第十八話:形勢逆転の兆し

 ――――逃げる。全速力でもって枯れ果てた田畑を駆け抜ける。

 後ろを振り返っている余裕なんてなく、というよりはわざわざ見る必要なんてなく、轟音とともに迫り来る水流から必死の形相で逃げ続ける。

 怒り狂った水の【魔物】が全身から噴出するその大量の水は、木製の脆い家屋を飲み込み、土や岩を取り込み、濁流となって俺のすぐ真後ろにまで迫っていた。


「だぁああぁぁぁあぁぁぁぁあああっ!!! クッソ、クッッッソ! ここ最近の俺はいっつもこうだ!」


 全力の叫び声が村全体に木霊する。

 攻撃対象が俺に完全固定されているためにあの三人は完全に蚊帳の外となっているのは、本来の目的を鑑みれば不幸中の幸いとでも言うべきなのだろうが、命の危機に瀕している当人としてはあまりそう表現はしたくない現状であった。

 とはいっても、自業自得の産物なのだが。

 結論からいうと、レーヴァテインによる水の蒸発作戦はそのまんま文字通り、半分成功し、半分失敗したといえるだろう。

 身を焦がすほどの灼熱であるレーヴァテインの炎は、絶え間なく水を取り込み続け膨張を繰り返す水の【魔物】の下半身を丸ごと蒸発させることに成功した。

 しかし、大量の水が瞬時に蒸発したことによって発生した高温の水蒸気により視界を塞がれてしまい、また全身に熱湯を余すことなくかけられたような状態となった俺は、倒れ込んだ【魔物】の身体の一部が化した津波に成す術なく飲み込まれてしまう。

 近くにあった家屋の壁に勢い良く背中がぶつかることで何とか流されることは免れたのだが、飲み込んでしまった水を吐き出しながら何とか立ち上がると、眼前にはすっかり身体を再生させた水の【魔物】が怒りを孕んだ様子で待ち構えているではないか。

 その後はご存じの通り、決死の逃亡劇の幕開けだ。

 あれから三度ほどレーヴァテインを用いて迎撃を試みたのだが、やはり水が減った気配はなく、先に俺の腕が限界を迎えつつあった。

 元より熱に対して強い耐性を持っている上に耐熱使用の手袋をつけていたために未だ両腕の原型は残っているものの、これ以上あの剣を振るえば、それこそ酸をかけられた外套のようにドロドロに溶けてしまうだろう。

 まだまだ戦闘は終わる気配がないため、腕への損傷は極力控えめにしておきたい。

 とはいっても、この水量に対して迎撃の姿勢をとれるような武器は現状では他に思い浮かばず、とにかく今はがむしゃらに走り続けて逃げるより他はなかった。


「――まったく、君は一体何をしているんだ?」


 あーマジで無理かもしんねぇなんて思いかけたその直後、背後から世間話でもするような声音でもって声をかけられ、俺の身体が突如として宙を舞った。


「へぁ?」


 自分でも間抜けな声が出たなと思った。

 突然の出来事に混乱しながらも、恐らくは【魔人】の操る糸でもって天高く放り投げられのだろうとなんとか現状を理解できた俺は、それと同時に、眼下で【魔人】の姿が津波によってのみ込まれる様子を目にしてしまう。

