輝夜の願い

星海ちあき

第1話

 満月の美しい夜、私はひいおばあ様から譲り受けた着物の帯と薄めのストールを床に広げた。帯には月や星を模った意匠が施され、ストールは肌触りの良い糸で織られ、糸にラメが入っているのか光に反射して煌めいている。どちらも淡い水色と黄緑色を基調としている。

「どうすればひいおばあ様のように、人とうまく話せるのでしょうか……」

 そんな弱音を吐いたところで誰も答えてはくれないけれど、とにかく外に気持ちを追い出したかった。

 私は人付き合いが得意ではない。話しかけてもよそよそしかったり、遠巻きに見られたりしてばかりだった。幼いころからずっとそんな感じで、友人ができたことはない。

 ただ、心から信頼できるような、そんな人といたいだけなのにそれが叶わない。

 深いため息をこぼした時、どこからか私を呼ぶ声が聞こえた。

 テレビはついてないし、ラジオなどもうちにはない。かなり小さな声だったし、聞き間違いかと思えば、今度ははっきりと声が聞こえた。

輝夜かぐや様!貴女が月城つきしろ輝夜様ですよね!輝夜様を月にお連れするため、お迎えにあがりました!」

 はきはきとした元気な声が部屋に響き、私は何かに吸い込まれるような落ちていく感覚に襲われた。突然のことに目を瞑り、不思議な浮遊感から解放されて再び瞼を上げた先には見知らぬ場所が広がっていた。

「え、ここは……」

 明らかに自宅ではない、というか屋外だった。あたりに建物はなく、私のすぐそばには先ほど広げた帯とストールが無造作に落ちている。あとは小さな泉がある以外、見渡す限りごつごつとした岩場にほんの少し砂がかぶっている荒野だ。まったく見覚えのない場所で、目の前にはうさ耳を付けた少女がにこにこして立っている。どう考えても異常なこの状況に思考が停止する。

「ここは月です!輝夜様の横にある月の泉が地上と月を繋ぐ扉になっているのですよ。ざっくり言いますと、輝夜様は月の姫であらせられるのでこの度お迎えにあがったのです。輝夜様は今後、姫として月を支えていくと同時にいずれ女王となります。ですのでまずはそんな輝夜様を支える伴侶を候補の中から選んでいただきます!」

「ま、待って!ちょっとストップ!」

 つらつらと並べられる言葉を遮り、一呼吸置く。

 問いただしたいここは多々あるが、ここは『月』だと彼女は言った。いつも見上げていたあの月のことを言っているのか、それは判断ができないが、ここが『月』だと聞いて一つの思い出が頭をよぎった。

 それはまだひいおばあ様が生きていた頃、私が小学五年になった年の秋、初めて聞かされたひいおばあ様の過去。

 ひいおばあ様はとても寂しそうに笑って、月を眺めながら、静かに言葉を紡いだ。

『私はね、幼いころ月にいたのよ。事情があって今はここにいるけれど、いつかは帰りたいと思っているの。……輝夜、貴女にも見せてあげたいわ。あの美しく輝く場所を』

 ひいおばあ様はいつも、寂しそうに月を眺めていた。月にいたというのが本当なのかはわからないけれど、こんな嘘をつくとも思えない。だからその時はあまり深くは考えなかった。

 いつか見せてあげたいというひいおばあ様の願いがこんな形で実現するとは思わなくて、私はかなり驚いている。

 加えて、意味の分からないことを目の前にいるうさ耳の少女は口にした。姫やら伴侶やら、彼女の言葉は理解しがたい。

「私が姫って、どういうこと?私が知っている月とも違うし、伴侶を選べとか月を支えるとか、ましてや女王とか、あなたの言うことすべて、意味がわからないんだけど……」

 少しの逡巡の後、少女は困ったように眉を下げた。

「うーん、何と説明すればよいでしょう……。まず、ここは間違いなく月です。輝夜様のひいおばあ様、ひかり様が幼少期を過ごされた場所なのです。ただ、ここは月の中の世界なので、地上から見る月とは異なる場所なのです」

