第29話:『焦燥』

 キョウヤは配下の工作部隊から王都の防衛体制が強化されたという報告を受けた。


「やはりそうなったか⋯⋯。思ったより動きが早かったけれど、想定通りではある」


 敵のスパイス生産拠点に乗り込んで回収したスパイスは本国への思わぬお土産になったけれど、キョウヤの目的はスパイスではなかった。欲しかったのは敵の防衛に関する情報だ。


 敵の陣営の中で最も防備が固められているのが王城とスパイス拠点だと思ったので、キョウヤは小手調べのためにスパイス拠点に忍び込んだのだ。


 そこには想像をはるかに超えた性能の魔道具が敷き詰められており、おそらくキョウヤにすら検知できない性能のものもあったと思われる。


「だけど『魔石殺し』は機能した」


 キョウヤは【生成】スキルで一時的に魔石の機能を阻害する物質を作り出すことに成功していた。その物質は揮発性が高いので、他の薬剤で敵の動きを止めている間に充満させれば魔道具を止めることができる。


 今後対策手段が考案されることも織り込み済みだ。今回薬剤を散布するという方法しか取っていないが、キョウヤが生成できるのは単純な化学物質だけではない。レベルが上がってきたことで『魔道具の動きを止める働きを持つ石』を直接生成することも可能だ。


