第2話 ★試験はリアル鬼ごっこ

「試験内容は制限時間まであたしから逃げ続ける『鬼ごっこ』形式でいくから」


 着衣の乱れを直して冷静さを取り戻したシグネットは私に試験テストの内容を説明する。


「アンタの勝利条件は制限時間の60分経過を“五体満足”で無事に迎えること。失敗はなんらかの理由により制限時間内に行動不能におちいること。後は……そうね、この学校の敷地外に出ることも一応は敗北条件に含まれるかしら」


 ガチで逃げられると面倒だから、とシグネットは不敵な笑みを浮かべる。


「他に何か質問は?」

「……鬼ごっこ形式なら捕まった時点で不合格になるんじゃ?」

「はぁ、察しが悪いわねー。それだけだとあたしの方が面白くないのよ」

「面白くない?」

「言ったでしょ。思う存分可愛がってあげるって」

「…………」


 なるほど、向こうの視点で見ればこの試験テストはムカつく相手を私刑リンチに出来る絶好の機会なのだろう。


 試験という免罪符を「これはあくまでも試験だから」とあらゆる暴力行為の言い訳に使って。


 うーん、回りくどい。


 ハンティングゲーム感覚で私をボコボコに痛ぶるのが狙いなら最初からそう言っておけば……間違いなく私が敵前逃亡するな、うん。


 何にせよ、シグネットが真性のサディストなのは間違いない。


 ドSキャラは前の相棒で間に合ってるんだけどなぁ。


「試験開始は今から三時間後の午後九時ジャストから。あたしはその間にこの学校の防犯装置セキュリティを無力化するから、あんたは開始時刻まで教師に見つからない様に必死に身を隠してなさい」

「OK。そっちがヘマしないように心の中で祈っておくね♪」

「…………っ!!」


 ギュッと力強く握った拳をプルプルと震わせて「ふーふー」と荒い呼吸で己の心を自制するシグネット。どうやら煽り耐性はそれなりに備わっている様だ。


「ハハッ、マジで三時間後が楽しみ。絶対にブチ殺してやるんだから……」


 そんな不吉な独り言をブツブツと呟いてシグネットは空き教室を出て行った。


「……ふむ。あれは煽り耐性に難あり、かな」


 そして三時間が経過した夜の九時。暗闇に包まれた人気の無い校舎に本格的な夜が訪れた。


「……どうやら必要最低限の工作活動は出来るみたいだね」


 新人のお手並みを拝見するとか、そんな先輩風を吹かせるつもりはないけれど。でも、念のために防犯装置の要であるセンサー類と防犯カメラの稼働状況をチェックしつつ私は目的地の事務室に足を運んだわけなんだけど……流石は組織アストライア猟犬ハウンドというべきか、モニターや記録装置レコーダーの類も含めて防犯装置が見事に無力化されていた。


 単純な破壊ではなく機材の故障に見せかけた文字通りの工作活動。


「この様子だと警備会社に通報されて警備員に捕まる心配はないかなぁ」


 そもそも今のご時世だと異常を検知しなければ警備員すら来ない可能性もある。働き方改革の弊害へいがいがこんな風に現れるとはなげかわしい。


 この様子だと多少の騒音程度では他所よそから人が来ることは無いだろう。


 警備会社も所詮は表社会の一企業だから。裏社会の人間が相手ではまるで役に立たないのかもしれない。


 いや、この場合はシグネットの手腕を称賛するべきか。


 ある程度の時間を掛けたとはいえ、一人でこれをやるのは中々に骨が折れる作業だと思う。


「うーん。それにしてもあの年齢としで猟犬になったのかー。何ていうか、もっと真っ当な職業を探す気は無かったのかなー。あの容姿なら芸能界とか引くて数多だと思うんだけど」