 どうしてこの少女がひいおばあ様のことを知っているのかは疑問だが、彼女の言葉を要約すればここは異世界ということだろうか。

 現実味の薄い状況に戸惑い、自分の頬を少し強めにつねってみるが、痛みしか感じない。これは確かに現実なのだ。

「輝夜様の血筋はこの月の王家の直系です。突然のことで混乱しているかと思いますが、輝夜様には姫としての役目を城で果たしていただきます。ちなみに、地上へ帰ることはできません。今すぐは、ですが」

 帰ることが出来ず、役目を果たす以外の道がない。

 役目が何かわからないし、この少女が何者なのかもわからない。彼女の話を聞いて、自分が何者なのかもわからなくなってしまった。

 わからないことしかないけれど、なぜか私は不思議と落ち着いている。

 早くに両親を亡くして、私はずっとひいおばあ様と暮らしていた。友達が出来なくても、家に帰ればひいおばあ様がいるから大丈夫だと、そう思っていた。けれど、高校二年の夏にひいおばあ様もいなくなってしまった。

 独りきりに、なってしまった。

 父を含むひいおばあ様の親戚のことは全く知らないため、私は母方の親戚に預けられたが、やはりどこかよそよそしい。仲良くなれないまま高校を卒業し、ずっと居候するのも悪いと思って大学進学と共に一人暮らしを始めた。

 大学でも相変わらず友達はできないまま、私は言い知れない寂しさを感じていた。この世界のどこにも、私の居場所はなく、必要としてくれる人もいないのだと。

 それなのに、突然連れて来られたこの場所で、素性もわからない人から必要とされた。もちろん不安や困惑はある。

 けれど、この場所でなら私の居場所が見つかるかもしれない。それに、初めて来た場所なのにとても懐かしく感じる。

 そんな自分の感情を不思議に思っていると遠くから私たちの名前を叫んで走ってくる人が見えた。

「月乃!姫様!」

 彼女もまたうさ耳をつけている。突拍子もないことを話していた少女はおっとりした顔立ちだったが、今来た少女はつり目がちで表情がとても凛々しく真面目そうだ。

 その印象通り、彼女は礼儀正しく頭を下げた。

「私は月乃と共に姫様の側近兼世話役を任せられております、桐と申します。どうぞよろしくお願い致します」

「あ、はい!私が月乃です!ご挨拶を忘れてしまい申し訳ありません!」

 桐と名乗った少女は深くため息をつき、そのまま説教が始まりそうな予感がしたがそれは咳払いへと変わった。

「どうせ月乃は姫様に詳しいことを話していないでしょうし、ひとまず城へと向かいましょう。私共がご案内します。その間に、歩きながらにはなりますが説明をさせていただきます。……姫様、どうかこの月をお救いください」

 そのあまりにも切ない声に胸が痛んだ。

 この場所を元の姿にもどさねばならない。そんな使命にも似た衝動が胸中を小さく搔き回していることに首を傾げたが、とりあえず私たち三人は荒れた土地を進み始めた。





 月の泉はいくつか点在しており、月と地上を繋ぐのは満月の夜のごくわずかな時間のみ。また、その時間も決まっていない。

 そもそもこの世界がどうしてこんなにも荒れているのか、それは七四年前まで続いていた戦争によりこの世界に必要不可欠な月の光が失われたことが原因だ。

 月の光とは王が持つ加護の力であり、世界を豊かにするだけでなく、人々の生きる糧、生命力にもなっているのだという。それがなくなることは世界の破滅も同然だ。

「だから、こんなにも薄暗いんだ……。建物が少ないし、人の気配も……」

 ほとんど何もない荒地が広がり続けるこの場所には、草木はおろか人の気配もない。乾いた風が緩く吹いて砂を運んでいくだけ。

 あまりの惨状に寂しさが湧き上がる。

「戦が頻発し、その際に王家が衰退してしまったのです。当時の国王は自分の娘を地上に逃がし、いつか月を再建することを願いながら戦に身を投じました。この娘が、輝様です」

