天才悪役聖女に転生したのに魔法が全然使えない!

@mochikura

プロローグ 転生

 倒れた時のことをはっきり覚えていない。


 度重なる残業と上司からの恫喝どうかつともいえる叱責を受けた後、自宅に帰ったところまでは覚えている。それから玄関で意識を失い……次に目覚めたとき、目に入ったのはおよそアパートの玄関とはいえない光景であった。


「お嬢様、ヒルダお嬢様」


 上品な女性の声で目を覚ますと、私はベッドの上だった。目の前には中世のメイドのような服を着た若い女性がいて、私を見つめている。


「……え?」

「ようやくお目覚めになりましたか」


 その人は呆れたように微笑んだ。


「ヒ……ルダ……?」

「あら、自分を名前で呼ぶのは卒業なさったでしょう?」


 メイドはそう笑うと、困惑する私を放っておいてカーテンをジャッと開けた。部屋に日が差して室内の様子がすっかり見えるようになった。

 ブラウンと暗い赤が基調の家具で彩られた室内。置いてある家具には所々に植物や何らかのシンボルの彫刻が施されており、おそらくそれほど安くないだろうと想像できる。

 自分が寝ているベッドもゴージャスな天蓋てんがい付きのベッドである。まるで物語に出てくるお姫様のベッドのようだ。着ている服もただのパジャマではなくネグリジェ――。


「……え……」

「水を張りましたよ。今日はグライト様が戻られる日ですからね、しっかり顔を洗って――」


 私の手は小さかった。


 これは……子供の手だ。



―――――



 朝のわずかな時間で状況を把握することができた。


 1つ。夢ではないということ。水の冷たさや、着せられたドレスの重さ、それに見たこともない家具の装飾や大きな屋敷の構造があまりにもしっかりし過ぎていることから察するに、これは夢などではない。


 2つ。私はヒルダ・ヒースコートという公爵令嬢であること。14歳。要するに貴族の娘であり、生活には困らないし数多くのメイドや使用人を従える立場にある。


 3つ。この世界は私の知る世界ではないということ。今私のいるこの国の名は『エメルシオン国』といって海沿いにある豊かな国だ。当然私の知る世界にそのような国はない。


「……一体どういうこと……」


 鏡を見ながらつぶやく。

 上司になじられることも、辛い仕事を深夜に続けなければならない心配もなくなった。とはいえ世界と時代が前世とはまるで違っている今、何も知らない私は記憶喪失状態もいいところ。基本的な情報も知らないことにはうまく暮らしていくことはできない。

 1秒でも早くこの世界のことを知る必要がある。そのためには――。


「ヒルダ」

「!」


 声をかけられ振り返ると、煌びやかなドレスを着た女性が私を睨んでいた。髪色は私と同じ金色で、明らかに使用人の風貌ではない。おそらく母親だろう。


「……お、お母さま……?」

「今日はお父様が帰ってくる大事な日だというのに、どうしてそうボケっとしていられるんだか」

「す、すみません……体調が優れないもので」


 私は身の回りのあらゆることを全て把握するまでの間体調不良ということで誤魔化すことにしていた。体調不良なら様子が変でも不思議ではないし、それどころか周囲が私をサポートしてくれる。

 母は私を見下ろし、心底嫌そうに溜息をついた。


「あなたの戯言たわごとにはうんざりだわ。体を壊すほど努力したことなんてあったかしら」

「……」


 ……思っていたより、楽な生活じゃないかも。

 返答に困っていると、タイミングよく使用人が駆け寄ってきた。


「クララ様、グライト様がお戻りに」

「そう」


 母(クララという名前らしい)は茫然とする私を見遣ることなく、父を迎えるため階段を下りて行った。私も気を取り直して母に続いて下に降りた。


 1階の玄関ホールでは屋敷の使用人たちが一挙に集まり、屋敷の主が帰ってくるのを待っていた。やがて重そうな扉が開かれると、従者を連れた父らしき人物が入ってきた。


「おかえりなさいませ、旦那様」


 使用人たちが一斉に言って深々と頭を下げた。

 グライト(父親だろう)は赤っぽい柔らかな茶髪と口ひげをたくわえた男性で、“貴族”と言われて想像するような顔と服装をしていた。屋敷に入るとかぶっていた帽子を使用人に預け、クララに向けて一言、


「戻った」


 と不愛想に告げた。それから軽くキスをすると、ようやく私を見下ろした。


「……」


 驚くことに父は何も言わず、クララと共に別の部屋へ行ってしまった。


「…………」


 両親と会ったことで私がどのような家に生まれてしまったかを理解できた。私はおそらく両親から邪険に扱われているし、愛されてもいない。

 時代のせいなのか、それとも私の性別もしくは性格が2人とはことごとく合っていないせいかは定かではない。なんにせよ、努力するほかに平穏に生きる道はないかもしれない。


「お嬢様……ヒルダお嬢様!」

「!」

「どうぞこちらへ。お食事の準備が……」


 私は使用人に案内され、問題の両親と食事をするため食堂へと入った。



―――――



 非常に気まずい時間だ。グライトもクララもほとんど喋ることなく、カチャカチャと食事をする音だけが食堂に響いていた。


 ……早く部屋に帰りたい。早いところ食べて帰ってしまいたいけど、先にここを出るのは貴族の娘として相応しくない気がする。少しでも両親の意に反すると大変なことになりそうだし……。


「……ちょっと」


 ふとクララが傍に立つ使用人を呼んだ。


「ヒルダの食事を下げなさい」

「え……!?」

「かしこまりました」


 あまりにも突然すぎて言葉が出なかった。一体何を失敗したのか全く分からないうちに、私の食事は下げられてしまった。


「お母さま、どうして……」

「私に聞かなきゃ分からないかしら。たまには自分で考えてごらんなさい」

「で、でも……私は何も……」


 マナーは見様見真似ながらもそれなりにできていたはず。というより失敗していたとしても、それを直すチャンスを与えずに食事を終了させるなんて、子供に対する仕打ちではない。

 クララは苛立たし気に眉をひそめた。


「今言った通りよ。“自分で考えなさい”と。何度言わせるつもり?」

「でも何がおかしかったのか教えてくださらないと、直そうにも――」

「しつこいわね!」


 クララは声を荒げ、目を吊り上げて私を睨んだ。


「それ以上口を利くなら明日の晩まで食事は抜きよ!全く、本当に愚図グズなんだから……」

「あ……」


 ちらりとグライトを見る。グライトは黙々と食事を続けていたが、やがて、


「部屋に戻りなさい」


 とだけ言った。


「……失礼します」


 私はそれ以上粘る気力もなく、部屋に戻った。

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