#7 【かえり】

 いや気の所為だろう。

 閂を開ける音はしなかったのだから。

 そもそも人が居るわけない。

 だって目の前の一世代前の安置場への入り口扉の閂は閉じている。

 侵入者がいたとしたら、協力者が居た?

 確かに板鍵一枚で開く簡単な錠前だが、地元では忌み地扱いのこの野辺に好き好んで入り、わざわざ奥の安置場へと潜んで閂までかけてもらって?

 啓介の骨壷を見る。それから愛生穂の骨壷も。

 他に誰が?

 だいたいなんでそんなことを?

 また、した。

 扉が開く音。

 いや気の所為だ。

 考えるな。

 儀式に集中しろ。

 まずは次に安置するべき場所へ骨壷包みを置き、その手前に盆板を置く。

 また一つ、まだまだ奥の方の入り口扉が開く音。近づいてきている。

 骨壷包みを手早くほどき深い礼、そしてまじないの言葉を唱える。

 唱え終える前にまた一つ、入り口扉の開く音。

 もしかしたら思っていたよりもずっと近いかもしれない。

 唱え終え、一礼。

 飯鉢の中身を包み布の中へと移し――手が震えているのがわかる。白米や小豆をここではこぼさないよう注意して――また、入り口扉が開く音。

 気にせずに包み布の中身がこぼれないように縛る。これが帰り包みだ。

 礼をして、盆板を持ち上げる。

 が、手が思ったよりも震えていて、飯鉢が落っこちてしまう。

 すぐに一つ拾うが、もう一つは奥の入り口扉のすぐ前へと転がっていってしまった。

 その奥から入り口扉が開く音。

 もう、すぐ向こうに感じる――いや、考えるな。

 ここでやるべきことはやった。後は出るだけ。ただし、あの飯鉢を拾ってから。

 即座に走り、奥の入り口扉の前でその飯鉢を拾う。

 そして走って外へ――出る前に礼をする。

 その礼より頭を上げたとき、閂が開いていたのが見えた。


 気にしない。見ない。

 敷石の上に盆板と飯鉢と帰り包みとをざっと置き、右側の扉の戸止め棒を引き抜いて扉の内側にひっかけて閉じつつ、左側の戸止め棒も引っこ抜いて左側の扉に引っ掛ける。

 ぎっ、と扉が開く音をかき消すように左側の扉も閉め、左手で抑えつつ右手で錠前を外す。

 その左手に扉の向こう側から、どん、と押されるような感覚。

 思わず落としかけた錠前をなんとかキャッチして、必死に閂をかけた。

 どん、どん、と手に伝わってくる振動。

 気にしない。聞こえない。知らない。

 震える手で錠前を手に取り、閂を閉じると、板鍵を抜いて再び首へとかける。

 やけにひんやりとした紐の感触に鳥肌が――既に立っていた鳥肌がよりくっきりとざわついた。

 一礼。

 一瞬の静寂。

 烏が一斉に飛び立つ羽音に辺りが包まれ、入り口扉の向こうの気配は遠ざかった――ように感じたその瞬間、どん、とまた中から扉を叩く音。


「当代! 帰り包みを拾え!」


 先々代が僕の上で傘を広げて振る。

 烏が帰り包みをついばもうと周囲に寄ってきている。

 慌てて帰り包みと飯鉢とを拾いあげ、盆板の上へと乗せる。


「礼を忘れるな!」


 しっかりと頭を下げる。

 それから叫ぶ。


「野辺ー送ーりー、しまーいー」


 次に匣鞍の右側へと立ち、礼のあと匣鞍の扉を開く。

 盆板を中へしまって閉める。そして礼。

 それから送り車の真横へと立つ。

 送り車を挟んだ向こう側には先々代も立っている。

 二人で送り車の台板――二枚ある簀の子のうち上側のを台板と言う。この台板だけを持ち上げ、野辺帰りのときは裏表をひっくり返すのが習わし――なんだけど、裏表をひっくり返した瞬間、ギョッとした。

 台板の裏側に、人のような影がしがみついていたから。

 先々代の様子を見ると、見えてなさげ――いやもしかしたら「こちらが見ようとはしていないから見えない」ができているだけなのかもしれないけれど。


「当代」


 先々代には本当に迷惑をかけている。

 集中しないと、と止まっていた手を再び動かし、台板がちゃんと裏返っていることを確認する。

 続けよう。とにかく儀式を。


「これーよーりー、野辺ー帰ーりーなーりー」


 一声あげ、再び歩き出す。

 遠目に見える橋の上では、参列者の方々と『もくべさん』とが橋の向こうまで戻り始めている。

 僕たちが橋のこちら側のたもとに到着する頃にはきっと、通りから人っ子一人居なくなっているはず。

 野辺帰りは野辺送りに比べて遥かに忌みが濃い。

 特にここの人たちにとっては。

 今の僕にはわかる。

 習わしだからじゃない。本当にわざわいにつながるからだ。

 あの黒い足も相変わらずついてきている。

 安置場の奥に居た何かと一緒に中に残ってくれたらいいのに、と考えかけて、また思考がそれに囚われていることに気付く。

 手綱を引いていないほうの手をぎゅっと握り込む。

 桃歌がすぐそばに居てくれることを考えて。

 そして前を見る。

 見ない。

 聞かない。

 知ったこっちゃない。

 名前を呼ばないのと同じ。認識をしないということが、生者と死者との間に境を作る。ある種の結界。

 あとほんの少し我慢すればいい。野辺帰りを終えてしまえばいい。

 早く、早くと気持ちは焦る。

 だが足取りは重い。

 何かにしがみつかれているのではないかと思えるほど。

 それでも一歩、一歩、前へと出し続ける。

 体感で送りよりもかなり時間をかけ、ようやく野辺の渡り橋まで帰ってきた。


「野辺ーのー渡ーりー橋ー帰ーらーんー」


 橋の向こうにはもう人の姿はない。

 最近では野辺帰りを見たら祟られるという噂まで出回っている。

 だからあの昼間っから無人の街も見慣れてしまった。

 橋の上へ一歩を踏み出す。

 その足にまとわりついている重さは変わらない。

 そして僕らの周囲に蠢きつきまとう影たちの量も。

 橋の半ばまで来ても、減ることなく。

 僕が『おくりもん』の当代となった頃は、この橋を帰り始めたら影は随分と減ったものだが、今はこの橋も境界の役割を果たしていない。

 だからといって儀式は儀式として省略するわけにはいかない。

 足の重さを堪えて、耐えて、意識の中から排除して、なんとか橋を渡り終える。


「野辺ーのー帰ーりー通ーらーんー」


 生きた人の気配のない道に、やけに声が通った。

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