 とはいえどもソレに関しては、別段声を上げたりすることもなければ、何か思うことがあるワケでもない。

 なぜならば、津波に飲み込まれるその寸前に、視認できるほどに束ねられた【魔人】の糸が高速で半円状に回転しながら、その当人を包み込んでいたからだ。

 詳しい原理は一切分からないが、一番最初に行われた攻撃の際もそのようにして防御したのだろう。

 それよりも、だ。【魔人】のコトよりも今は、自分のコトを心配するべきである。

 このまま自由落下に身を任せれば水の中に落ちることとなるが、それは敵の手中に収まることと同義であるために避けなければならない。

 近くに生えていた樹へと召喚したグレイプニルを巻き付け、樹を軸に振り子のようにして方向転換を行い、近くの家屋の窓を突き破って中へと転がり込む。


「うぉ、あっぶねぇ」


 着地した場所のすぐ眼前には腐敗しきった死体が転がっており、危うく頭から突っ込むところであったことに気付く。

 分かり切っていることだが、悪臭の元凶がすぐ目の前にあるというにもかかわらず、俺の鼻は一切のニオイを感知しない。

 ……コレ、治るんだろうか。治ってもらわないと日常生活に大きな支障をきたすんだが。


「……っとと、今はンなコト考えてる場合じゃねぇや」


 【魔人】がああして戦闘に参加してきたところを見るに、何かしらの打開案は見つけられたのだろう。

 だとしたらさっさと合流して、その打開案とやらの話を聞かないとな。

 つい寸前にぶち破った窓から屋根へと上り、仲間の姿を探す。

 どうせ隠れていたところで全身に浴びている水が俺の居場所を【魔物】へと伝えるんだ、だったら誰の目にも止まりやすい場所で周囲を見渡す方が効率がいい。

 青髪の女や金髪の男の姿は相変わらず見えないが、【魔人】に関しては存外すぐに発見することが出来た。

 なんといったって、未だ村を侵食し続ける濁流の中から火柱が立っているのだ。アイツの仕業とみてまず間違いないはずだ。

 尽きない水に防戦を強いられていて脱出することが出来ない、といったところだろうか。

 ココからであれば【魔人】のいる場所までグレイプニルは届くのだが、いかんせん、人一人を吊り上げるほどの膂力は俺にはない。

 加えて、あの水流の激しさでは、逆に俺が引っ張られかねない。

 せめて一時的にでも、この水をせき止めることが出来れば……。

 ――ダメだ、何をどうしたらいいのか全く分からん。


「おーい【魔人】! 聞こえてるかー!?」

「聞こえてはいる! しかし見てわかると思うが、今の此方こなたは手を離せそうにはないぞ!」

「ンなコト言われんでもわかってるっつーの! 今度は俺が助けてやっから、何をどうしたらいい?」

「であれば、目立つ場所にいてくれればそれでいい! この水に関しては、マリシアンとカナリアが対処してくれるはずだ!」

「はあ?」


 あの二人が? どういうことだ?

 果たして三人がどのような考えでもってどのような行動をとっているのか、俺にはてんで理解できないのだが、【魔人】が言うからには何かしらの策の元、それぞれの役割に沿って動いている最中なのだろう。

 そうはいっても、あれだけの言葉では俺は何をすべきなのかはやっぱりわからない。

 要は目立てばいいのだろうが……引き続き、【魔物】の注意を引き付けていればいいというコトなのだろうか?

