逆らった罰

 きららは魚を捌きながら駄々を捏ね始める。


「椎名くんさぁ、なんで灰戸が轢かれた時ぼくを呼ばなかったのさ? なんで生の死体を見せてくれなかったの?」


「灰戸は死んでねーよ……。そうじゃなくたって、死体を見るなんて悪趣味だ」


「椎名は漫画が好きだよね。いつも何読んでるの?」


「俺はスポーツものと、ヒーローが活躍する漫画が好き!」


「でも、残酷な小説やグロい漫画も売れてるよね。スプラッタホラーやスナッフビデオとかさ。そういうものを撮ったり描いたり見たりする理由は人間の根底にある好奇心――つまり本能なんじゃないかな? やみくもに危険や恐怖から遠ざかるより、その正体を探る方が種全体の生存率を高めるから」


 こいつの不謹慎さにも、そこから生み出される有益な洞察にも、もうすっかり慣れていた。でも、だからってクラスメイトの轢死体を見たいというのは理解に苦しむ。安西が倒れていた時も灰戸が切られた時も、椎名はどくどくと流れ出す血に正気を保つのがやっとだった。


「実際、情緒が未発達な幼児やアイデンティティに揺らいでいる中高生はグロテスクなものを好んだりするしね。悪趣味とはいうけど普遍的な心理だよ。こういうのはもう、そういうの好きか嫌いかってだけ。ぼくは好きなので見ます」


「俺は嫌だよ。痛そうだし怖いし……ずっとそんなものに触れてたら、罪悪感とか生死の感覚が麻痺しちゃうんじゃないかって思う」


「ふうん。ま、本能なんてまとめてみたけど、言ってみれば油分塩分糖質マシマシのスナック菓子やラーメンを食べてカロリー摂りたくなるのだって本能だからね。お行儀にも健康的にもよろしくないのは事実か、な!」


 きららは包丁を振り下ろして魚をさばく。勢い良く頭がちぎれて中の骨が覗いていた。椎名はそれをぼんやりと眺めていた。目の前で人が血を流していたというのに、普通にお腹が空く自分に驚く。


 今日のメニューは中華料理だった。数ある民族料理の中でも、中華料理はどこかグロテスクに感じるのはなぜだろう。


 食事をあらかた用意してから、きららは切り出した。


「金田ちゃんたちもバカじゃないさ。もう気づいてるけど、証拠不十分だから立件できないんだと思うけどね? 灰戸が轢かれかけたのは自作自演じゃないかって。ちなみに安西をやったのもデマ広めてるのも多分灰戸だよね」


 椎名はあんぐりと口を開けて固まってしまった。


「バカなこと言うなよ……委員長が、なんでそんなことをするんだよ? 何の得もないのに」


「さあ? あるんじゃないの。やらざるを得ない理由が」


「それならむしろ委員長を助けなきゃ」


 しかしきららは提案を突っぱねる。


「アホくさ。灰戸がなじみの人間だから肩入れしてるだけじゃん」


 きららはこちらを煽るかのように首を傾げた。付き合ってられないとでもいうようだ。


 椎名は絶句してしまった。天崎の言っていたことはもしかしたら正しかったのかもしれない。


「……なあ、もうこんなことやめて警察に任せないか? 人が死ぬぞ」


「犯人が誰を殺そうが殺されようがどうでもいいよ」


「自分が死ぬかもしれないんだぞ」


「だからいいってば。なんで死んじゃダメなの? 死んでもいいじゃんべつに。どうせ最後にはみんな死ぬし。リスク避けて人生引き延ばしたって、つまんない消化試合にしかなんないし」


「どうしてわかってくれないんだ。俺が冤罪をかぶることなんか、きららや安西や灰戸達が怪我することに比べたらどうでもいいんだよ。ネットで噂も広まってるらしいし……濡れ衣を晴らすとか、もう無理なんだ」


「なんで無理って決めつけるの⁉」


 珍しくきららが声を荒げた。


「そっちこそ、どうしてこんな所で止めちゃうの。与えられた役割を演じたら全部解決するとでも思ってるわけ? あと少しで犯人を捕まえられるんだよ!」


「……これ以上事件に踏み込んでお前まで酷い目に遭ったら、俺は絶対耐えられない。なあ、手を引いてくれ」


 きららは鼻で笑った。


 彼女はおもむろにこちらに歩み寄って来たかと思うと、足首にスナップを効かせて、椎名の股間を下からすくうように蹴り上げた。


「ぐ⁉」


 睾丸への鋭い一撃に、灼熱のような痛みが脳髄を支配する。椎名は潰れたカエルのような捩じれた声を上げて、なすすべなくその場に蹲ってしまった。


 眩暈がする。三半規管がおかしくなって畳が世界ごと回転しているようだ。どうしてこんなひどいことをするのか。逆らった罰とでもいうのだろうか。


 声も出ないで脂汗を垂れ流す椎名の耳元に、きららが唇を寄せて囁いた。吐息が耳朶にかかる。


「もし嫌になったなら、犯人探しも友達もやめていいよ。でもぼくの邪魔はしちゃだめ。わかった?」


「う……、ううう……」


 傷一つない白魚のような手が伸びてきて、頭を、頬を、顎のラインを優しく撫でてくれた。まるで愛玩動物を慈しんでいるかのように下顎を擽られる。女性らしいほっそりした指で皮膚の薄いところを柔らかく撫ぜられ、激痛に咽び泣きながらびくびくと身体を震わせた。


 愛撫されている。逆らおうにも痛くて動けない。椎名は必死の形相なのに、相手は余裕たっぷりで涼しい顔をしている。きららは女だからこの感覚を想像すらできないのだ。


 それから仰向けに転がされたと思ったら喉仏にキスをされた。


 そういえば人間の死体を火葬する際一般的には納骨を行う。ただ、喉仏――第二頸椎の骨だけは他より大切に扱われるそうだ。仏が座禅を組んでいる姿と似ていて、死出の旅にも縁起がいいのだという。


 やっと顔を上げられるようになって、椎名は半泣きで問うた。


「……そ、……そういえばお前、どうして警察の人と顔見知りなんだ」


「前に補導されたから」


「あの天崎って人から聞いちゃったんだけど、昔、何か事件を起こしたって本当なのか?」


「中学時代に保護観察処分になって、警察のお世話になっちゃった。でも遊びで犯罪したんじゃないよ? 遊んでたら、その遊びが法に触れただけ」


 椎名はひそかにくちびるをかんだ。


 人間に痛覚が存在するのは、自分の身の安全を守るためだ。だから無痛覚の人間は寿命が短いという。そして、それは心の痛覚の場合にも当てはめられるかもしれない。


 きららは自分の命以外のすべてに執着しない。むしろ、命すらも必要なさそうだった。探偵というのもきっと、彼女の数多の暇つぶしのひとつにすぎないのだろう。多分、すげ替え可能な肩書きだ。


 きららは一頻り椎名の髪やうなじを愛撫して気が済んだようで、ゆっくり手を離して立ち上がった。床にへばったままの椎名を愛おしそうに眺めている。


「これが最後なら残念だな。でもまあぼくはぼくで勝手にやるから。最後にいいことを教えてあげる、今夜、安西が入院する病棟の通用口に行ってみなよ。お前を陥れた犯人がきっといるさ」


 椎名は荒い息をつきながら、目の前の女をじっと見つめていた。

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