 まぁ、それを言い出したら既に猟犬の経験を積んでいる私や同年代の子達にも当てはまるから、これ以上とやかく言うつもりは無いけど。


 ──やっぱりあの子も『孤児』なのかな。


「ずいぶんと余裕じゃない」


 事務室を出ると背後から声をかけられた。

 振り向くと、そこには月明かりに照らされた長い灰髪がゆらゆらと揺らめいていた。


「ねえ、人の話ちゃんと聞いてた? あんたは狩人ハンターのあたしからみじめに逃げる逃走者の配役キャストなんだけど?」

「なんだ、貴女って意外と子供っぽいんだね。テレビ番組の真似がしたいなら黒いスーツとサングラスを着けることをお勧めするよ。ごっこ遊びは先ず形から入らないと」

「ちがーう! 確かにあの番組にはちょっと出てみたいかもって思ってたけど、今はごっこ遊びしてる場合じゃないから! てゆーか、ごっこ遊びじゃないし!」


 プルプルと小刻みに身体を震わせるシグネット。その表情はいかにも怒り心頭と言った様子だった。


「なるほど、なるほど。分かった、分かったわ。目的は知らないけど……アンタがあたしを煽っているのはよーく分かったから」

「煽ってるんじゃなくて単純に貴女を小馬鹿にしてるんだけどね」

「はぁぁぁぁ!? マジでぶっ殺す!!!」


 シグネットはイノシシの如く突進して、力強く握った拳を振り上げ、顔面狙いの右ストレートを繰り出す。


「死ねや! この腹黒女!」


 私はその大雑把な攻撃を軽いステップでヒラリと避けた。腹黒女だなんて酷いな。前の相棒が聞いたら大爆笑間違いなしだ。


「……っ、この!!」


 攻撃を避けられたことにより更に苛立ちをつのらせるシグネットは大振りな攻撃で猛攻ラッシュを仕掛ける。


「ふむ。ボクシングは苦手かな?」

「ちょこまかと、ウザいわね!」


 学校の廊下でヒュンヒュンと空を切る音だけが鳴り響く。組み手を交えつつ拳打をさばいているとシグネットは不満な声で吠えた。


「はぁ!? なんで当たらないのよ!」


 ギャーギャーとわめいて文句を垂れ流すシグネット。

 それはそうだろうと思った。

 モーションが大振りすぎて狙いがバレバレだし、何より相手との距離の詰め方がお粗末すぎる。


 猪突猛進がシグネットのバトルスタイルなら彼女を猟犬に採用した経緯を説明してもらいたい。これだと素人の喧嘩と大差がない。


 もしかして一対一タイマンよりも二人一組ツーマンセルが得意とか?


 あるいは奇襲などの闇討ちが専門分野で正面からの戦闘には慣れていないのだろうか。


 どちらにせよ、これではお話にならない。よくもまぁ、この程度の実力であの『理不尽な選抜試験』を通過できたな。


 もしかして今は人選するほど人材に余裕がないのだろか? 育成機関の出身じゃなくて外部からのスカウト枠なのかな?


「ほら、足元がお留守になってるよ?」

「っ!?」


 そう言って事前に予告を出した私の足払いをシグネットは大袈裟おおげさなバックステップで回避する。


「……くっ、反撃とか生意気!」


 牙をき出しにしてもう一度仕掛けてくるシグネットに私はこう指摘する。


「馬鹿みたいに暴れるとまたブラウスのボタンが弾けるよ? というか、ボタン外れてる」

「ふぇ!?」


 ガバッと。シグネットが胸元を腕でおおい隠す。


 私はその一瞬のすきをついて「やーい引っかかった」と煽り散らかして脱兎の如く廊下を駆ける。


 これは鬼ごっこだから鬼からはちゃんと逃げないとね。


「なーんだ嘘か……って! ふざけんなコラァァァ!!」


 振り向くとそこには鬼の形相で追いかけてくるシグネットの姿があった。


「待てやゴルァァァ!!!」


 あれは完全にブチ切れてるなと思った。


「無理はしないでシグネット。その身体つきのせいで走るのは苦手でしょ?」


 走ると胸がたゆんたゆん揺れて辛いよね。私も大きい方だから気持ちは分かる。


「余計な気遣いとかいらないから! つーか人の胸をイジんな! 女子同士でもそれ普通にセクハラだから!」

「ちなみにバストサイズはいくつなの? 私はFだけど」

「え? あ、あたしはHだけど……」

「大きいと辛いよね。走ると揺れて気持ち悪いし。運動する時はスポブラ必須だし、仰向けで寝れないし、肩が凝るし。大きくて良いことなんて何も無いよね」

「分かる。胸が邪魔で足元とか見えない……って何の話よこれ!」

「ふむ? 強いて言えば乙女の秘密を暴露する真夜中のガールズトークかな?」


 生産性のない雑談のキャッチボールを投げ合って私とシグネットは真夜中の学校をひたすら走り抜ける。


 廊下を走り、階段を飛び越え、時には壁を蹴り、忍者さながらのパルクールを繰り広げる。スカートの中身が見えることなんて気にしない。私とシグネットは遊びじゃない本気の鬼ごっこを繰り広げていた。