 だったらココから狙撃銃で威嚇射撃をし続けてやろうかと思い至った矢先、眼下を流れる水流に変化が起きた。

 突如として、巨大な氷塊が水の中から出現し、水の流れを見事にせき止めたのだ。

 これも【魔人】の仕業なのかと一瞬だけ思ったが、【魔人】は先程から寸分変わらない場所にいるし、そもそもとして炎と糸以外の【魔法】をまともに扱えないと言っていた。

 となるともしや、青髪の女だろうか。

 しかしアイツは【魔人】とは異なり、この空間内では【魔法】を扱えないはずだ。

 ともあれ今は、考えるよりも先に【魔人】と合流するべきか。


「無事か、【魔人】」


 地面へと降り立ち、【魔人】の元へと向かう。


「無論だとも。この通り、水の一滴たりとて此方こなたには付着していない」


 自慢気に両腕を広げ、クルリとその場で一回転するその様子を見るに、あの状況下でかなりの余裕を持っていたようだ。

 なんとも恐ろしい存在である。


「あの氷はやっぱり、青髪の女の仕業か?」

「仕業とは人聞きの悪い物言いだが、マリシアンの【魔法】であることは間違いない。そういう作戦だからな」

「どういう作戦だよ」

「そこは後で改めて詳細を話す。それよりもだ、カイル。あの【魔物】は随分と怒り狂っている様子だが一体何をしたのだ?」

「俺なりにいくつか思いついた案を試してたんだが――」


 これまでの俺の行動をかいつまんで説明する。

 すると【魔人】はあろうことか、深くため息をつき、あからさまに呆れた態度を示した。


「此処へ来てから薄々感じていたのだが……何というか君は思慮が浅いというか、考えなしというか。思っていたよりも行動が単純なのだな」

「テメェだけには言われたくねぇよ!」


 そりゃあ確かに指摘されたコトに関しては自覚しているが、常識知らずの人外にだけは絶対に言われたくなかった。

 そもそもとして、水を蒸発させるという案に関しては下半身を消し飛ばすことが出来た以上、言うほど失敗ではなかったはずだ。


「案自体は悪くない――というか、此方こなたたちも同様の結論に至ったのだが、行動には順序があるという話だ」

「どういうコトだよ」

「滝つぼの水を抜こうとしたところで、滝から水が流れ落ち続けている以上は決してなくなりはしないだろう? つまりは、水を供給している大元を対処しなければ意味がない」


 水を機供給している大元――要するに、地中から上っているいくつもの水柱のコトだ。

 アレは恐らく、地下水脈と【魔物】とを繋ぐへその緒のような役割を果たしているのだろう。

 そう思いながら村中から上る水柱を改めて見渡したところで、ふと、あるコトに気付く。

 水の【魔物】が出現した当初と比べ、明らかに水柱の数が減っているのだ。


「かの【魔物】は【異界ダンジョン】内に巡る地下水脈を支配し、操っている。山脈と村を覆うほどの広大な空間を伝う水脈だ、君や此方こなたが消し飛ばしたところでそれは微々たるものでしかない」

「だから、先に水脈とあの魔物を完全に分断しなくちゃいけなかったってワケか」


 それを現在進行形で行っているのが、青髪の女と金髪の男の二人だということなのだろう。


「つっても、青髪の女は【魔法】を使えないんだろ? どうやって――」

「カイル、君はどうやら一つ大きな勘違いをしている。以前にも説明したが、この空間内で扱えないのは【新生民ノヴァ】が産み出した、『補助や治癒系統全般』と『中級以下で登録されている攻撃系統』の【汎用魔法】だけだ。此方こなたの操るような【魔物】が扱う【魔法】は勿論、上級以上の【汎用魔法】はその範囲に当てはまらない」


 あーはん、なるほどぉ…………?

 ……そういえば、無から有を産み出すか、既存のモノを利用するか、みたいな話をしていた気がする。

 どうやら青髪の女は、その上級の【汎用魔法】とやらを用いているらしい。

 しかし、【魔法】の知識はてんで持ち得ない俺ですら考えが及ぶ大前提として、開拓者としては駆け出しである〈青銅アエス〉の魔法師が、上級と名の付く【魔法】をそうも連発できるモノなのだろうか。

 さらに言うなれば、あの水の【魔物】は俺たちの現在地を探知できるはずであり、コソコソと動き回っているヤツがいれば【魔物】が気づかないはずがない。

 無論、俺でも考えつくような話だ、賢い賢い皆様方はきちんと対策を練ったうえで行動しているのだろうが。


「話は一度切り上げるとして、改めて作戦の委細を説明するために身を隠したいところなのだが……君、随分と【権能】を乱用したな? 此方こなたにとっては脳が蕩けそうな程の香りでずっと嗅いでいたいが、これでは何処にいても居場所がばれてしまいそうだ」

「しょうがねぇだろ……俺の戦闘方法は【権能】を使った武器の換装なんだから」


 首筋に濡れた薄桃色の鼻を当てられ、過剰なまでにヒクヒクと動かしてニオイを嗅がれる。

 邪魔なその頭を左手で掴んで引きはがしながらも、バツが悪くなった俺はゴニョゴニョと言い訳をした。


「なに、別に責めてはいないとも。君がそうして尽力してくれていたからこそ、彼女たちと此方こなたはこうして作戦を実行できているのだからな」


 俺が掴んだことで乱れた髪を直しつつ、【魔人】は優しい声音で子供をあやすかのようにそう言う。


「一から十までを説明している余裕はなさそうだ、移動しながら要点だけを軽く話しておくとしよう」

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