「取れる手段は無限だ。単純な手段を使って敵の力を丸裸にしよう」


 数日後にはユウトに謁見することが決まっている。

 キョウヤ自ら敵の本拠地に入り込むことができるのだ。このチャンスを逃す道理はない。


 しかし、王都に入ってから謁見の日を待つ間に良くない報告ばかりが届けられた。


「キョウヤ様、また工作員が捕縛されました」

「キョウヤ様、どうやら教会の隠密部隊に張られています」

「キョウヤ様、敵の騎士達の士気が異様に高い状態です。どこかに出陣でもするんでしょか?」


 少しずつ工作部隊の力が削がれている。キョウヤは敵を想像以上に刺激してしまったかもしれないと思うようになった。


 こうなってくるとユウトと対面することに対する緊張感が生まれてくる。


 策略がばれていないか、自分が関与していると気づかれていないか。

 そもそも万能薬によって自分が世界を下落させているということがバレてしまったのではないか。


 キョウヤの頭は疑心でいっぱいになった。


 そして気持ちを落ち着けることすらできないまま、ユウトとの謁見の日がやってきた。





 キョウヤが謁見の間に入るとそこには玉座に座るユウトがいた。

 戴冠の儀はまだだが、実質的には王権を譲られたというのは事実だったようだ。


 キョウヤはユウトから威厳のようなものを感じた。それは謁見の間という場の力かもしれないし、ユウトに王の自覚が芽生えたからかもしれないが理由は分からなかった。


 この国の礼儀に従い、キョウヤは跪いて顔を伏せた。


「キョウヤ殿、顔を上げてくれ」


 重い声が聞こえてくる。

 言われた通りに顔を上げると、人懐っこい印象だったユウトはそこにはいなかった。


 いかめしい顔のユウトは歓迎の言葉を述べながらキョウヤの顔をじっと眺めている。

 そして話し終えたと思うとすぐに席を立ち、謁見の間から出て行ってしまった。


「キョウヤ様はユウト殿下と大変親しい仲だと聞いております。殿下の私室にご案内します」


 キョウヤが所在なさげにしていると声をかけてくる者がいた。

 立派な佇まいの女性だ。格好はメイドだけれど位はかなり高いのかもしれない。


 あまりにもあっさりと謁見が終わったのでキョウヤは拍子抜けしていたけれど、これからが本番だと思って気持ちを立て直し、メイドの後に続いた。




 メイドの案内に従って進むとどんどん王城の奥に案内された。キョウヤは最終的に人のいないエリアにまで入り込み、重厚な扉のついた部屋に辿り着いた。


「殿下、キョウヤ・イワブチ様をご案内いたしました」


「入ってくれ」


 ユウトの声に従い、メイドがドアをゆっくり開ける。

 キョウヤが中に入るとそこには大きいソファに座ってふんぞりかえっているユウトがいた。


「よく来たね、キョウヤ。もう威厳を取り繕う必要もないし、堅苦しいことは抜きにして話そうよ」


 ユウトはニカッと笑顔を浮かべた。

 その顔にキョウヤは思わず嬉しくなった。


「⋯⋯良かった。王になることが決まって人まで変わったのかと思ったよ」


「ああいう場ではあんまり自分を出さないようにしてるんだよ。偉くなった途端に慣習を大きく変えるとみんな混乱するからね。でも少しずつ緩くはしていこうと思っている」


 苦笑いするユウトを見て、想像以上に苦労しているのかもしれないとキョウヤは感じた。


 冷静に考えると異世界に来てたった何年かで王になるのには想像を絶する困難があるのだろう。自分にはできる気がしないとキョウヤは考えた。


 苦労話をさせるのも悪いのでキョウヤは話を変えることにした。


「エレノア様は元気か?」


「あぁ⋯⋯元気だよ」


 キョウヤがエレノアのことを聞くとユウトはバツの悪そうな顔をした。何かあったのだろうか。


「⋯⋯それは良かった」


 気まずい空気を感じてキョウヤは無難に応じることにした。

 そんなキョウヤの様子を見て、ユウトは慌てた。


「あ、いや、変なことがあった訳じゃないんだ。ここだけの話だけどエレノアが妊娠してね⋯⋯」


 なるほど、そういう話であったら他国の人間である自分に言うのが憚られるだろうとキョウヤは納得した。


 ユウトが言うのを躊躇ったのは複数の女性を妊娠させた気まずさからだったがキョウヤはそこまで気が付かなかった。


「御懐妊おめでとう!」


「ありがとう!」


 キョウヤは心からのお祝いを伝えたつもりだった。だけど照れたように笑うユウトを見て、腹の底に度し難い何かが産まれたように感じた。


 しかしそれを表に出してしまってはまずいのでごまかすことにした。


「⋯⋯ユウトももう一児の父なのかぁ」


「そうなんだよねぇ⋯⋯こんな僕が親になっちゃうなんてね。いつかそういう時が来るとは思っていたけれど、まさかこの歳で結婚するとは思ってなかったからなぁ」


「まだ実感は湧かないもの?」


「そうだね。実感が全くない訳じゃないけど、生活もまだそんなに変わっている訳じゃないから」


 他愛もない話をしながらキョウヤの頭の中に獣のような呻き声をあげるカシアの姿が浮かんできた。


 キョウヤもカシアと添い遂げたいと考えていた。

 結ばれたいと想っていた。

 ユウトとエレノアのように幸せを感じながら子供を作ることができたらどんなに幸せだっただろう。

 その考えに至った時、キョウヤの腹に芽生えていた嫉妬の感情は熱を帯び、破裂しそうになった。


 しかしその時、目の前にいたユウトの雰囲気がグッと重いものに変わったようにキョウヤは感じた。


 ユウトは変わらず笑顔を浮かべているが目は笑っていないように見える。


「――だけどさ、やっぱりエレノアにも子供にも健康でいてほしいよね。この世界には回復魔法があるけれど、それで全てが解決するわけではないでしょ? だから神聖国の『万能薬』があったらなぁと思うんだけど、キョウヤは何か知っている?」


 試されているとキョウヤは思った。


 もしかしたらユウトは全てを知っていて、カマをかけているのではないか。

 そこまでではないにしてもこの返答次第で全てが変わってしまうのではないか。


 過程はどうあれ、ユウトが確信を持った時点で自分は終わる。

 そんな気がしてならなかった。


 突然息がうまく吸えなくなる。

 喉が締め付けられるような心地がする。


 キョウヤは恐慌状態になるのを必死に抑えて返答した。 

 

「⋯⋯俺にも分からないんだ。あの薬は上層部の人間が作っているようなのだけれど、誰がどんな風に作っているのかも明らかにされていない。だけどユウトが欲しいと言えば、例えばカレーと引き換えにもらうことはできるはずだよ」


 声の震えもごまかせた。うまく答えられたはずだ。

 そう思っているとユウトも「そうだよなぁ」と言った。


 キョウヤは早いところこの場所を立ち去りたいと思うようになっていた。

 ユウトの動きは読めないし、言葉にできない圧迫感がある。


 本来であれば一緒に食事をして思惑を探りたいところだけれど、このままではキョウヤの方がボロを出す可能性が高い。


 どうしたら良いかとキョウヤが考えているとユウトの方から思いがけない提案があった。


「⋯⋯そうだ。キョウヤ、神聖国との交渉を仲介してくれないか? 後でピネン王国から出せるカレースパイスの量を知らせるから、できる限り多くの万能薬を融通してくれるように掛け合って欲しいんだ」


 平時であればキョウヤも慎重にユウトの意図を察しようとしただろうけど、余裕がなかったので反射的に請け負ってしまった。


「分かった。すぐに本国に戻って確認するよ」


「頼むよ」


 キョウヤは助かったと思った。

 そのあとの会話も特に内容のないものだったのでキョウヤは落ち着きを取り戻すことができた。


 そして「また来てくれ」という言葉に明確に答えないようにしながら足取り軽く部屋から出ようとした時、ユウトに引き止められた。


「キョウヤ、僕の戴冠式にはもちろん参加してくれるよね? 親友で同郷のキョウヤには一番良い席を用意するからさ!」


 キョウヤは高速で頭を回転させたけれど良い逃げ方を思いつかなかったので、精一杯笑顔を作って「もちろん!」と答えることしかできなかった。

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