第0話 ★二人の少女

 不良品の私、烏丸彩羽からすま いろはを取り巻く『小さな世界』はいつも『評価の暴力』におびやかされていた。


「どうして貴女は何もかも上手に出来ないの! 他の子はどんどん先に進んでいるのに! ねえ、どうしてなの?」


 それは小学生時代の一幕。返ってきたテストを見せると、ママは険しい顔で私のことを見下ろしていた。振り上げられた手が目に入り、私は反射的に目を閉じた。


「おい、うるさいぞ。しかるなら他所でやれ」

「あなたも父親なら彩羽のことしっかりしつけて下さいよ! この子またテストで悪い点を取ったんですよ? 56点なんて、普通なら有り得ない点数ですよ!?」

「それはお前の教え方が悪いんだろう。俺に責任を押し付けるな」

「いいえ、あなたが彩羽を塾に行かせないからこうなるんですよ。塾にさえ行ければこんなみじめな結果にはならなかったはずです」

「仕方ないだろ。こっちだって教会に納める義援金があるんだ」

「宗教団体に払う無駄金があるならもっと家にいれて下さいよ。一体いくら貢いでいるんですか?」

「なんだその言い方は!」

「なによ、事実でしょう?」


 夏のせみよりもうるさい両親の怒鳴り声。部屋に閉じこもって耳を塞いでも脳内にすり込まれたこの雑音ノイズは時間が経っても消える事は無かった。


 どうして私は出来の悪い子なんだろう。どうして私の家庭はこんなにも普通じゃないのだろう。月の光すらも届かない暗闇の中でそんなことばかり考えていた。


 小さい頃の思い出は不幸なことばかりだ。

 友達とかクラブ活動とか学校行事とか、そう言うキラキラした思い出は『普通の子供』にだけ許された特権だと私は思うから。


 私に普通の子供っぽい『何か』を求められても正直言って困る。そんなこと期待されてもどうせ後でガッカリされるだけだし。



「ねえ、烏丸さんの親が宗教団体に貢いでるって話マジなの?」

「いやいや、うちらが話しかけてるのに無視しないでよ」

「何その愛想笑い。烏丸さんうちらのこと馬鹿にしてるでしょ?」


 小学校に行っても雑音は消えない。そう言って私に関わる人は最終的に私を無邪気に傷付ける。いつも、どこでも、誰でも。


 傷付けるだけ傷付けて私をれ物みたいにあつかう。

 私はもう傷付きたくない。これ以上私に何かを期待しないで。

 いい加減、普通じゃない私に普通の生活を送らせて。

 誰か普通になる方法を教えて。

 それが何年経っても叶わないから。


「私にれ馴れしく話しかけないで」


 ゆがんだ幼少期を過ごした私は、他人と関わらない生き方を選んだ。他人と関わらなければ知りたくない事を知らなくて済むし、話したくない事を話さなくて済むから。


 一人の方が安心出来る。他人と関わるのは凄く疲れる。口は災いの元、余計なことを喋らなければトラブルも起こらない。


 評価の暴力にさらされる生活は毒親を持つ子供が抱える一種の宿命だから。それはもう我慢するしか方法がなかった。


 おそらくこの先も不良品という私の人物評価レッテルくつがえる事はないだろう。これは私が生きている限り消えることのない大きな傷痕トラウマだ。この傷は言わば不良品の証なのだろう。


 私は不良品。普通じゃない出来の悪い子。


 誰も私に興味なんてない。大人が見ているのは成績と素行だけ。私の真価なかみなんて誰も見ようとしない。


 誰も私の気持ちを理解してくれない。私はこんなにも苦しいのに。みんなは自分勝手に私を既存のイメージに当てはめて見ている。


 パパもママも不良品の私じゃなくて『優等生』の烏丸彩羽を育てたかったんだろう。


 実の両親ですらも私の気持ちを、苦しみを全然理解してくれない。所詮、私は毒親のサンドバッグ。八つ当たりされるだけの惨めな存在。体罰なんて日常茶飯事。顔や身体にあざが出来ることも珍しくはなかった。


 このままじゃいつか毒親に殺される。そうでなくても明るい未来なんて絶対にやって来ない。私の人生に『リセマラ』なんて都合の良い舞台装置は存在しない。


 それが分かったから。


 14歳の冬。中学二年生になりついに心の限界を迎えた私は『小さな世界』を自らの手で終わらせようと考えた。マンションからの飛び降り自殺という最も確実な方法を思いついて。


 死んで楽になろう。ざまぁみろ。全部お前らが悪いんだ。そう思っていた。あの日、クリスマスイヴの夜に『救世主』が私の家におとずれるその瞬間まで。


 私が見たその色は目が覚める様な《真紅》だった。


「やぁ、こんばんは」


 その時の私は思考が麻痺していた。自分が踏んでいる『赤い染み』が鮮血であることも、リビングの床に両親の亡骸が横たわっていることも、その子に声をかけられるまでまったく気付かなかった。


 そんな馬鹿みたいな失態ミスは生きることに疲れていなければ起こるはずがない。これは日常では決してだ。


「何でここに入ってきたの?」


 そう、この『出会い』はただの偶然で、たまたま起こった不幸な事故のはずだ。


「マンションの通路と部屋の前にバリケードがあったんだけど。侵入禁止って文字、見えてなかったの?」


 鈴を転がすような耳あたりの良い声の方に目を向けると、そこには今にも消えてなくなりそうなほど存在感が希薄な少女が一人。真紅の血飛沫ちしぶきで彩られた舞台の上に立っていた。


