第4話 仮面の魔術師

 婚礼は、黄昏の薄闇の中、小さな森の教会で行われた。


 この教会のことを、アイリーンは古臭くて陰気、と一蹴いっしゅうしたが、私には、歴史ある美しい教会に見えた。両サイドに並ぶ窓は小さかったが、どれも色鮮やかなステンドグラスがはまっていて、よく見ると、全部で何か一つの物語になっているようだった。薄暗い木の天井にも、細かく繊細な彫刻が施されていて、ろうそくが灯された小さなシャンデリアにひっそりと照らされている。


「とても素敵な教会ね、お父様」


 父と共にヴァージンロードを歩きながらそっと呟く私に、父はうわの空で応えた。


「そうだな……」


 父の視線の先に、背の高い人影が見える。そうか、あの人が、私の婚約者か。なるほど確かに、噂は嘘ではないらしい。


 まず目を引くのが、その仮面だ。目が細くくりぬかれているが、あとは顔をすっぽり覆い隠しているので、素顔は全く分からない。白地の仮面の、右頬の部分には幾つかの星が散りばめられていて、小さいながらも本物の宝石があしらわれている。左頬の部分は半分黒色で、一面にツタのような文様が黄金で描かれていた。頭にも、豪華な羽飾りのついた緑と黄金の幅広帽子を被っていて、髪の毛一本すら見えない。


 体には派手な濃緑色のマントを纏っていて、首元も一面の宝石と羽飾りで覆われている。手には白い手袋をしているし、足には革のブーツを履いているので、この人の肌は、噂通り全く見えない。マントの背の部分には、豪華な紋章が金糸で刺繍されていた。なんだか豪華なような恐ろしいような、胸ざわめかせる出で立ちだ。


「お父様……あの方が、私の?」


「夫となる方だ。……さあ、クレア。お行き」


 ヴァージンロードを歩き終えた私の手を、父が名残惜しそうに離した。結婚相手は、体をこちらに向けてはいるが、私を見ているのか見ていないのか、仮面の奥の目は見えない。だが彼は、父に手を離されて戸惑いそうになった私の前に、スッと手を差し出した。私は驚き、ちら、とその顔を見上げる。仮面はこちらを向いている、視線は追えないけれど、きっと仮面の奥の瞳は、私の姿を見ているに違いない。


 私はお腹に力を入れて、背筋を伸ばした。そして、差し出された手に、そっと……私の手の固さが伝わらないように細心の注意を払って……手を預ける。祭壇の司祭が、無事に二人並んで立った新郎新婦を見て言った。


「それでは、結婚の誓いを。王宮の最高位魔術師殿。あなたは、クレア・モーガンを妻とし、夫として愛と忠実を尽くすことを誓いますか」


 私は内心、ひどく驚く。結婚の誓いの場であるのに、夫の名が明かされないなんて。確かに、この人の本当の名前は、国王陛下しか知らない、と国中で噂されている。それは本当だったのか。


『王宮の最高位魔術師』とやらは、無言で頷いた。はい、の言葉一つない。私は急に、とてつもなく恐ろしくなってきた。この人は、本当に人間だろうか。私が言うのもおかしな話ではあるが、隣に立つのが、正体不明の怪物のような気がしてきた。少なくとも、私は名前も素性も明らかになってはいる、ただ、誰も姿を見たことが無い、というだけで。


 司祭は、毎度のことであるのだろう、無言で頷いただけの魔術師に特に異を唱えることもなく、あっさりと頷いて、今度は私の方へと向き直った。どきり、と心臓が大きな音を立てる。そういえば、私だって、全身、それこそ顔まで、分厚いマントで覆った得体の知れない新婦ではあるのだった。だが司祭は、やっぱりそんなことはどうでもいいとばかりに、淡々と決められた台詞を述べた。


「クレア・モーガン。あなたは、王宮の最高位魔術師殿を夫とし、妻として愛と忠実を尽くすことを誓いますか」


「……はい、誓います」


 なんだか本当に誓ってしまっていいのか分からないまま、私は頷いた。それに、この小太りで無表情な司祭が『王宮の最高位魔術師殿』と機械的に連呼するので、思わず笑いそうになってしまう。私だったら、とてもそんなにスラスラと言えなそうだ。私の誓いの言葉を聞いた司祭は、これもまた、機械的に結婚の成立を宣言した。


「今ここに、お二人の結婚は認められました。お二人に祝福があらんことを」


 少ない参列者から拍手が送られた。私は再びドキリとする。確か、この後、新郎新婦は、共にこの場を後にしなければならない。私は、ちら、とたった今私の夫になったばかりの人を見上げる。どうしよう、腕を組むことになってしまったら。マントの袖から、私の肌が見えてしまったら。だがその心配は無用だった。


 魔術師は、先程と同じく、白い手袋をした手をスッと差し出した。この手を取れ、という意味だろうか。私は、恐る恐る、その手に再び手を預ける。やっぱり、ほとんど触れないくらい、慎重に。すると彼は、ほぼ触れていない私の手を、あたかも握っているように見せながら、前に歩き始めた。こうしてみて初めて気づいたのだが、この人の手は思ったよりも大きい。ちょうど私の手がすっぽり隠れているので、きっと、参列者からは違和感なく見えるはず。私は、彼がそれを意図したかは別として、この状況に助けられながら、彼の歩幅に合わせて、参列者の拍手の中、歩いて行く。参列者席の一番前で、アイリーンが退屈そうに拍手をしているのと、蒼白な顔の父が、操り人形のように一生懸命拍手をしているのが視界に移った。私は急に淋しい気持ちになって、胸の前で左手を握りしめる。


(お父様、アイリーン。この先どうなるか分からないけれど。ひとまず……さようなら)


 二人揃って礼拝堂を出ると、魔術師は私の手をすぐに離し、教会を出て行こうとする。私がどうしたらいいのか分からずに突っ立っていると、彼がふいに振り返った。そして、私に手招きをする。私は戸惑いながらも、彼のあとについて教会の外に出た。

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