 王の娘であるひいおばあ様に託された願いは叶わず、私に使命が受け継がれたと、桐さんはうつむきがちに語った。

 地上でも戦争はある。大きなものから小さなものまで、人は誰かを傷つける。理由は様々だが、どの時代でも、どの場所でも、それは変わらないのかもしれない。本当に争いのない世界は、ないのかもしれない。

 そう思って私も下を見ていると、明るい声がすぐ横から聞こえてきた。

「輝夜様、前に見えてきた建物が月の王家が住まう城、光紫こうし城でございます!」

 目の前に現れたのは中華風のとても立派で荘厳な城。中央に大きな屋敷があり、左右には小さな塔のようなものがいくつかある。


「まずは大広間にご案内致します。姫様の婿候補となられた一級貴族様が三人、すでにお待ちのはずです」

「え、貴族なの?私なんか釣り合わない気が……」

 そういえば結婚相手を選ばなければいけないのだった。まともに恋愛もしたことがないというのにいきなり結婚なんてまったく想像ができない。

 思わず溜息を溢すも、横から聞こえてくるのは励ましの声。目を向けると月乃さんが瞳をキラキラさせている。

「大丈夫ですよ!三人ともお綺麗な方たちですが、輝夜様もとても美しいです!」

 そんなことを言われたのは初めてだったので少し照れる。小さく「ありがとう」と溢し、聞こえたのかはわからないけれど、二人は笑顔で私の手を引いた。



 とても立派な外装に驚いたが、内装も同様に豪華だった。扉にも柱にも、一つずつ丁寧な絵やら模様やらがあしらわている。

「すごい細かい装飾なのね。保つのも大変そう」

「この城もかつての戦でボロボロになってしまいました。それを修復してくださったのが婿候補の一人、紫苑様の祖父君です。彼らの一族が城を建て、以来城のメンテナンスをしてきました」

 桐さんの静かな解説を聞きながら周りを観察していると透き通るような音色が微かに聞こえてきた。

「これは、笛の音?」

「おそらく婿候補のお一人、冬歌とうか様でしょう。言い忘れておりましたが、月で貴族の爵位を持っておられる方はみな、それぞれ不思議な力を持っておられます」

 この笛の奏者と思われる冬歌さんは、奏でる音色に傷を癒す力を持つ。

 先ほど話題にのぼった紫苑さんは、植物を操る力を持つ。

 そして私自身にも、月の光を与える力があるという。

 これらの不思議な力は家系ごとに決まっているらしい。その力の強さには強弱があるらしいが、今回私の婿候補に上げられた人たちはみんな強い力を持っているのだとか。

 そんな話を聞いているうちに笛の音色は少しずつ近づき、私たちは一つの大きな扉の前に着いた。

 桐さんと月乃さんが扉を開け、笛の音が響く部屋へと足を踏み入れた。



 大広間の天井からは蝋燭のついたシャンデリアが吊るされており、中華風な外装とは打って変わって中世ヨーロッパのような内装だ。床から天井まで届く大きな窓には植物を思わせるような模様が入っている。その奥に広がる景色は暗くてよく見えなかった。

