第六話 深淵の鎮魂歌(その三)

 担任の説教は一時間に及び、解放されたのは外が完全に真っ暗になってからのことだった。

 暗い道は物騒だから寄り道せずに帰るのだぞ、などと云われた。だが、そもそもあなたの説教が無ければ明るい内に帰れたでしょうに、という正論はそのまま胸の内にしまっておいた。どうせ校内で暗くなるまで時間を潰し、恒例の夜間巡回に勤しむつもりだったからだ。

 の教師に言わせれば、六限目のみ顔を出して出席日数を稼ぐなど言語道断ということらしい。

 ならば、丸一日シカトして完全なサボりを決め込む者は、たとい一限だけでも授業を受けようとする殊勝な生徒よりも上等なのですか。そう問うたら「屁理屈言うな」と怒られた。

「先生、あなたが高校生だった頃に、屁理屈口答えは一言一句一切口にしなかったとでも?」

 そもそも高校生というヤツは、そういう揚げ足取り的な物言いをしたいお年頃なのです。その辺りを慮って対応するのが、むしろ大人の度量というものではないのですか、そう付け加えたらその数倍の説教となって返ってきた。全く以て大人げない。

 取り敢えず、陽が暮れるまでの暇潰しくらいにはなった。毎日だと御免被るが、たまにコミュニケーションするなら手頃な相手だ。担任先生さまも授業後の残務が残っているだろうに、あたし一人にたっぷり一時限分も時間を割くなど豪勢なことである。会釈し「ご苦労様です」と、本心より挨拶をして職員室から出て行った。

 やがて陽が暮れ校舎の中から人気が無くなり、一切合切がらんと為って、あたしの時間になった。

 初めて来た夜に学校の中は子細に見て回って、通り道と思しき「回廊」や、ヤツの食堂であろう教室の特定は出来ている。学校といった閉塞された空間の中で、ヤツら食堂は大抵一箇所だ。複数ということは滅多に無い。だからソコで張り込めば必ずヤツがやって来る訳なのだが、それが今日なのか明日なのかそれとも一週間後なのか、それは分からなかった。

 それに必ずしも食堂で餌をシメるとは限らない。何処か人目に付かない物陰でさくっとヤって、静かになったところを持ち込むという事も在り得る。事実何度かそんな現場もあった。

 全ての箇所、全ての場面に目が届く筈も無いから、必要損害として割り切っても良い。だが、割り切られた当人はたまったものではないだろう。そんな訳で食堂には見張りを置いて、連中の食事時間は巡回を続けるというのがあたしの基本的なルーチンだった。

「とは言え、今夜は出て来そうに無いね」

 何というか、漂う空気にそんな気配が感ぜられないのだ。狩りのある夜はもっとぴりぴりヒリヒリと張り詰めている。

 被害の周期は大体二、三週間ごと。アチコチの現場を回ったが、これを大きく外れたことはない。時折食い足りない分を極めて短い周期で襲うヤツも居るが、そういう欲求不満を溜め込んだ臭いもしなかった。今回の目標は並みのサイズ。恐らく平均程度かちょっと小ぶりなくらいと目算している。

「デコピン。小一時間ほど休憩するからしばらく番しといてくれ」

 スマホの向こう側から不機嫌そうな声がしたが構わず切った。そしてそのまま切り替えてテレビのチャンネルを開いた。ちょうどオープニングで「深淵の鎮魂歌」と、題字が画面一杯に浮かび上がるところだった。


「あ、兄ちゃんお帰り」

 兄が帰宅したのは、飯山君子が夕食後の林檎を囓りながらテレビのグルメ番組を見ている最中の事だった。特に見たい訳でもないのだが、この後は楽しみにしているあのドラマが始まる。見逃す訳にはいかなかった。

