第8話 ★300秒のメッセージ

 差出人不明のUSBメモリーがあたしの元に郵送で届いたのは、あたしがまだマンハッタンに在住していた時期で、『新しい就職先』から採用の告知が来る二週間前のことだった。


『やぁ、久しぶりだねハイネ。キミとこうやって話すのはで【堕天使の宿木ミストルティン】を脱獄して以来になるのかな?』


 同封されていた暗号文パスワードを解読してメモリー内に保存されていた300秒の動画をPCで再生すると──そこに映っていたのは、お姫様みたいな真紅のドレスを着た一人の女の子だった。


 淡いピンク色のミディアムロングに林檎リンゴみたいに真っ赤な瞳。雪みたいに白い肌をした同い年くらいの女の子。見た目からしても間違いなくこの子は『あの子』だ。


 同封されていた暗号文の内容で差出人が身内の誰かなのは分かっていた。


 それに、あたしを『ハイネ』って呼ぶのはミストルティンのみんなだけだから。


『ハイネの活躍はボクの耳にも届いているよ。あの『泣き虫ハイネ』が今は末席とはいえ、三大勢力の一角である【企業連合ユニオン】の諜報員エージェントになっているんだから。ホント、世の中は何が起こるか分からないね』


 流れていた映像はあの子らしい気さくで友好的フレンドリーな喋り方だった。


 一瞬だけ昔を懐かしんで感傷に浸っている自分がいた。


 ただ、話している内容が秘匿情報ばかりなのが気になって、その感情はすぐに頭の中から霧散した。


『さて、あまり時間がないから単刀直入に要件を伝えるよ。ハイネが企業連合ユニオンの命令で女神の天秤アストライアに潜入する潜入捜査員アンダーカバーエージェントだという情報をボクはもう既に掴んでいるんだ』


 ドクン、と心臓が跳ね上がった。

 どうして、この子がその事を知っているのだろう。

 情報漏洩? 外部からのハッキング? それとも組織内に密偵スパイがいる? 駄目だ、疑い出したらキリがない。


『ああ、ごめんごめん。話す順番が逆だったかな? ボクの近状を話す方が先だったね。えっと、自分で言うのも何だけど、ボクは業界で『真紅の翼アイビス』って通り名で呼ばれている凄腕の猟犬ハウンドなんだ』


 真紅の翼アイビス

 その名前は知っている。企業連合ユニオン殺害対象ブラックリストの中でもSSランクに指定されている要注意人物の一人だ。


 各国の首脳や名だたる犯罪組織マフィアの幹部ですらA級なのに、あの子はこの数年間で一体何をやったのだろう。


『ふふん。今のボクって結構凄いんだよ? えっへん!』


 真面目シリアス展開に唐突なドヤ顔をぶっ込まれて、あたしはちょっとだけイラッとした。


 腹立つ、PCの電源落としてやろうかしら。


『そんな、いつ死ぬか分からない状況に身を置くボクだから、ボクはハイネと取引が……ううん『お願い』をしたいんだ』


 お願い。

 その一言が耳に入り、あたしは電源を落とすのを止めた。


 ──まぁ、あの子とは昔のよしみだし? 話だけでも聞いてあげよっかな?


 そう思ってあたしは残りの動画を最後まで見た。


 動画の後半はある一人の女の子との生活を切り取った記録映像だった。


『ねえ、アイビス。今夜は何が食べたい? たまにはピザ以外の食べ物もちゃんと食べよ?』


 そう言ってあの子に話しかけている彼女の姿は長い黒髪が印象的なアジア系の顔立ちで、あたしよりも少しだけ背の高い同い年くらいの子だった。


『待て、落ちついてアイビス。確かに冷蔵庫にあった限定品のプリンを勝手に食べたのは悪いと思っているし、誠心誠意で謝罪するから。だから、その物騒な剣を今すぐしま──ギャー!』


 映像に映っている彼女は心の底からあの子との生活を楽しんでいる様子だった。


『よーし、アイビス。体幹トレーニングは良いとして、私がメイド服になる理由を説明してもらおうかな? え、何? 上に乗るから四つん這いになれ? 流石にそれは……分かった、分かったからそのロウソクとむちをしまって。てゆーか、アイビスは私の何を調教トレーニングするつもりなの!?』


 あの子も彼女も、まるで姉妹の様に仲睦まじい関係に──見えないわね、これだと。


『映像で見てもらった彼女の名前は烏丸彩羽。何を隠そう彩羽は日本で拾ったボクの犬──相棒なんだ』


 今、サラッと自分の相棒を犬って言ったわね。この子。


『ボクのお願いは一つだけだ。ボクが何らかの理由で殉職リタイア、ないし行方不明になった時はハイネがボクの代わりに彩羽の面倒を見てあげて欲しいんだ。ほら、可愛がってる犬──相棒が寂しい思いをしたらハイネだって後味が悪いだろ?』


 だから、交換条件に潜入捜査の件は私設武装組織アストライアには秘密にしてあげる。画面越しのあの子は照れ臭そうにそう言った。


『きっとハイネも彩羽の事を気にいると思うよ? それに『女神の天秤アストライア』の猟犬として彩羽と行動していればいずれハイネの『目的』にも会えると思うから』


 この動画を撮影した日時が去年の十二月二十三日でくだんの『世界樹攻略作戦オペレーション・ニーベルング』の前日だと気付いたのは、あたしが女神の天秤アストライアの猟犬選抜試験に合格した後で、この動画の意図を完全に理解したのは行方不明者である烏丸彩羽捜索の任務に着任した五月二十日の朝だった。


『じゃあ、彩羽のことをお願いね? 言っておくけど彩羽をないがしろにしたらハイネでも許さないからね? 彩羽をいじめて良いのはボクだけなんだから」


 最後にそんな愛のあるセリフを残して動画はプツリと終わる──はずだった。


『最後にもう一つだけ。『何らかの理由』でボクがハイネや彩羽と敵対する場面があったら──その時は迷わずにボクを殺してね』


 ある意味で『それ』はあの子が既に死んでいることよりもタチが悪く、笑えない冗談よりも最低で最悪な筋書シナリオなのかもしれない。


 どうやら、あの子は作戦前の段階で事前にそうなる事を予見していたらしい。


 用意周到というか、腹黒いというか。あの子らしい手際の良さと未来予測だった。


 いいわ。不本意だけど、その話に乗ってあげる。


 あの子にお願いされた以上は義理を果たすべきよね。一人の友達として。


「……えっと。一応念のためにくけど、あんたが『烏丸彩羽』で間違いない……よね?」


 日本の高校に転入していざ御本人に会いに来てみれば、あたしの『新しい相棒』は映像とはまるで違って、覇気もなくて顔色も悪いくて、雨に濡れた子犬の様な弱々しい存在感で、もう見るに堪えない有様だった。


 正直言ってムカついた。「何をしょぼくれているんだ、しっかりしろ!」って、その時は思った。


 でも、実際に彩羽と話してみてこの子もあたしと同じ『寂しがり屋』なんだと思えた。


 今日になってなんとなくだけど、あの子が彩羽を可愛がる気持ちが少しだけ分かった気がする。


 分かった気がするけど──。


 なんなんだろう、この気持ちは?


 ただ他人の腰に手を回してバイクの二人乗りをしてるだけなのに、こんなに胸がドキドキするのは……なんなのよ! マジで!

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