 そんな豪華な部屋の中心に凛と立ち、澄んだ音色を奏でているのはなかなかに珍しい、空色の髪をした男性。

「あの人が、冬歌さん……」

「そうです!戦争時に生き残った、王族の遠縁家系のご子息なのですよ。つまり輝夜様の親族にあたるお方ですね」

 私の小さなつぶやきに返したのは月乃さんだ。

 立ち姿に隙はなく、指の先まで美しい。高嶺の花、というやつだ。

 桐さんがそんな彼に近づき声を掛ければ閉じられていた瞼が持ち上がり、笛の音が止むと同時におっとりとした声が広間に響いた。

「あれ、ごめんね。つい自分の世界に浸っちゃってた。そっちの綺麗な人が輝夜様?初めまして、僕は冬歌。よろしくね、輝夜さん」

「よ、よろしくお願いします」

 先ほどまで感じていたものとは全く異なるものが胸の内を占める。

 高嶺の花、というのはそうだが、どことなくほわほわしていて彼を見ていると心が和む。

 隙がないように思えたが、こうして言葉を交わしてみるとそうでもないかもしれない。

 ゆったりとした口調で微笑むその姿には気品がにじみ出ており、何より可愛らしい。

「えっと、冬歌さんは、私の親族で遠縁だと聞いたんですが、それならわざわざ私を呼ばなくても、あなたが王様になればいいんじゃないんですか?」

 月乃さんが話してくれた内容を思い返しながらそう問いかけた。

 王族がいるのなら、別に私でなくてもいいはずだ。王様なんて私には無理だし、桐さんのいう月の光を与えるという王族の力だって、本当に私にあるのか怪しい。

 もしもなかったら、私は月にいても何もしてあげられない。

「僕の方が年下だろうから、敬語じゃなくていいよ。名前も、呼び捨てにしてほしいな」

「じゃあ、冬歌、くん?」

 名前を呼び直せば冬歌くんは嬉しそうに笑った。

「うん。さっき輝夜さんが言った通り、僕は輝夜さんの親戚だけど、王族に輿入れした家系なんだ。王族の血が入っていないから、僕に月の光を与える力はないんだよ」

 直系の生き残りは地上へと落とされたひいおばあ様だけ。そのひいおばあ様も、両親も、もういないために直系の王族は私だけとなった。

 だからこそ、月の光を再び世界に満たすために私が必要なのだ。

「僕の傷を癒す力もそうだけど、その力はそう簡単に扱えるものじゃない。ずっと地上にいた輝夜さんの力はまだ眠ったままだし、まずは力の覚醒をすることになると思う」

 そんなことを言われても、まったく実感はわかない。

 力が眠っているだとか、覚醒だとか、どうすればいいかなんてわからない。

 何もわからないまま放り出されたような気分で自分のつま先を見つめた。この先どうすればいいのか。月に連れて来られてから静かに感じていた漠然とした不安が少しずつ大きくなっていく。

 何も言えずにいると、少し上から柔らかく温かい声が私の名前を呼んだ。

 顔を上げれば冬歌くんが優しく笑んでいる。

「たぶん、輝夜さんは怖いよね。わからないことも多いと思う。この世界のことも、まだ把握できていないだろうし、自分のことも、把握していないかもしれない。でもね、少しずつでいいから、この世界を知ってほしいって僕は思ってるよ」

 僕にできることは何でもするからと、冬歌くんは私の目を真っ直ぐ見つめて言った。

 会ったばかりの私に、どうしてそこまで言ってくれるのか。どうして優しくしてくれるのか。

 それはきっと、私が姫で、月に必要だから。

 ただの月城輝夜に向けられた言葉ではないのだろうと思うと、強い寂しさに襲われた。

 それが顔に出ていたのか、「そんな顔しないで」という声と共に、私の手よりも大きいそれが頭に乗せられた。

「僕は輝夜さんと仲良くなりたいと思ってるけど、それは身分とか関係ないよ。君がどんな人なのか、何が好きで、何が嫌いか。そういうのを知りたい。普通の友達になりたいんだ」

 ほんの少し眉を寄せて「婿候補でもあるけどね」と困ったように冬歌くんは笑った。

 彼の言葉がゆっくりと私の心に染み入る。やはり、突然起きた出来事に心は凝り固まっていたのだろう。暖かな陽射しのように私の心を温めてくれる冬歌くんの言葉とその笑顔につられて、私の頬も自然と緩まっていくのを感じる。

