第10話 ★情報屋は猫カフェにいる

 放課後。一度自宅に戻り制服から私服に着替えた私とシグネットが向かった場所は、都内某所にあるカフェだった。


「……え? マジでここなの?」


 カフェの前で呆然ぼうぜんと立ち尽くす私服姿のシグネット。


 私服姿を観察するとオフショルダーのトップスとワイドデニムのパンツの組み合わせがいかにもカジュアルコーデといった感じで、彼女のスタイルが良いせいか妙に大人びた印象を受ける。


「ねえ、場所間違えてない?」


 まぁ、知らない人間からすれば予想外の場所だからね……ここは。


「いや、この場所で間違いないよ」

「ええ、情報屋の居場所がなんで『猫カフェ』なの? 意味わかんない……」


 そう、カフェはカフェでも飲食店のカフェではなく主に猫と戯れるのを目的とした施設がこの猫カフェである。


「情報屋って言ったら大概は飲み屋バーの店主とか自宅に引きこもってるピザデブの二択じゃんか。なんで猫カフェにいるのよ?」

「そのイメージはハリウッド映画の定番だね。そんなベタな人物像でコンタクトが取れれば色々と苦労しないんだよねー」

「分かんない。裏社会の常識があたしには分かんない……」


 入り口の前で固まっているシグネットの背中を押して店内に入ると、奥の方から野太い声をした威勢の良い挨拶が聞こえてきた。


「あら〜ん。いらっしゃいませーお客様は二名様でよろしいですか〜」


 いかにも男のお姉さん(オカマと言ってはいけない)のゴツい体格の店員さんに出迎えられた私は、ある一つの『合言葉』を注文オーダーする。


「奥の部屋にいる『黒猫のジョージ』と“世間話”がしたいので三時間コースでお願いします」

「は〜い。かしこまり〜。準備にお時間がかかりますので少々店内の方でお待ち下さいね〜」


 そう言ってオネエ系の店員さんは店の奥に消えて行った。


 店内を見回すと夕方でもそれなりに繁盛しているらしく、私たち以外にも五人くらい客がいる。


 猫カフェの客らしく猫と共にいこいの空間を満喫している様子だった。


 ──少々待てと言われても。


 猫カフェなんて何時いつぶりだろうか。

 前の時は……確か台湾たいわんの猫カフェで“三人”一緒に──。

 