「はっ、逃げ足だけは達者みたいね! クソ雑魚のアンタにはお似合いだわ!」

「そりゃ逃げるよ。鬼がめちゃくちゃ凶暴だからね」

「はぁ!? 誰が凶暴よ!」


 どうやら徒競走に関しては私の方に若干の分があるらしく、数分が経過した現在でも一定の距離を維持してシグネットの追跡から逃れ続けていた。


 学校の敷地内をあらかた回って約十分が経過。

 そろそろ仕掛ける頃合いだと思った。


 私は目的地である生徒玄関に向かい設置されている下駄箱の列に紛れ込む。


「馬鹿ねっ、そっちは行き止まりよ!」


 無論、それは承知している。

 それを見越した上で私は『何も無い空間』をピョンと大袈裟おおげさに飛び越えた。


 誰の目から見てもあからさまに不自然な行動。

 さて、狩人はどう反応するだろうか。


「…………えっ!?」


 彼女の目に何かが映ったのか、シグネットは不測の事態に遭遇した運転手ドライバーの如く強引に足で急ブレーキをかける。


「は? 何これ、ワイヤートラップ?」


 かすかに足にワイヤーが触れた状態で止まり下駄箱の周囲を警戒するシグネット。


 夜間において黒塗りのワイヤーは酷く見え辛い。多少の不自然な行動があったとはいえ、この状況下で冷静な判断を下せたということは分析能力がそれなりに備わっている証拠なのだろう。


