第37話 夏 ⑩

 大剣の刃はぶよぶよとした表皮を叩き切り。その下の頭蓋にめり込んだ。竜の眼窩からは頭蓋の内容物に押し出された眼球が二つとも飛び出し、ぐぷぅと間の抜けた音も一緒に漏れた。

 この白っぽい竜の頭を潰したという手ごたえが、夏にはあった。しかし、竜の前足には立ち上がるための力が込められようとしていた。

 だから、夏は武器に流し込んでいた熱を解放した。沸騰した体液が竜の頭部を内側から弾けさせ、夏の靴にピンクのなにかがへばりついた。今やその顔に残っていると形容できるのは下顎のみという姿で、竜は一瞬静止し、そしてまた動き出した。


「離れろ!」


 遅れて部屋に侵入した誰かの指示に夏が従うと、竜は緩慢な動作で立ち上がり、水を払い落とすように全身をふるった。びちゃびちゃと音を立てて肉片があたりに飛び散る。

 下顎だけの竜は六本の足を持ち、体を滑らかな白い鱗に覆われていた。立ち上がった竜は、見上げた夏に影を落とすような大きさで、頭の残骸から血と肉のミックスジュースを垂れ流している。


 夏は大剣を構え、再びそれに自身の力を流し込みながら呟いた。


「なんで生きてる?」


 夏に追いついた隊員の一人、索敵要員の男がその疑問に答えた。


「やつは胸だけでなくて、六本の足のそれぞれにも心臓があるようだ」

「いや、頭潰したんだけど」

「ああ、どうやらすべての心臓にあの体を操作する器官が絡みついている」

「脳みそがまだ六つあるってこと?」

「脳ほど高い思考能力はないようだが、戦うための簡単な命令はそこが出している」


 分析系のスキルを持つ男には竜の体内の様子まで見えているらしい。ユーリが各員に戦闘態勢を取らせながら男に質問する。


「視覚や聴覚にも代替器官が?」

「いいえ、それは見当たりません。しかし、そもそもこの竜は感覚機能をほとんど触覚に頼っているようです。それにどうやら活動に酸素を必要としていません」

「魔力が切れてからでないと死なない可能性もありますね……そのまま分析を続けて、能力が判明したらすぐに知らせてください」

「はい」

「それと、個体名は」

「シャリです」

「……相変わらずふざけている」


 頭からやったのは失敗だったかな、と、夏が思っていると、隣でユーリが懐からなにかを取り出した。


「心臓が足にあるのなら、移動能力は強化されているのか、それとも弱体化しているのか、どちらでしょうね」

「さあ……」

「どちらにしても、動きは封じる必要があります」


 ユーリが手に持ったのは何重にも巻かれた糸玉だった。

 ブリーフィングで知らされていた、国宝指定のアイテム。


 国家の存亡の危機でも、大蔵おおくらの鍵を握る者たちは財宝を出し渋った。きっと戦いに役立つ宝が数多く眠っていただろうに、突入部隊の隊長であるユーリにだけ、国宝が一つ貸与されたのみだった。

 『落天冠』と呼ばれる蚕糸を手甲にマウントしながら、ユーリは夏との情報共有を続ける。


「竜に分類されるモンスターは射撃能力を持っているものですが、標的には確認できませんね。六本の足と一本の尾。どれにも噴射孔は見当たりません」

「口から吹くんじゃないすか。あれ、ブレスってやつ」

「それは胸の心臓の形状からわかりますね?」


 ユーリの視線に、さきほどの男が答える。


「胸の心臓は足のそれぞれよりやや大きい程度、ブレスを撃つには小さいサイズです」

「では、竜ではない? 最後のフロアの主が……?」

「識別スキル、弾かれます。種族名不明、個体名のみしか判断できません」

「竜かどうかとかどうでもよくないすか? はやく終わらせないと南側に遅れますよ」

 

 夏がいら立ち交じりにそう急かすと、ユーリはやっとうなずいた。


「そうですね、そこは今は捨て置きます。及川さん、あなたは足を斬ることを主目的に動いてください。私たちはあなたの動きに応じて別の足を狙います」

「了解」


 返事をして話を終わらせようとした夏に、おずおずと進み出た出穂が呼びかけた。


「先輩! あの、さっきは!」

「あたしが助けたんだから、今度は沢村があたしを助けろよ」

「……あのっ、頑張りますんでっ」


 頼りない返事に苦笑する夏に向かって、竜が突進してくる。


「どいとけっ」


 夏は一人飛び出て竜の進路を変更させると、自身も加速をかけ、ぎりぎりで巨体を避けた。すれ違いざま、薙ぎ払われた大剣が竜の右足を一本溶断する。石柱を思わせる太さの足を吹き飛ばされた竜が身悶えしながらよろめき、体を大きく傾けさせる。その様に、部屋のあちこちから雄たけびと歓声が聞こえた。


「頼むぞ及川!」

「全力でサポートする!」


 額の汗を拭いつつ、夏は、


「うるせぇよ……」


 と、つぶやいた。


 社会集団の中で暮らそうとすれば、否が応でも結ばざるを得ない、友人とも言えない人々とのうっすらとした縁。喋るのにも動くのにも、何をするにも、誰かの心理というものを意識しなければいけない。網の目として張り巡らされたそのつながりにがんじがらめにされるのが嫌で、人から離れていたというのに。


 今の夏は、日本中の名前も知らない連中に、そいつの命運というものをくくりつけられている。体中から垂れ下がった希望という名の糸に進退を左右されるのはたまらなく不快だった。

 人付き合いは嫌いなくせに、好きになった人とはなれ合いをしたくなる自分も。


 目前の危機と関係のない物思いは、体の芯で溜まり続ける疲労によるものだ、と夏は気が付いた。


 呼吸の感覚が段々と短くなってきている。どくどくと聞こえるほどに脈打つ心臓には突っ張るような圧迫感があり、馬鹿げた馬力を生み出す足腰は言うことを聞かせるのが難しくなった。

 スキルというものは通常MPを消費して使用する。だが、夏のこれはMPを消費していない。それどころか、体力も魔力もスキルを発動すればするほど湧き出てくる。   

 きっとこのスキルは、もっと生命力の根っこに近いものを削っている。そういう確信が夏にはあった。【原初の炉】から引き出せる熱は決して無尽蔵ではない。少なくとも、これは何の代償もない力ではない。


 それでも夏がグリップを握ると、刀身が脈拍の数だけ赤みを増し、内側に熱をみなぎらせた。


──────────────────────────────────────

 アイテム名:『落天冠』

 レア度:S

 概要:このアイテムの所有者がMPを消費している間、このアイテムは変形しない。なお、MPの消費量はこのアイテムにかけられている荷重に応じて変動する。

 発見者:伊津寛八

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