 ふと、視線を動かすと部屋の片隅に赤い衣装ドレスと黒い頭巾フードの二人が猫と戯れている様子が目に浮かび、過去に体験した思い出が記憶の彼方から呼び起こされた。


 ──そういえば、そんな事もあったっけ。


 被り物とマフラーが好きなあの子は今も元気にしているだろうか。


 そんな事を思い、似たような場所で過去を懐かしんでいる自分がいた。


「……ごめんねシグネット。少しだけ時間──」

「ふわぁぁぁぁぁ♡」


 歓喜の声がする方に目を向ければ、そこにはメロメロにとろけた表情の女子高生がいた。


「すっごい! 綿飴みたいにモフモフしてる! こんなに柔らかい毛の猫は初めて触ったかも!」


 シグネットは白くて毛の長い猫(ラグドールかな?)をかかえて夢見心地の様子だった。


「ああっ、こっちの子も人懐っこくて可愛いし、こっちの子も元気があって遊ぶのがすごく楽しそう!」


 有り体に言うとシグネットは猫カフェを思う存分満喫していた。可愛いが可愛いで二倍可愛い(語彙力が低下中)状況だ。


「はっ!? もしかして猫カフェって人類が生み出した理想郷ユートピアなんじゃ?」


 何かに気付いた様な素振りで目を見開くシグネット。そうだね可愛いのユートピアだね。


 いや、理想郷って、そこまで言うか。


「シグネットは猫が好きなの?」

「べ、別に好きとか嫌いとかそーゆーのじゃなくて。猫を触るのが久しぶり過ぎてなんだがとっても嬉しいというか……えっと」

「嫌いなの?」

「ううん。だいしゅき♡」


 猫に囲まれて幸せそうな表情を浮かべるシグネットを見ると「今は仕事中だよ」と注意するのが少々心苦しく感じる。


「お待たせしましたお客様〜。奥の部屋へお進み下さい〜」


 数分が経つと体格の良いオネエ系の店員さんが戻って来たので、私はシグネットに声を掛ける。


「じゃあ、行く──」

「よいしょっと」


 掛け声と同時に猫を抱き上げる猫好きシグネット。どう見ても部屋に連れて行く様子だった。


「いや、猫は置いていってよ」

「……一匹くらい駄目?」

「気持ちは分からなくもないけど、持ち込みは遠慮して欲しいなぁ」

「むぅ〜。じゃあね、バイバイ」


 分かりやすい落胆の色をにじませながら猫に別れを告げるシグネット。


「また今度来れば良いじゃない。それこそプライベートの時にでも」


 私がそう言うとシグネットの肩がピクリと震えた。


「また今度……それは彩羽と一緒に?」


 下から見上げる様なシグネットの視線に言いようの無いむずかゆさを感じた。


「いや、それは……シグネットの判断に任せるけど」


 余計なことを言ってしまった。


「ふーん。そっか、考えとく」

「…………っ」


 これから先、プライベートな時間が取れる保証は無い。我ながら軽率な発言だったと思う。


 死と隣り合わせの猟犬ハウンドにとって『約束』は禁止事項タブーだから。


 だからだろう。前の相棒は私に対して約束事なんて一切しなかったし、私も私で『予定』は当日まで黙っていたりするからパートナー間での事後報告サプライズが絶えなかった。


 あの腹黒サディストはミラノ公演の時も当日のギリギリまで二人で行くことを黙っていた。あれは本当に性格が悪い。


 ──まぁ、性格の悪さで言えば今から会う『人物』も存外に性悪なんだけど。


「よう。久しぶりだな猟犬の嬢ちゃん」


 オネエ系の店員さんに案内されて奥にある高級的ラグジュアリーなVIPルームに入ると、そこにはソファーに鎮座した一匹の『黒猫』がいた。


「…………ん?」


 怪訝けげんそうな面持ちでキョロキョロと部屋の周辺を見回すシグネット。


 おそらく声の発声元を探しているのだろう。


「……ねえ、さっき渋い感じの男の人の声聞こえなかった?」

「うん、“その子”が喋ったんだ」


 そう言って黒猫を指差すと、シグネットは「何言ってんだコイツ」という顔で私に水を向けた。


「猫が喋ると思ってるの?」


 そうだよね。知らない人間からすれば、そのリアクションは至極真っ当な反応だ。


「あんた馬鹿なの? 猫が喋れるのは「ヤバイ」って単語だけよ」

「いや、ヤバイも喋れないでしょ普通は」

 なんだその語彙力のない女子高生の日常会話みたいな鳴き声は。


「はっはーん。分かったわ、猫の首輪にスピーカーが仕込んであるのね。中々凝った仕掛けしてるじゃな──ん?」

「…………」


 黒猫の首輪に触って何も仕掛けがない事に気付くシグネット。


 普通ならその見解で正解になるのだが、生憎と相手が普通の人種ではないので、その解は皆目見当違いだ。

 

