第24話 ★暗黒領域Ⅱ

 施設内部に突入すると、私たちを待っていたのは想像を絶する『地獄』だった。


 ゲヘナとはつまり地獄。その名の通りここは間違いなくこの世の地獄の一つなのだろう。


『生存者は……どうやら、いないようだね』


 マグノリアが施設の状況をドローン越しで確認する。


『手間が省けたとはいえ、これは流石にやり過ぎだねえ。やっこさんは恐竜か何かでも連れて来たのか?』


 施設内部は惨劇だった。兵器製造ラインの作業員や施設の警備兵と思われる男女数名の遺体が無惨な姿で横たわっていた。濁った瞳も溢れた臓腑も撒き散らされた脳漿と鮮血もその全てが凄惨な死を物語っていた。恐らくは旅団の構成員に殺害されたのだろう。


「ちょっとアンタ、大丈夫?」


 ハイネが心配そうに私に声を掛ける。どうやら私はかなりショックを受けていたらしい。その事に気が付いたのはハイネに肩を揺すられてからだった。


「……うん、大丈夫」


 この世の地獄なら今までだって散々見てきた。今更になって日和るなんて、猟犬失格だとあの子に笑われる。


『どうしたレイヴン。乗り物酔いするなんてらしくないじゃないか。楽しいピクニックはこれからだよ』


 マグノリアの声が耳に届く。そうだ、今は感傷に浸っている暇なんてない。こんな悲劇を繰り返さない為にも私たちが頑張らないとね。


『予定通り自律兵器の相手はスパロウが担当する。残りの二人は本命の相手が残っているからあまり消耗はするなよ』

「了解。二人とも行くよ」

「ええ、こんな胸糞悪い施設はさっさとぶっ潰しましょう」

「お姉ちゃんはマオが守るから」


 二人は快く私の呼びかけに応じてくれた。私は心の中で二人に感謝する。というか、マオちゃんがイケメンで辛い。


『はっ、良い返事を聞けてアタシも嬉しいよ』


 マグノリアのナビゲートで私たちは施設の最深部を目指す。


『スパロウ、現場がこんな有様だが自慢の鼻はまだ使えそうかい?』

「うん。大丈夫」

『そいつは重畳だ。索敵役はお前に任せるよ』

「うん。分かった」

『良い返事だ。期待してるよ』


 施設の構造は複雑だが、鼻が利くマオちゃんの活躍で問題なくマグノリアのナビゲート通りに目的地に向かうことが出来た。途中で何度か自律兵器やドローンと遭遇したけど、私やマオちゃん単騎でも難なく対処できる程度の物量で特に苦戦することはなかった。


「クリア。内部に敵影認められず」

「……ほとんど旅団にやられてるわね。なんか拍子抜けしちゃうわね。これだと幹部の【使節の栗鼠ラタトスク】ももう死んでるんじゃないの?」

「生きてる人、誰もいない」

『随分と派手にやってる様だね旅団の連中は。何かこの場所に恨みでもあるのかねえ」


 皆殺しにすると豪語していたマグノリアですらも呆れ果てる程の大虐殺がここで行われていた。


 ハンドサインと報告を重ねて施設の各区画の安全を確認しながら移動して一時間弱が経過。敵らしい敵もいなくて、それが逆に言いようのない不気味さを増長させていた。


 そして、私たちはついに施設の最深部に辿り着いた。


 そこは開けた空間だった。恐らくは地下深くに建造された自律兵器の試験場なのだろう。


『……どうやら待ち伏せされてたみたいだね』


 最深部の中央には重機の様な巨大自律兵器と一人の少女が佇んでいた。


 その少女は身体付きが小柄で、鮮やかな色彩の桜色の髪と真紅の瞳をしていた。存在感が希薄だけど可憐で目を引く、まるで生きた芸術品の様な容姿。


「……アイビス?」


 私は思わずその少女の名を呟いた。相棒の私がアイビスを見間違えるはずがない。


 そうだよね、アイビスが簡単に死ぬわけがないよね。


 この目で確認するまで不安だったけど。そんなのは無用な心配だった。


「……生きて、生きてたんだね。良かった」


 私は思考を放棄した。目の前の『甘い罠』に手を伸ばそうと彼女の元に駆け寄る──はずだった。


「アイビス!」


 思考を放棄した私の背中を冷静な二人が強引に引き止めた。


「待ちなさいよアンポンタン。気持ちは分かるけど……状況を考えなさいよ」

「……アイビスお姉ちゃんの匂いじゃない。誰?」


 ハイネとマオちゃんに引き留められて私はやっと正気を取り戻した。もしも私一人だけなら敵の罠に騙されていただろう。


 もしもハイネがいなかったら。もしもマオちゃんがいなかったら。もしもハンドラーマグノリアがいなかったら。私の命は簡単に終わっていた。その可能性と結末の枝分かれに私は妙な既視感を募らせていた。


