第9話 飯島さやか 34歳

「だーからじいちゃん、もう1192つくろう鎌倉幕府って覚え方は教えてないんだって!」

「おめ、俺が老いぼれだからって馬鹿にすんのも大概にしろよ! 大化の改新は645年! 鎌倉幕府設立は1192年! まだまだ俺の記憶は衰えてねえぞ!」

「だぁかぁらああ! ジジイ! その記憶が間違ってるんじゃなくて教え方が変わったって言ってんだよ! これ見ろ! ほら、教科書見ろ! このページだって!」


 ちらっ。さっ。


「おい! 目え開けろよてめえ! なに逸らしてんだコラ! 今見ただろ、おい!」

「……」

「じじいいいいっ! 聞こえてねえのか!? ぼけてんのか!?」

「ボケてねえわクソガキ!」

「じゃあ見ろって! ここ!」

「……」

「じじいいいいっ!」



「なっちゃんうるさい……」

「なっちゃん?」


 声に驚いて目を開ける。モンスターの待機部屋くらいの大きさの空間。目の前にはハンチング帽を頭にのせた銀髪の女性がいて、俺は暖かくて柔らかいものに包まれて寝ていた。


「……!? なんだこれ!?」


 床に寝ている俺は青みがかった半透明のぶよぶよに体を呑み込まれている。スライムっぽいけど、不思議とあいつらにつきものの湿った感じはしない。ウォータベッドがこんな感じだったような。


「あれ、知りません? スヤイムくん」

「……?」


 なにいってんだこいつと思いかけたけど、そういえばそんな名前でグローバル展開している商品があった。

 キャンプ用の椅子に座った女性は俺が辺りを見回しているのを見ると頷いて、


「その分だとケガはもう大丈夫そうですね。治療が間に合ってよかったよかった」


 その一言で、俺は自分がアホみたいな大きさの狼に襲われたことを思い出した。

 

「……あ、あなたが助けてくれたんだすか!?」

「そうだす」


 俺はスヤイムくんから抜け出ると、石の床に頭を擦りつけて土下座した。


「ありがとうございます! ありがとうございます! もう、死ぬかと思って……」

「あはは、ダンジョンでの救助ですから、困ったときはお互い様ですよ。生きててよかったですね」


 めちゃくちゃ久しぶりにかけられた暖かい言葉に、心細さでガチガチに凍っていた心が溶かされる。俺はもう涙がぼろぼろ出るのを止められなかった。


「ありっ、ありっ、ぶぐっ、ううっ、うおっ、うおっ、うおおおん」


 女性はおっさんの号泣に少し怯える様子を見せたけど、それでも俺を放っておいてくれた。


「落ち着きましたー?」

「うぐっ、ばい……」

「まだっぽいですねー」

「いえっ、大丈夫だす。あの、あなた様はどちらでいらっしゃられるのでしょうか……?」

 

 肩口まで伸ばした髪を揺らしながら、女性はニコリと笑って答えた。


「私は飯島さやかです。もちろんダンジョンを攻略するのが仕事です」

「お、俺は九鬼重正です。多分会社がつぶれたので無職です!」

「それはもう、なんていうかかける言葉が見つかりませんね~。あ、もしかしてそれで死にたくなって丸腰でダンジョンに来たんですか?」

「違います!」


 俺は色々事情を説明した。


「俺の【進化】っていうスキルは丁判定で……」

「この間じいちゃんが死んで……」

「あと日本が終わるらしくて……」

「それでもやることないからダンジョンに来たら襲われて……」


 死にたくなってきた。


「お、俺はっ、38歳でレベル18の無能ですっ……! うぐっ、ぐびんっ」

「あはははは、いきなり身の上話をされても……え? なんで日本が終わるんですか?」

「おっ、俺もよく知らないんですけど、なんか都庁がダンジョンになったらしいですよ」

「へえー。それっていつの話ですか?」

「ええっと、多分おとといとかです」

「ああ、そんなもんですか。なら多分まだまだ持ちますよ。一応この場合の即応部隊が編成されてますから。命令がなくても動く人たちです。都庁が陥落するにしても三か月くらいですかね」


 なんでそんなことを知っているのだろうという俺の視線に、飯島様は苦笑して答えた。


「私は五年前までそこの部隊にいたんです。首都防衛に関しては結構首脳陣に近い階級だったので、それくらいの予想はつきます」

「はあ、すごいですね」

「いえいえ。それでも三か月後には向こうは大混乱でしょうね。仙台ダンジョンと松山ダンジョンはきっと他国に占領されますし、首都には飽和爆撃が行われるかもしれない。どうしましょうか」

「な、なんか他人事ですね」

「そりゃあだって、海を一つ越えた先ですから」

「海を?」


 飯島様は口元の微笑を崩さないまま首を傾げた。


「もしかして九鬼さん、ここに非正規の手段で来ました?」

「えっ、あ、はい」

「ああやっぱり。ではここがどこかもご存じでないと」


 違法行為を暴露した俺を軽蔑するでもなく、飯島様は落ち着いた声で言った。


「ここ、中国の邽山けいざんっていうダンジョンですよ」

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