「ははっ、なんだ彩羽。お前さんまた『違う女』を連れて来たのか? 奥手のくせに意外とやり手じゃないか」


 シグネットを間近で見た黒猫はそんな誤解しか生まない発言をサラリと言い放つ。


「変な事を言わないでよジョージさん。この子はただのビジネスパートナーです」

「ほう、ビジネスパートナーね。お前さんのビジネスパートナーは容姿端麗の女しかいないんだな。オジさんはうらやましい限りだよ」

「もう、人をからかわないで下さいよ」


 本当、この人は相変わらずだ。どこぞの腹黒と通じるものがある。


「……ね、猫が喋ったー!!?」


 びっくり仰天。目を丸くして黒猫を持ち上げるシグネット。期待通りのリアクションで私はちょっとだけ心がホッコリした。


「なんで!? なんで喋れるの!? 意味わかんない!」

「コラッ、お嬢ちゃんっ! オジさんを急に持ち上げるな!」


 ギニャー、と猫らしい悲鳴をあげるジョージさん。


「凄い、凄い! なんかよく分からないけど、何か凄い!」

「おふぅ……お嬢ちゃん、そこは駄目だ。オジさん、喉元は弱いんだ……」


 喉元を撫でられゴロゴロと鳴く様子は完全に猫のものだった。


 人にもてあそばれているジョージさんが私には何だか新鮮に感じる。


「シグネット、そろそろジョージさんを解放してあげて。私たちは仕事の『商談』に来たんだよ?」

「……モフるのも駄目?」

「うーん。会話に集中出来ないからやめて欲しいかな」

「ん、分かった」


 新しいおもちゃを貰った子供の様に嬉々としていた顔のシグネットがシュンと落ち込む。

 その顔はさっきも見たけど……本当に猫が好きなんだ。


「やれやれ、年甲斐もなく醜態しゅうたいを晒してしまった。彩羽、お前さんここに来る前に事前に説明しておかなかったのか?」


 宝石の様な猫の目で恨めしそうに私を見上げるジョージさん。

 事前に説明と言われても。

 店に入る前のシグネットの反応から察するに言っても信じてもらえなかったと思う。


「いえ、実物を見せるのが手っ取り早いと思いまして」

「はん。人の事を『性格悪い』と言うが、お前さんも大概だと思うぞ。やはりお前さんは『真紅の翼アイビス』の相棒だよ。そっくりだ」

「…………」


 あの腹黒サディストと同類と評されるのだけには意を唱えたいところだけど。

 今はそれよりも仕事の話だ。


「ジョージさん、早速ですが情報を売ってください。依頼内容はここら近辺で活動している麻薬密売組織が根城にしている拠点アジトの所在地です」

「あん? なんだ、『相棒』の情報を買いに来たんじゃないのか? オジさんはてっきりそっちだと思ったんだが?」

「……今はまだ『決心』がつきませんので」

「ほーん。まぁ、お前さんがそれで良いならオジさんはこれ以上とやかく言うつもりは無いが。あまり猶予ゆうよは残っていないぞ?」

「……分かっています。けど、あの子に対する口説き文句はしっかり練りたいんです」

「ははっ。まるで一世一代の愛の告白プロポーズみたいだな」

「……そんな大層な物じゃありませんよ。おそらく半分は愚痴になりますから」


 そんな会話の最中「ちょっと」とシグネットからコツンと脇腹を突かれる。


「あたし抜きで勝手に盛り上がらないでよ。なんか部外者みたいで居心地が悪いんだけど? つーか、紹介と説明よろしく」


 シグネットの態度に既視感デジャヴを覚えた。


 そういえば、私もジョージさんと初対面した時はこんな感じだったな。


「シグネット、改めて紹介するよ。こちらはジョージさん、見ての通りの黒猫だよ」

「いや、それは見れば分かるから」

「ついでに言えば『尻尾の無い音楽団ブレーメン』のリーダー格で秘匿情報の売買を専門にしている情報屋の一人なんだ」

「それはなんとなく分かる」

「さらに言えばジョージさんは【強化人種エンハンサー】の『第一世代被験体ナンバーズ』なんだ。黒猫が人語を喋るのは彼の『能力』の一部らしいんだ」

「それは──はっ!?  第一世代被験体ナンバーズ。なるほど……これがそう、なのね。初めて見た……」


 組織アストライアに所属している身なら強化人種の情報はある程度は把握していると思ったけど……どうやら実物を見るのはこれが初めてらしい。


 シグネットに一通りの紹介を済ませると今度は黒猫の方から説明を求める視線を向けられる。


「それで? その嬢ちゃんは彩羽の何なんだ? ガールフレンドにしては仲が悪そうに見えるが?」

「茶化さないでジョージさん。彼女はシグネット。『女神の天秤アストライア』に所属する新人ルーキーで私の新しい相棒だよ」

「ほーん。新しい相棒、ね。お前さんが組織に戻るとはな。少しだけ意外だよ」

「何を言ってるんですか。それを見越した上でアイビスの情報を組織アストライアに売ったんでしょ?」

「いや、それはそうなんだが。お前さんは本当にそれで良いのか?」

「……何をですか?」

「何って、アイツと別れて晴れて自由の身になったのに、わざわざ裏社会に戻る──いや、今のは野暮な質問だったな、忘れてくれ」


 長い髭をヒクヒク動かしてジョージさんはポツリと呟く。


「……そうだよな。仕事と覚悟がなけりゃオジさんになんて会いに来ないか。まったく、やれやれだ」

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