 彼と話してようやく緊張がほぐれてきたのかもしれない。

「あのぅ、直哉様と紫苑様はどちらに?大広間へ集まるようお伝えしたと思うのですが」

「紫苑さんはわからないけど、直哉さんはもうすぐ来るはずだよ」

 その言葉の直後、背後の扉がゆっくりと開いた。入ってきた人はまさしく貴公子という言葉がぴったりの男性。

 色素の薄い髪に紅茶色の瞳。物腰柔らかそうな微笑を携えて颯爽と私たちの側に歩を進めた。

「すまない、待たせた」

 発せられた声には自信や威厳がうかがえる。

「直哉様、ご公務が長引かれたのですか?」

「ああ、領地の復興作業についての話し合いがなかなかに進まなくてな。あなたが輝夜だな。よく月に戻ってくれた。俺は直哉だ、よろしく頼む」

「よ、よろしくお願いします……」

 こちらに体ごと向き直って礼儀正しく挨拶をするさまはまさしく王子のようだ。私よりも彼が王族と言われた方が頷ける。

 ほぐれてきたと思っていた緊張がぶり返してきた。

 冬歌くんは話していると心が和むけれど、直哉さんは気を抜いてはいけないというか、背筋を伸ばしておかないといけないような気がしてしまう。

「あの、お話の本題に入りたいのですが、紫苑様がどこにいらっしゃるかご存じないですか?」

 桐さんが直哉さんに真っ直ぐ問いかけた。

 しかし、彼は緩く首を振るばかりで居場所は知らないらしい。

 招集があるのに来ないということは何か用事があるのか、ただ面倒なだけか、真実はわからない。

「あの紫苑のことだ、きっと植物と戯れているのだろう」

 植物をまるで動物か何かのような物言いで表した直哉さんに驚いた。けれどそれは私だけで、他の面々はまたかというような感じで話を進めはじめた。

「では、本題に入りましょうか」

 ゆっくりと語られた月の過去や現状は、想像以上につらいものだった。



 月ではおよそ二十年間、戦が頻発していた。それが終結したのが七十四年前。それ以来は戦が再び起きることはないが、活気はもどらないまま苦しい生活が続いている。王族が衰退したことから光の供給がなくなり、月は光を失った。その影響で食物は育たず、土地は荒れ、人々の生命力も徐々に弱くなり、思うように動くことが出来なくなった。そうして復興作業に遅れが生まれ、ただただ時間が過ぎていくばかり。

 戦が最も激しかったのは八十八年前。小さな小競り合い程度の喧嘩から始まり、次第に村を巻き込んだ内紛と変わった。そして大規模なクーデターへと発展した。この年、国王は反乱を治めることが出来ずに殺された。光紫城内に反乱者が紛れ込んでいたことにより城は陥落した。

 城内のいたるところで殺し合いが起き、国王は自らの娘を地上に落とした。戦が終わった頃、月へと戻って再建することを娘に託したのだ。

 地上には王族の分家、月城家がいる。何か不測の事態が起きた際、王族が完全になくならないために分家は存在していた。月城家は月と地上が繋がる時間を詠むことができる。それを利用して月の状況を見ることも可能だった。

 だからこそ国王は娘を地上へと落とし、月城家と共に月を再建することを託したのだろう。もしくは、ただ自分の娘を生かすためにしたのかもしれない。

 長い間、王がいなかったことで月の光は本当に弱弱しいものになっている。民たちに光が届かず深い眠りにつく者が出始めた。眠るだけならまだ起きる可能性があるが、中にはそのまま息を引き取ってしまう者もいる。

 そんな現状を打破するためにも王族の復活が最重要とされている。

 月の王は、月の道しるべであり、民が苦しまずに生きるためになくてはならない存在だ。その席が空いたままでは再建などできるはずもない。

 王の資格を持つのは直系の血筋の者だけ。だからこそ、地上に落ちて以来戻っていない王族を連れて来ようという話になった。本当の、美しく輝く月を取り戻すために。




 この世界の過去と現状を聞いて、普通なら信じることは難しいかもしれない。けれど、なぜだか私にはひどく懐かしい話のように感じた。自分が経験したわけではないのに、この世界に生きている人の痛みがわかるような気がする。

