第7話 過去の弁解

 しばらく森の中を遊歩した後、湖の畔でランチをすることにした。サラの用意した大判の敷物を広げ、そこに二人で腰を下ろす。

 

「簡単なものしか準備できていないけれど、どうぞ」

 

 バスケットからバゲットとチーズとオレンジをとり、ジャックの分を手渡す。

 

「私の分も用意してくれたのか?」

「あら。要らない?」

「いや。いただく」

 

 慌ててバゲットを隠そうとするジャックに、サラは「ぷっ」と笑みを零した。

 

「なんだ?」

「私がランチを持ってこなかったらどうするつもりだったの?」

「ああ。そのときはこれを」

 

 ジャックは腰に下げていた布袋からリンゴを出した。

 

「それだけ?」

「もう一つある」

 

 布袋からリンゴをもう一つ出してみせた。

 

「呆れた」

 

 そう言いながらもサラは眉を下げて涙が滲むほど笑った。あんまりにもサラが笑うのでジャックもつられて笑った。一頻り笑った後、小鳥たちに囲まれながら二人はランチを楽しんだ。トマトスープを手渡すと「サラが作ったのか?」とジャックは喜んで食べた。

 

「あの手紙の返事はどうするんだ?」

 

 カモミールティーでお茶にしていると、ジャックは昨日の手紙のことを切り出した。どうやら気になって仕方がなかったらしい。

 

「どうって、無視するわ」

「無視するのか?」

「ええ」

「返事も書かないのか?」

「ええ。それが私の返事だもの」

「そう、なのか」

 

 ジャックはなにやら逡巡している。サラは彼が何を考えているのか知りたかった。

 

「なんでも聞いていいわよ。胸が痛むことは何もないから」

 

 あっけらかんとそう言うサラの様子を伺いながらも、ジャックは「聞いてもいいか」と質問を口にした。

 

「レオン殿下とは穏やかな時間はあったのか?」

「穏やかな時間?」

「ああ。婚約していたのだろう。二人の絆を育む時間はあったのか?」

 

 レオンと過ごした時間を思い返してみる。二人で過ごす時間がまったくなかったわけではない。にこやかにお茶を飲んだときもあるにはあった。しかしそのどれもが、サラは張りぼての自分で居なければならなかった。

 

「小さい頃はあったわ。何も考えず王城の庭を二人で遊びまわったの。でも王妃教育が始まってからは全然ダメね。レオン様も私もその立場から動けなくなってしまった。息苦しかったの。私が私でなくなりそうで」

「それをレオン殿下に相談することは?」

「できなかったわ。だからレオン様に別の好きな人ができても仕方のないことだと思えたの。私は私の役割を全うすればいいと。それが私をどんどん雁字搦めにしていったわ」

 

(毎日逃げ出したかった。楽しいことなんて何もなかった)

 

「お父様には申し訳ないけれど。婚約破棄を言い渡されたとき、ほっとしたのよ。ああ、自由になれるんだって」

「王妃になりたくなかったのか?」

「それが私の使命だと思って頑張っていたけれど、ああいうものは愛があるから耐えられるのよ。私にはそれがなかった」

 

 眉を下げて笑うサラの掌に、ジャックは自身の掌を重ねた。温かいそれにサラの心臓は跳ね上がる。

 

「もう一つだけ聞いても?」

「ええ。どうぞ」

「伯爵令嬢をいじめたというのは?」

 

 サラは目玉が飛び出るかと思った。

 

「そんなことまで知っているの!?」

「それが原因で国外追放となったのだろう?それでレオン殿下は伯爵令嬢と婚約されるのではないかと伝わって来ていたのだが、昨日のあの手紙の様子だとそれは難しかったのだろうな」

 

 大きな溜め息がつい漏れ出てしまった。

 

「エミリア嬢が何をレオン様に吹き込んだのか私は知らないけれど、きっと全部でっち上げよ。彼女とは何も接点がなかったのですもの。彼女の悪い噂はよく耳にしたけれど、それを咎めることさえしなかったわ。レオン様には度々お小言を申し上げたけれどね。婚約破棄を言い渡されたとき、レオン様は私に対してエミリア嬢への無礼と仰せになられたのだけれど、おかしいと思わない?立場的にどう考えても、私への無礼があったとしても、彼女への無礼はないはずなのよ」