「おそらくあれが標的の【使節の栗鼠ラタトスク】よ」

「うん、あれはアイビスお姉ちゃんじゃない。絶対に違う」


 二人の説得を受けて私は改めて目の前の存在を直視する。


 着ているドレスも髪型も身体付きも顔も全てが私の記憶の中にあるアイビスと一致する。偽物と言われても納得出来ないレベルの一致度だった。


「みんなして酷いなぁ。ボクが偽物だなんて……証拠はどこにあるのかな?」


 少女が口を開くと私はさらに疑心暗鬼に陥った。喋る声も口調も私が知っているアイビスそのものだった。


 本当に偽物なの? もしかしてみんな勘違いしてない?


 だって目の前にいるのはアイビスなんだよ? こんな綺麗な美少女が世界に二人もいるわけないじゃない。


『なるほど、音楽団ブレーメンの情報はコイツだったってわけか。確かにこれじゃ、本人か偽物か区別がつかないねえ』


 マグノリアの言葉に私は驚きを隠せなかった。

 アイビスの目撃情報。唯一の手掛かり。


 強化人種の能力による擬態の可能性。


 それはつまり目の前のアイビスが偽物で、一縷いちるの『希望』が潰えたということになる。


「やぁ、久しぶりだねハンドラー。わざわざ猟犬を使ってまでボクのことを連れ戻しに来たのかな?」

『はっ、大根役者の三文芝居は見るに堪えないね。良いことを教えてやるよ。本物の糞餓鬼アイビスには【首輪】が着いてるんだよ。管轄の一桁代猟犬シングルナンバーが万が一裏切った時にいつでも『殺処分』できる様にね』

「へえ、そうなんだ。それは知らなかったなぁ」


 マグノリアの操作するドローンに顔を向ける少女は納得したように頷いた。そして、再び私たちに視線を向けるとその顔に深い悪意に満ちた笑みが浮かんだ。


「ククク……まぁ、予定外の来客が多いが釣りとしては充分な成果だな」


 そう言うと少女はまるで別人の様に口調と態度を変えた。


「改めて自己紹介をしてやるよ。俺様は【使節の栗鼠ラタトスク】。ご存知の通りこの施設の責任者で【世界樹の遺恨ユグドラシル・マター】の幹部だ」


 少女は自らをそう名乗った。


 首輪の有無もありそれが決定打になる。目の前のアイビスが偽物だと分かり私はこの世の終わりを迎えたかの様な絶望感に襲われていた。


「……そんな、そんなことって……」


 希望が一瞬にして絶望に変わる。あまりのショックに私は膝から崩れ落ちた。


「なんだぁ、そんなに俺様が《真紅の翼》じゃなくてショックだったか? ああ、そういえば黒髪のお前には見覚えがあるぞ。フレスベルグとニーズヘッグに手も足も出なくて惨めにゲームから退場した奴じゃねーか」


 偽物が下卑た笑みを浮かべて私に話しかける。その内容はあの作戦に居合わせたという事の証明でもあった。


「いやー、あの時の虐殺は楽しかったなぁ。お前たち猟犬は下半身の締まりが良いからブチ犯すのが気持ち良くてなぁ」


 ゲラゲラと。耳障りな声で。聞きたくない事を偽物が垂れ流す。


「何番だったか忘れちまったけど、自律兵器に腹捌かれて内臓出てた奴もいたなぁ」

「……やめて」

「その内臓を他の奴に食わせたり自律兵器に処女膜ブチ破らせるのが楽しくてなぁ。「もう殺してよ!」とか、泣いて叫ぶと俺様めちゃくちゃ興奮するんだよなぁ! ギャハハ!」

「もうやめてよ!」


 私の心は完全に折れていた。アイビスが偽物だったという事実に心が揺らぎ、思い出したくもないトラウマの数々が私の心を粉々に砕いていく。


「……ねえ、殺す前に一個だけ訊いていい?」


 戦意を喪失した私を置き去りにしてハイネが口を開く。


「アンタら幹部の中に炎を操る強化人種エンハンサーいるわよね?」

「……ああ、ニーズヘッグか。アイツは強いぞぉ。俺様が直々に指導してやったんだ」

「ソイツは今何処にいるの?」

「知らないなぁ。俺たち幹部は忙しいんだ」

「そう……」


 ハイネの瞳に殺意と怒りが宿る。そして、それを誤魔化すかのように髪を搔き上げると彼女はこう言った。


「うん。これで心置きなくコイツ殺せるわ。いいわよねハンドラー?」

『アタシは最初に言ってはずだけどねえ。敵は皆殺しにするってな』

「……マオ。コイツ嫌い」


 ハイネの言葉を皮切りに【使節の栗鼠ラタトスク】との死闘の幕が開けた。


 希望を失った私はまだ立ち上がれてすらいない。

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