 雪のように白い肌。血のように赤い真紅の瞳。小柄で華奢な身体付き。目が眩むほど鮮やかな桜色のミディアムロング。身にまとっている真紅の衣装ドレスと首に着けている黒いチョーカーも含めて非日常的かつ幻想的な少女のキャラクター像が私の脳内に強烈な印象イメージを与える。


 異常事態の最中でも思わず見惚れてしまうほどその子は綺麗だった。


「困ったなー。この状況はどうしよう?」


 彼女が腕を振るとナイフに付着した鮮血が壁にビチャリと飛び散る。目に飛び込んで来た異常な視覚情報で疲労困憊ひろうこんぱいしていた私の思考能力がカッと覚醒する。


「んー……一般人をここに通すとか、見張り役は何してたんだろ? もしかしてサボってるのかな?」


 彼女はまるで通行人に道を尋ねているかの様な気さくさで私にそう話しかけてくる。そんな友好的フレンドリーな対応に私の警戒心はフッと霧散する。私はこの時になってようやく口を開いた。


「……ほら、今日は雪が降っているから視界が悪くて……それで色々と見えなかったんだと思うよ?」

「ふうん、なるほど。それは災難だったね」


 不気味さを覚えるほど音のしない足取りで、彼女は私の眼前にまで迫ってくる。


「ねえ、キミ。口封じで殺されるのと、ボクの相棒パートナーになるの、どっちがいい?」


 無垢な笑顔。

 その問い掛けは日常に疲れていた私にとって酷く魅力的で、まるで心臓を鷲掴わしづかみにされたかのような殺し文句だった。


 ──ああ、そうか。

 毒親が死んだ! 私は苦しみから解放されたんだ!

 私一人じゃ何一つ変えられなかった理不尽をこの子はナイフ一つで解決した!

 そうだ、この子が私の小さな世界を壊してくれたんだ!

 この子が私の世界の救世主なんだ!


 それを理解した瞬間、私の心臓は止まることなく生きる喜びを噛み締める様にドクドクと高鳴り続けた。

 

「……答える前に一つだけ、貴女に質問してもいいかな?」

「うん。いいよ」


 不思議と恐怖心は無かった。

 鼻につく血生臭い匂いも、目に映る魂の抜けた肉塊も大して気にならない。目の前にいる『生きた芸術品』と出会えた奇跡に比べれば殺人現場なんて本当に些細な異常事態だった。


 今はとにかく目の前にいる彼女の機嫌を取りたい。彼女の事をもっと知りたい。疲れている私の頭の中はもうそれしか考えていなかった。


「出来の悪い私なんかでも、貴女の役に立てるかな?」


 ただ一つの不安を口に出すと、彼女は薄く笑って「大丈夫だよ」と答えた。


「キミの見ている『世界』はキミを中心に回っている。つまりキミは『キミの世界』の主人公だ。だから、何も心配はいらないよ」


 怖がらないで、と。差し出されたその小さな手は、たとえ血塗られていても、とても人殺しをするような人物の手には見えなかった。


 不良品の私は暗闇の中にある小さな光が差し出した『甘い罠』を受け入れた。


「ボクはJC04アイビス。気軽にアイビスって呼んでね」


 人の名前にしては変な苗字と名前だと思った。


 それもそのはずだ。その呼び名はいわゆる呼出符号コールサインで、それを名乗る彼女は世界で暗躍する私設武装組織の猟犬ハウンドだった。


「私の名前は烏丸彩羽だよ。よろしくねアイビス」

「うん。よろしく彩羽」


 そんな衝撃的なアイビスとの出会いを経て私は悪を狩る猟犬である彼女の相棒パートナーになる道を選んだ。


 両親の死後、海外留学というありふれた名目で私は生まれ育った母国にほんを離れた。表向きの口実とはいえ、外国語にうとい私が海外留学とは中々に苦しい嘘だったと思う。


 それから程なくして私はアイビスの所属する私設武装組織【女神の天秤アストライア】の本部に赴き一年の年月を費やして過酷な教育課程カリキュラムと選抜試験をクリアした。


 コールサインを与えられて正式なアイビスの相棒になった私は彼女とともに世界各地を巡る極秘任務の旅に出た。


 世界各地を巡る極秘任務の旅は私とアイビスの信頼関係を築く上で欠かせないイベントだった。


「私のコールサインが『レイヴン』っていくら何でも安直過ぎない?? それに朱鷺アイビスレイヴンの組み合わせって何か変な感じしない?」

「そう? ボクは良いと思うよ? 片方の翼しかなくても二人一緒なら飛べるしね」

「……ごめん、それ何の話?」

「もー、仕方ないなぁ。学のない彩羽に『比翼の鳥』を教えてあげるよ。要はボク達二人がラブラブだってことさ」

「唐突な百合営業はよしなさいって」

「そっか、それは残念だ。ボクは彩羽からの愛の告白プロポーズを期待してたんだけどなー」

「えー、今のままでも十分でしょ?」

「それもそうだね。ボクは彩羽に愛されて幸せだよ」

「…………っ」


 そんな冗談を交わせる程度にはお互いに相棒パートナーの意識があったんだと思う。


 思い返せば私とアイビスは親密な関係になり過ぎた。


 仲良くなったことを後悔するほどに。


 結論から言って、貴重な学生生活の大半を犠牲にして得たものは、なけなしの語学力と日常生活に必要のない戦闘技術だけだった。


 振り返ると得るものより失うものの方が多かった気がする。


 そして、『あの作戦』から半年以上が経った現在。気の休まらない日常を送り『ただの女子高生』に戻った17歳の私は、とある事情で再び《戦禍》にこの身を投じることになる。


「JK13レイヴン、仕事の時間だ」


 ──それが甘い罠でも構わない。今度こそ私はあの子にこの気持ちを伝えるんだ。

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