原体験

花恋亡

初恋

 今日後輩が妊娠したって報告を聞いた。

私は「おめでとう」と手を叩きながら言った。

でも多分、本心じゃない。

何とも言えない気持ちが心に淀んだ。

しばらく自分と向き合って気付いた。

そうか。

私は興味が無かったんだ。

何の感情も湧かなかったんだ。

違和感の正体。

そう、私はきっといびつなんだ。



 初恋はいつ、誰ですか?


 そんな質問が有る。

テレビの中のアイドル、目立ちたがりなあの子やこの子、人の数だけ在るのだろう。

中には幼稚園の先生と答える人も居ると思う。

それでも二十歳ちょっと位の差。


私の初恋の相手は三十六歳年上だった。

いつからと言われれば、初めてその名前を呼んだ時かもしれないし、私が女を自覚してからの気もする。


「さくさん」初めはこう。

「サクさん」次第にこう。

「朔さん」いつしかこう。

「朔也さん」本当はこう。


 お母さんの大親友の人だった。

元々はお母さんが働いていた頃の先輩だったらしい。

気が利いて、優しくて、頼れて、仕事の事もプラベートな事も何でも相談したらしい。

お父さんと付き合うかどうかすら、朔さんに相談したらしい。

本当の兄妹の様な二人の絆に、お父さんは嫉妬すら覚えなかったそうだ。


結婚が決まった時も二人は自分達の家族の次に、朔さんに挨拶行った。

その頃には朔さんは会社を辞めて、喫茶店を開いていた。


 私が産まれてからしばらくお母さんは仕事をしていなかったが、私が幼稚園に入ってから社会復帰をした。

私が具合を悪くした時、母が仕事で迎えに来れない時、さくさんが迎えに来てくれた。


両親の都合が悪い時はさくさんの喫茶店で過ごさせてもらった。

私の為にお店に新しく作ってくれたキッズスペースで、暇な時はいつまでも相手をしてくれた。

私は珈琲の匂いが好きだった。

こんなに良い香りなのに、飲むととても苦くて全然美味しくなくて、そのギャップが不思議だった。

珈琲の香りだから好きなのか、さくさんの匂いだから好きなのか当時の私は分からなかった。


 家でのホームパーティーにはサクさんが必ず顔を出してくれた。

ちょっとしたドライブなんかはサクさんの車で出掛けた。

私の誕生日は欠かさず祝ってくれた。

勉強の解らない所を教えてくれるのはいつだってサクさんだった。


 朔さんは自営業で自由だったからか、見た目が若かった。

お洒落な服装、髪型も髪色もコロコロ変わった。

それを加味しても年齢を感じさせないほど若く見えた。

童顔だと誰からも言われる母より歳下に見えた。

勝手にお父さんの方が年上だと勘違いしていた。


 朔さんの所作が、手が、淹れるコーヒーが、笑顔が大好きだった。


 私は高校生になった。

親にアルバイトをしたいと言った時、朔さんの所でなら良いよと言われた。

はじめからそのつもりだった。

朔さんは「人を雇うほど儲かってないんだけどね」と頭を掻いて、笑いながらOKしてくれた。


朔さんと過ごす時間が増えた。

コーヒーの事に詳しくなった。

軽食なら作れる様になった。

お金の扱いにも慣れた。

朔さんと同じように自然な笑顔で誰とでも接する事が出来るようになった。


朔さんの事を知れば知るほど。

朔さんとの距離が近くなればなるほど。

欲が出た。


高校二年の時に思わず言ってしまった。

「朔さんが必要無くなるまでで良いから、私を朔さんの特別にして欲しい」


答えなんて分かりきってた。

でも、あなたに触れたかった。

その背中に、髪に、顔に、唇に。

あなたの少し低い声を独り占めしたかった。

そう欲が出た。


朔さんは驚いた顔をしたが、直ぐに笑顔で言った。

「君の事は自分の娘の様に愛している。そう、それはまさしく(愛)。でも自分勝手に、君と一緒に居たいだとか君とこうしたいとか(恋)は出来ない。僕は君に(恋)は出来ない」


大人特有の、難しい言い回しで良く分からなかった。

それでも断られた事は理解出来た。


もうアルバイトに行く事は出来なくなった。

親には受験勉強に専念すると言った。

朔さんが家に来る事は無くなった。

それでも母とは連絡を取り続けていた様だった。


同年代の友達と過ごす時間が増えて、子供っぽくてつまらないと思う事が増えた。

そんな時は、尚更に朔さんに会いたくなった。


数年して母から聞いた。

朔さんはお店を閉めて、知らない県の知らない場所でまた喫茶店を始める事にした様だと。

前々から話には聞いていたが、事後報告だった事に母はとてもショックを受けていた。


母から朔さんを奪ってしまった事に罪悪感を覚えた。


あれからもう随分と年月が過ぎた。

もう何も知らない少女では無い。


今なら朔さんが言っていた意味が分かる。


あなたとこうしたい、こうなりたい。

「自分本位」が(恋)

あなたがより良い状態で在ることをただただ願う。

そこに自分の意志が介入することは無い。

「相手本位」が(愛)


朔さん、あなたはきっと今も何処かで私の健康と幸せを願っているのでしょう。

優しいあなたなら。


立ち止まって、前を見ていない訳では無い。

沢山の人達が私を確実に大人にさせた。


それでも私は今夜も。

飲み切れないコーヒーを淹れて、あなたと同じタバコに火を着ける。


嗚呼

朔さん

朔さん

朔さん

朔也さん


鼻腔が重ねるあなたを想いながら、私はあなたに包まれる夢を見る。


……………………………………………………………


後輩から

「お腹の子の成長が早くて予定日が早くなりました」

と聞いた。

私は「良かったね!」と手を叩きながら言った。

やはり私は何の感情も湧かなかった。

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