第1章【思い出の続き編】

第1話【同棲】

「ふぅ。吉田さん、引っ越しの荷物これで全部ね」


 季節は7月下旬。夏本番も本番。

 太陽の陽射しは朝からやる気充分。

 開けっ放しの玄関から、ドス、という音と共に、夏休みに入ったばかりの沙優の声が響く。


「意外と少なかったな」

「だから言ったでしょ。必要最小限に絞ったって」


 肩にかけたタオルで顔を拭き、うちわ代わりに手で扇ぐ。

 最近は大人びた服装が多かった沙優だったが、さすが今日ばかりはシンプルなデザインのTシャツにジーパンので立ち。


「何か必要な物があれば兄さんの家に取りに行けばいいし」

「お前の兄貴ん家は猫型ロボットのポケットか」

「そうかも。ああ見えて兄さん、結構多趣味なんだ」


 思い出したかのように鼻をスンと鳴らせば、連動して後ろに結んだポニーテールが上下に小さく揺れる。

 沙優がウチに引っ越してきたのは、兄の一颯いっささんからの強い後押しによるものだった。

 俺たちが恋人関係になったと知るや、いつの日だったかを彷彿とさせる早朝にやってきて「沙優をお願いします」と土下座されてしまった。そこまではいい。


 「どうせ結婚するのでしたら、もういっそ沙優とまた一緒に暮らして良いのでは? 」


 と半ば強制的に押し付けられてしまった。涼しい顔の大手有名企業の社長様は、自分を有利に交渉を進めるのがお上手と見える。


「やっぱり迷惑だった?」


 考え事をしていた俺の顔を、沙優は薄っすら曇った表情で覗く。


「バーカ。大歓迎に決まってんだろ。それより引っ越しの業者にお礼持ってってやれ」

「あ、いけない。この暑い中、いつまでも外で待たせるのは可哀そうだもんね」


 沙優は俺から近所のコンビニのロゴが入ったビニール袋を受け取り、バタバタと廊下を小走っていった。

 二年前より随分と大人びた印象が強くなったが、時折こうして当時を思い出させるような仕草を見せてくれる。成長しても、やはり沙優は沙優だ。そんなところに俺は安心感と幸せを覚える。


 引っ越しの荷解にほどきがある程度キリが良いタイミングで、二人で昼食の準備を始める。

 今日の昼食は引っ越しざるそば。

 と言っても、つけ汁や薬味は昨日の夜に沙優が準備をしてくれたので、俺の役目は精々器やザルを用意するくらい。

 冷房のついた室内でも、ガスコンロの前だけはどうしたって暑い。

 鍋で麺を茹でる沙優の斜め後ろに立ち、駅前でもらった宣伝用うちわで人力の風を与えてやる。

 着替えたばかりのTシャツは暑さであっという間に汗を吸い、下から水色のブラホックが透けてきた。


「.......吉田さんのエッチ」


 細い横髪をかき分け、うなじがあらわになる。

 暑さか羞恥なのか判断に迷う。

 顔を赤らめた沙優は俺にされるがまま、黙って作業を続ける。

 何のプレイだ、これは。





「どうにか上手く片付いたな」


 昼食を食べ終え、眠くなる前に沙優は残った荷解きを再開する。

 クローゼットの中を半分整理したかい等もあり、沙優の荷物はどうにか上手く収まってくれた。

 

「ごめんね吉田さん。無理言って」

「いや。俺もなんだかんだ言ってこの部屋には愛着があるからな」


 当初、沙優との再びの同居が決まった際、真っ先に浮かんだの引っ越しだった。

 家出JKの身軽な荷物と違い、大学生の一人暮らしの荷物を受け入れるとなると、この部屋は明らかに狭すぎると考えた。

 社会人も7年目に突入し、金にある程度の余裕もできたので、カップル用賃貸に引っ越すことだって容易だった。

 だが沙優は、様々な思い出で溢れたこの部屋に強くこだわった。

 他人の家だと本当に思っていたら、そこまでの執着は決して持たないだろう。


「この部屋で私たち、いろいろあったよね......」

「ああ......まったくだ」

「これからも、きっともっといろんなことがあるから。不束者ですが、末永くよろしくお願いします」


 思い出は重ねていくもの。

 こんな三十路間近の冴えない情けない俺を愛してくれた沙優の想いに報いるため。

 今以上に仕事を頑張ろうと、にへらと笑う沙優こいびとに誓った。



          ◇

 第1話を読んでいただきありがとうございます!

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