 急に連れて来られて多くの話を聞かされて、人生を勝手に決められる。きっと怒りや疑問を抱くであろう今の状況にも関わらず、私は一種の安心を抱いていた。

 誰にも必要とされなくて、どこにも居場所がなくて、独りの生活は苦しかった。

 そんな私を必要としてくれて、友達になりたいと言ってくれた。力になれるのか、不安はある。それでも、私にできることがあるのなら頑張りたいと思う。

「……輝夜様」

 桐さんの話をゆっくり整理して自分はどうしていこうか考えている時、ずっと元気はつらつに声をあげていた月乃さんが弱弱しく私の名前を呼んだ。

 目を向ければ耳を垂らして迷子のように心細そうな表情でこちらを見ていた。

「この世界を動かせるのは輝夜様だけです。昔のような輝きを夢に見て、できることをやろうとみんな頑張っています。それでも、少しずつ力が失われていくのは止められない。もう、誰にも死んでほしくないんです。みんなで笑い合って、楽しいことをいっぱいして。……そんな毎日を過ごしたいだけなんです」

「月乃さん……」

 泣きそうになりながらそういう彼女を桐さんが支えている。

 冬歌くんも直哉様も、辛そうに視線を下げて口をつぐんでいる。

 この人たちはきっと、ものすごく苦しい思いをして生きてきたんだ。楽しい思い出よりも悲しいことの方が多かったのかもしれない。

 もう誰にも死んでほしくないという月乃さんの言葉が、深く突き刺さる。

 きっと、死んでしまった人たちをたくさん見てきたのだろう。大事な人も、もしかしたらもう、失ってしまったのかもしれない。

 これ以上の被害を出さないために、私にできること。

 それはすぐには思いつかないけれど、それでも声を上げずにはいられなかった。

「月乃さん、悲しい顔をしないで」

 不安なことはたくさんある。それでも、私はここから前を見て進んでいかなくてはいけない。

「私、自分が王族だなんて自覚はまだ持てない。眠っている力だって、本当に使いこなせるのかも、わからない。この世界について知らないことも多い。それでも、私は私にできることをやりたい。私が必要だといってくれたみなさんのために。ひいおばあ様のために、頑張ってみたい」

 自分の右手を月乃さんに差し出し、私は精一杯の笑顔を作った。

「だから、私にもっとこの世界について教えてくれませんか?」

 そこで月乃さんは耐え切れなくなった雫を大きな瞳から溢れさせ、嗚咽をかみ殺している。震えて途切れ途切れになる声でありがとうと呟き、きゅっと私の手を握りしめてくれた。

「一度にすべてを理解することは難しいだろう。まだ話せていないこともあるが、とりあえず今日はもう終わりにしよう」

「では、私共がお部屋までご案内します。ほら、月乃」

「うん。……輝夜様、こちらに」

 桐さんと月乃さんが扉へと向かい、私も後ろをついていく。けれど途中で足を止め、振り返った。

「冬歌くん、直哉さん」

 私が呼びかければ二人は不思議そうにこちらに視線をよこした。

 そんな二人にどんな表情を向ければいいのか悩んで、私は笑顔を贈ることにした。

 これからきっと、私は彼らに多くのことを教えてもらうだろうし、たくさん助けてもらうことになるかもしれない。

 迷惑をかけてしまうのは目に見えているが、それでも私を迎えてくれたことに感謝を込めよう。

 そう思って、私は心からの笑顔を向けた。

「これから、よろしくお願いします!」

 とにかく、まずはできることから頑張りたい。彼らは私の婿候補だと言われたけれど、今はそのことは置いておこう。結婚とかは現状を少しでも改善させてからでいいだろう。

 そもそも、恋愛がどういうものなのかもよくわからないのだから一度忘れた方がいい気もする。

 私は二人に頭を下げ、扉に向かって歩き出したところで今度は呼び止められた。

「輝夜、困ったことがあれば何でも聞け。必ず、お前の力になる」

「うん。一緒に、がんばろうね」

 そういう二人はとてもいい笑顔だ。

 何というか、仲間がいたらこんな感じなのだろう。

 温かく、支え合い、多くのことを分かち合う。そんな関係になれたらいいなと思いながら、私は元気に返事を返して大広間を後にした。

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