「それはよほどの悪行をでっちあげられたに違いないな」

「そうでしょう。それで昨日の手紙が届いたってことは、エミリア嬢との婚約は許されなかったってところかしらね。でもこちらは国外追放までさせられたのだから、レオン様の我儘に付き合う義理はないわよね」

「だから無視か」

「ええ」

 

 ジャックは大声をあげて笑った。あまりにも笑うので、サラは目が点になった。

 

「どうしてそんなに笑うのよ」

「サラは良い女だな」

「なっ……!」

 

(急に何を言い出すのよ、この人は!)

 

 柔らかな翡翠色の瞳にサラはときめきを隠せない。

 

(ずるい、ずるいわ……!)

 

「あなたはよく頑張ったのだな。ここに来たのは国外追放ではない。むしろ自由というご褒美を勝ち取ったのだ」

「……私もそう思っているの」

「シルク王国での暮らしは?」

「とても気に入っているわ。この国に骨を埋めようと思っているくらい」

「それはシルク王国に生まれた者にとって嬉しい褒め言葉だ」

 

 サラの手の甲に重ねられていた大きな手はふわりと離れ、今度は両手がサラへと差し出される。

 

(え……!?なに……!?)

 

 戸惑いながらも、差し出された掌へと両手を乗せる。サラの小さな手をしっかりと握りこむとジャックは腰を上げた。それにつられてサラも腰を上げる。

 

「なに?」

 

 サラの問いかけには答えず繋いだ手を離すと、ジャックは懐からオカリナを取り出した。

 

「オカリナできるの?」

「少しだけな」

 

 ジャックはサラに流し目を向けて口角をあげると、オカリナの音色を湖畔に響かせた。水面がキラキラと煌めき、風がそよそよと流れる。その中にジャックのオカリナの音色が彩を加えた。

 

(少しって言ったくせにとても上手じゃない……)

 

 とくんとくんと動き出した鼓動を止める術を、サラは知らない。

 

「歌っていいぞ」

 

 ジャックに言われてサラは歌声を響かせる。二人のハーモニーを心地よく感じたのか、小鳥や小動物たちが集まってきた。水際で休んでいたトニーも嬉しそうに耳を立てた。湖面も輝きを増すように揺れる。

 

(ああ。動物たちも喜んでくれているわ)

 

 サラは嬉しくなっていつもよりも声を弾ませた。どきどきするのに、胸の奥はスカッとする。ジャックといつまでもこうしていたくなる。

 

(こんなの好きにならない方がおかしいわ)

 

 気持ちよく歌声を響かせるサラを見て、ジャックは満足した。オカリナを響かせる唇に力が入る。

 

(私のサラに対する直感は正しかった)

 

 心ゆくまで演奏をし終えると、サラとジャックは顔を見合わせて大笑いした。楽しそうな笑い声に、森も同調しているように感じる。二人は笑い転げるようにして大判の布へと腰を下ろした。

 

「ジャックがこんなにオカリナを吹けるなんて知らなかったわ。とても上手ね」

「私の隠し玉だ。サラの歌もいつ聴いても上手だな。動物と会話をするのも頷ける」

「え?動物との会話は人前では止めた方がいいんじゃなかった?」

「そんなこと言ったか?」

「言ったわよ」

「じゃあ私以外の前ではしなければいいだろう」

「な……!」

「どうした?」

「なんでもないわ」

 

 赤くなったサラを見て、ジャックはまた満足だった。

 

「そろそろ帰らないといけないな」

 

 夕暮れにはまだ時間はあったが、森の中である。できるだけ早い時間に出て行った方がいい。楽しい時間はあっという間である。

 

「また二人でハイキングに来よう」

「……そうね」

 

 ぶっきらぼうではあるが唇を尖らせておずおずと答えるサラをジャックは可愛くて仕方がなかった。そしてサラはというと、ジャックと居ると時間が進むのが早いことを残念に思っていた。

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