

 花火が終わりを迎えても、俺の生涯の伴侶(予定)は闇夜に盛大な華を咲かせていた。

 ――が、安心するのはまだ早い。

 俺にはまだもう一つ、残された目的がある。


「......まだちょっと気は早いかもしれないんだが......こいつも受け取ってくれ」


 ジーンズのポケットから表面がフェルト状の四角い小さな箱を取り出し、沙優の前で開けて見せる。


「......え......指輪?」

「婚約指輪にはまだ早いんだが.........何というかその......つまりアレだ。これさえしておけばさっきみたいにナンパされてもすぐ追い払えるだろ?」


 沙優の瞳から再び大粒の涙が浮かんだと思った同時に、クスクスと上品な笑い声も上がった。


「笑うなよ」

「.........っ、ごめんね。吉田さんが選んでくれたの?」

「そりゃあ、恋人へのプレゼントだからな」


 比較的シンプルで落ち着いた格好で大学に行くことが多い沙優。

 普段使いもできるよう、デザインもそれに合わせてチョイスしてみた。

 指輪を買うなんて人生初の経験なもんだから、買う直前になってサイズのことを思い出し、結局用意できたのは今日の昼。かなり危なかった。


「なるほどね。だから入れ替わりであさみが.......」

「なんか言ったか?」

「ううん。なんでも。今はめてみてもいい?」

「もちろん。そのために買ったんだからな」


 箱から指輪を取り出し、左手の薬指にはめる。

 胸の前でかざし、確かめるように前後にゆっくり振ってから、


「......どうかな?」


 贈り主で恋人でもある俺に意見を求める。

 地味過ぎたかと思われたシルバーのリングは、身に着けている飾らない美しさを持つ沙優を、バランス良く引き立てるには最良のアイテムだった。


「......ああ。想像以上に綺麗だ」

「えへへ......ありがとうございます。これで皆に、私が吉田さんのものだって証明できるね」


 自分の語彙力の無さに自分で自分を殴りたくなったが、沙優の幸せそうな笑顔を見ていたらそんなものどうでもよくなった。

 なんというか――俺の恋人になった所有物感が強い。

 同棲を始め、何度も身体を重ねているのに今さらのことなんだが......ただ左手の薬指に指輪をはめているだけでこうも魅力的に見えるとはな......指輪の魔力は恐ろしい。


 俺が沙優に見惚れるように、気付けばこちらの様相を興味深くギャラリーたちに見守られていた。


「そうだ! チョコバナナ! 早く戻らないと屋台閉まっちまうぞ!」

「あっ! いけない! そうだった!」


 四方を囲むような好奇の目によって現実へと戻され、羞恥に襲いかかられた俺たち。

 逃げるようにお互い手をとって河川敷をあとにし、チョコバナナを求めて再び神社に向かった。

 これもまた、この先の未来で振り返った際、良い思い出の一部として二人で語られるのだろう――。



          ◇

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