 少なくとも及第点くらいは出していいだろう。


「そういえば、一つ聞きそびれたんだけど」


 私はそんな露骨な前振りを入れてシグネットにたずねる。


「ルールの確認なんだけどの合否判定はどうなるのかな? まさか、この期に及んで狩人に対する反撃行為はルール違反とか言わないよね?」

「それは……」

「逃げ回るよりもブービートラップで貴女を行動不能にして時間を潰す方が楽をできると思ったんだ。あわよくば事故に見せかけて貴女を“始末”するのも悪くないし」

「始末?」

「ほら、私って一応はだし。追手を始末するのは別に初めてじゃないんだよね。現に私は今でも生き残っているわけだから。言ってる意味分かるよね?」

「……っ!?」


 私の思惑を読んだのか、表情を一際険しくしたシグネットは内股のベルトからナイフを引き抜いた。


「はっ、やれるものならやって──」

「なんちゃって。貴女に危害は加えないよ。だってそれただのワイヤーだし」


 実際問題、殺傷能力のあるブービートラップを作る道具も材料も無いから。設置しているのは正真正銘ただのワイヤーだ。


「……意味わかんない。なんでわざわざ逃げ回る様なフリしたの?」


 その質問には明確な答えがある。


「新人の力量を測ってたんだ。意趣返しのつもりで」

「意趣返し? なんの?」

「シグネットも言ったでしょ?「雑魚の腑抜ふぬけに背中を預けるのだけは御免ごめんだ」って。だから私なりにアピールしたんだ、って」

「…………っ」


 シグネットは引き抜いたナイフをゆっくりと元の位置に収めた。


「……なるほどね。試されてたのはあたしの方、か」


 しばしの沈黙をはさみシグネットは「すーはー」と一呼吸置いて、


「……ごめん。あたし、アンタのことナメてた。安い挑発したのは素直に謝る」


 と、私に対して謝罪の言葉をつぶやいた。


「それはお互い様だから気にしないで」

「悔しいけど、一応はアンタのこと認めてあげる」

「良いの? まだ制限時間が半分くらいは残ってるけど」

「あたしが良いって言ったらいーの。これ以上は時間の無駄だから。あんだけ動き回って息一つ乱れてない時点でアンタが『普通じゃない』のはよーく分かったから」


 校内を走り回って表情に若干の疲労が見えるシグネットは「ふぅ……」と溜息を漏らした。


「それはどうも。しかし、あの怒り具合が演技とは恐れいるよ。流石は組織の新人ルーキーだね」

「いや、あれは演技じゃなくてマジでブチギレてただけだから」

「マジでブチギレてたんだ。なんかごめんね」

「そうよ。あたしに対する子供扱いとセクハラは重罪なんだから」

「まだ根に持つか」

「当たり前でしょ。乙女のハートはデリケートなの」


 どこに乙女がいるんだ、とツッコミを入れそうになったけど……言うと間違いなく面倒な事態になりかねないので私は口を慎む事にした。


「はぁ、相手の力量を測り損ねるとか……猟犬失格ね」


 シグネットは自身の失態を嘆いているのか、くしゃりと悩ましげな表情で髪をかき上げる。


「これが実戦だったら今頃あたしは蜂の巣か挽肉ミンチになっていたかもしれないわね」

「いや、流石に学校の敷地でそれはないと思うよ?」

「そうかもね。でも、可能性がゼロとは限らないでしょ? あたしがどこかの組織の暗殺者かもしれないって可能性と一緒で」

「…………」


 実戦なら死んでいたかもしれない。その可能性は私にも当てはまる。シグネットはそう言いたげな顔で私をジッと見つめていた。


「……あたし、新しい相棒パートナーには長生きして欲しいから」


 その瞳にはわずかに悲しみの色が浮かび上がっていた。

 裏社会において相手の事情を詮索するのはナンセンスだけど。

 どうやら、今はお互いに相棒不在フリーの状態らしい。


「まっ、さっきの身のこなしを見る限りその心配は無さそうだけどね。アンタ逃げ足だけは達者そうだし?」


 少し照れ臭そうな顔でシグネットは言う。


「とりあえず試験は合格よ。おめでと。その、これからよろしくね?」


 そう言って彼女は小さな拳を突き出して私に拳同士の挨拶フィスト・バンプを求めてきた。


 意外と素直な一面があるんだなと思った。もしかしてシグネットはツンデレかな?


 なんていうか、シグネットは私みたいに作った人格キャラじゃないんだよね。


 彼女の様な真っ当な性格の持ち主は裏社会の住人に相応しくないと思う。


 優しい人間。なら、なおさらこの件は断るべきだ。

 彼女と私自身のためにも。


「……シグネットには悪いけど試験テストは辞退させてもらうよ」

「は? なんで? あたしが合格出したんだから素直に喜びなさいよね!」

「いや、私はそもそも組織に戻るつもりはないんだ」


 私は二度とあんな思いはしたくないから。

 それに大切なものを失った痛みは半年程度でいええるはずがない。

 私はもう空には翔けない。

 そう、思っていた。


「分かった。あたしがアンタに組織に戻る理由を与えてあげる」


 その一言が全ての始まりだった。


「……何を言って──」

「あんたが勝手に死んだと思ってる『昔の相棒』に会わせてあげるって言ってんの」

「…………っ!?」


 それは。

 アイビスが、あの子がまだ生きている。

 その可能性は日常に飼い慣らされて腐っていた私にとって酷く甘美で思考を放棄するほど魅力的な『禁断の果実』だった。


「シグネット。貴女は一体……」

「ん、まぁ、あたしもあの子にはちょっと“借り”があってね」

「シグネットはアイビスと面識があるの?」

「そ、あたしの事情でどうしてもあの子に会わないといけないから。それには相棒だったアンタの協力も必要になるってわけ」

「…………」


 この瞬間に私の止まっていた時計の針が未来に向かって動き始めた。


「だからさ、猟犬らしく利害が一致する者同士って事であたしとペアを組まない?」


 そう言ってもう一度突き出された小さな拳に私はコツンと自分の拳を合わせた。


「よろしく彩羽」

「よろしく、シグネット。いや、山田さん」


 短い挨拶を交わした後でシグネットは気難しい顔で一言呟いた。


「うーん。やっぱ山田花子はやめようかな……」


 そうだね。流石に山田花子は無いと思うよ?

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