第3話 迷子

 街道なんてなかった。


 ちゃんとアンファングを南に出た。目の前にはすぐ木立が見えて。

 道はどこだろうと、ちゃんと確認した。どこにもなかった。

 きっと地図マップを頼りに行くのだろうと、安易な判断をしたのが敗因だと思う。


「あー……うん。そうだよね、最初ってわかんないよね……」


 やや視線を遠くにしながら、神官アシュアがつぶやいた。綺麗に形作られた深い青のボブカットが、顎を上げるのに合わせて動く。同じ色の瞳が帰ってきて、美しく微笑んだ。


「地図、見える?」


 くるりと白い指先が彼女の左上を指す。

 頷くと、ユーナのほうにも地図が表れた。視界の範囲でのみの表示である。切り替えれば、町から現在地までの詳細と、更に呼び出し続ければ周辺の概略図が呼び出せる。


「これね、予め設定しないと、進行方向が上になっちゃうの」

「えっ!?」


 地図って上が北じゃないの!?


 まさかまさかと思いながら、設定を押していく。すると……標準は「進行方向:上」となっていた。そのとなりに「常に地図上部を北とする」がある。地図をよく見直すと、北を示す記号が小さく小さく半透明にきらめいていることに、今更気づいた。現在地=アンファングの西、である。


「地図読めない子がいるかもしれないってことで、カーナビみたいになってるのよー」


 小学校で教わった地理の授業内容を正面から蹴り飛ばされ、頭を抱えた。

 つまり、南に出ようと思っても、歩く方向によってマップがくるくると回るのだ。


「……地図読めないやつに方位記号が読めるわけないよな」


 ぽそっと全身真っ赤、仮面まで赤で怪しさ爆発中の魔術師ペルソナが毒づく。返すおことばがありません。


「とりあえず、どうする? 送っていくか?」


 両手剣を地面に突き刺し、柄の部分に顎を置いて三人を見回すのは、ひとの下着姿をしっかり見やがった……もとい、今は額から血がダラダラ出っ放しのエフェクトが見える剣士シリウスである。お怒りのアシュアに治療してもらえていない彼のHPは、じわりと減っては戻るを繰り返していた。自然治癒力が高いので、座っていればあの程度の怪我なら治るそうだ。クリティカルヒットなのにすごい。


「いえ、これ以上ご迷惑はかけられませんから……自力でエネロまで行きたいと思います」


 服だけではなく、食事や飲み物まで分けてもらって、本当に足を向けて寝られない状況だ。地図の読み方もわかったし、現在地からアンファングとエネロであれば殆ど距離的に変わらない。森狼を倒すのは難しいだろうが、魔幼虫ラルバくらいなら何とかなるだろう。腰に佩いた初期装備の短剣を確認して、再び戻した。


「エネロまで? それなら一緒に行きましょう」


 ピコン!

 軽やかな音を立てて、目の前に「アシュアからのパーティー参加要請です。参加しますか? はい いいえ」の二択が表示された。

 彼女の弾んだ声には少しもためらいがなく、どこか嬉しそうですらあった。


「アンファングに戻るっていうなら、がんばってーって思ってたけど……エネロに進むなら、行先同じだしね。私たちマールトに戻るから、少しでも転送費用安いほうがいいのよ」


 集落ごとに転送門ポータルがあり、旅行者プレイヤーの誰かが集落のクエストで転送門を開放すれば、誰でも利用することができるようになる。但し、クエストをクリアしていない場合の転送門の利用は非常に高価で、逆にその集落の転送門開放クエストを行えば、格安の料金で転送門の利用ができるという。格安とは言え、距離に応じての金額となるし、まだ幻界ヴェルト・ラーイは始まって間がないため、現金の価値が高い今であれば、納得の理由だった。


「――助かります、ありがとうございます! おことばに甘えさせていただきます……っ」


 はい、を押した途端、空気が変わった。


 セルヴァは弓を番え周囲を見回し始め、シリウスは剣を引き抜いて立ち上がり肩に担ぐ。ペルソナが木製の杖に手を這わせながら、吐き捨てた。


「大当たりだな、アーシュ」

「こんなとこで引くなんて思わなかったのよー……」


 苛立ちを多分に含んだペルソナのことばに、アシュアが頭を抱えるようにして額飾りサークレットを直した。

 いったい、何が起こっているのだろうか。


「ユーナ、あなたのおかげでレベル上げになりそうです」


 優しい面立ちで、少し硬い声でありながら、セルヴァが言った。そこで、パーティー・メンバーにだけ表示されるステータスバー、その隣にある数字を見て、ユーナは初めて彼らのレベルに気付く。


「二十五……っ!?」


 今現在、開放されているレベルキャップが三十である。

 まぎれもなく、トップレベルに近い人たちであることに、ユーナはようやく理解した。

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