「父さんはもう帰って来たんだ」

「夕食には間に合うように帰って来ようよ。また図書館に入り浸っていたんでしょう。兄ちゃん頭良いんだからそんな勉強しなくてもイイだろうに」

「そういう訳にはいかないよ。それにうちの学校って授業内容の参考書が充実してるし、課題するのに手間も省けるし」

「学校の図書館だけじゃないぢゃん。また本屋巡りやってたんじゃない?あんまり頑張ってもらうと妹が困るんですけれど」

「まぁ、ほどほどやっていれば大丈夫だよ」

「軽く言ってくれる」

「そう言えば君子のクラスに転校生が来たって言ってたけれど、どんな子?」

「ああ、邑﨑さんの事?一見怖そうだけど面白い子だよ。凄いくせっ毛の黒髪で、目付き鋭い感じ。妙に気が合ってさ。彼女がどうかした?」

「いや、ちょっと見かけて気になったから。そっか邑﨑さん、やっぱり彼女がそうなのか」

「なになに、気になるの」

「そんなんじゃないよ」

「うん分かる分かる。クールでかっちょイイもんね、彼女。まるでキョウコみたいに」

「またそのドラマの話か。そんなコトばっかり言ってるとみんな呆れて逃げてっちゃうぞ」

「そんなコトありませーん邑﨑さんも一緒、同好の士なんですぅ。この前も家に来たばっかりだし」

「え、そうなの」

「もっと早く帰って来てたら彼女と会えたのに。ざーんねーん」

「そんなんじゃないって言ってるだろ」

 慌てて取り繕うように、ぷいと踵を返した。何というか色々と透けて見える。隠し事が不得手なのだこの兄は。

 妹は自分の部屋に戻っていくその後ろ姿を生暖かい目で見守り、にんまりと口元だけで笑うのであった。


「あれは一体どういう事なんですかっ」

 あたしは東の空が白み始めるや否や早々に切り上げてアパートに戻り、シャワーを浴びて朝食を詰め込んだあと、洗濯済みの制服に袖を通すよりも早く上司に連絡した。相手が出ると開口一番食ってかかった。昨晩、件のドラマを屋上にある給水タンクの上で見てひっくり返ったからだ。

 主人公のキョウコが己の身体に住まわせた異形を発現させて、秘密結社の男をなます切りにするシーンがあった。だが、その時の彼女があたしそっくりだった。全身に手術の縫合痕が浮かび上がり、髪の毛はまるで別の生き物のか蔦の如く踊りうねって、手には刃渡り五〇センチを超える大ぶりななたを携えていた。

 しかも相手に得物を突き出して吐いた台詞がコレだ。

「『解体される覚悟はオーケィ?断末魔の準備は出来た?』だって。もぉたまんねっす」

「カッコ良かったよね昨日のキョウコ」

「アクションシーンは超控えめだけどさ、だからこそ光るのよねぇ」

 ランチタイム、数少ない友人と呼べるクラスメイトが二人して盛り上がっている。勿論それは「深淵の」ネタだ。それを聞きながら密かに溜息を漏らし、購買で買ったチキンカツサンドに齧り付いた。何だかちょっとパサパサしてるが贅沢は言えない。それに口の中がやたら乾くのは、このカツサンドだけのせいではなかろう。

 どう言えばいい、このどうしようもない居心地の悪さは。

 ちょっと前からデコピンには、首輪に似たスマートウォッチ的な某かを付けさせて仕事の内容を録画させておけと言われている。恐らく、業務内容を管理下に置いておきたいが故の措置なのだろうと軽く考えていたのだが、よもやまさかその画像音声を斯様な用途で流用しているとは思いもしなかった。

 我々の仕事を世間一般に公開するとは如何なる所存か。我らの活動は人種国家を問わず、拘わる者全てが秘匿する禁則事項ではなかったのか。それが古より連綿と続く、もっとも古くもっとも重要なヒトの掟、「沈黙の盟約」であろう。

 そう叩き付けたのだが「偶然だろう」の一言で退けられた。ふざけるなと吠えたが、のらくらとかわされた挙げ句うやむやにされた。本当にふざけた話である。

「ね、邑﨑さんもそう思うでしょ」

「そ、そうね。良く動いていたと思う」

「そうそう。そこん所も感心ポイントよ。スタント使って無いって言うんだからオドロキよね。あんだけ演技できてアクションも出来て、彼女パーペキじゃない?」

「そう言えば昨日のキョウコは邑﨑さんに似ている気がした」

「似てるどころじゃないわよ。わたしなんて見た瞬間『きたーっ』って思ったモン。その黒くうねった髪型とかはまさにそのまんまだものね」

「そう、かな」

 容易く肯定してしまうのもどうかと思い、ちょっとだけ躊躇った。しかし言い淀んだのを勘違いしたらしい。彼女は慌てて取り繕ってきた。

「あ、いやいやわたしは魅惑的ねと褒めたかったのよ。ソコんとこ誤解しないでよね。でも、気にしてたらゴメン」

「別に気にはしてない。毎朝面倒くさいなとは思っているけれど」

 適当に返事をしながらまずいなと思った。余り印象深くは為りたくない。出来れば空気みたいな存在で気が付いたら消えて失せ、「誰か此処に居たっけ?」的な状況状態が理想的だ。記憶は兎も角写真にでも撮られたら更に面倒くさいことに為るというのに、よりにもよってテレビドラマの題材にするなど何たる暴挙。

 上の者は何を考えて生きて居るのだっ。

 肚の奥底にふつふつと煮えたぎる憤懣をねじ伏せながら、あたしは必死の思いで二人に微笑み返すのが精一杯だった。

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