② 突然の結婚話 (回想:半月前)

 事の起こりは、半月前。


「は? お父様。今なんと?」


 父から極めて珍しく呼び出しが掛かり、私は彼の職場である宮廷の史料編纂室に出向いた。


 私は通常、屋敷から出ないよう言付かっている。なので、何事かと思っていた。たった今、私は何かを聞き間違えた?


「隣国スクルドの第三王子と、お前の婚姻が決まった」

「急に、なんですかそれ!」


 久しぶりに対面して告げられた内容が、こんな冗談?


「理由は知らぬが、お前はスクルドの言語に明るいのだろう? ならばさしたる問題はないな。出立までもう時間がない。今すぐに支度をせよ」


 ああ、父の顔を見たのは何ヶ月ぶりだろう。前回見かけたのも、屋敷の中ですれ違っただけだった。

 だって彼にとって私は、娘として認められない、食客のようなもの。


「私はもう28なのですよ!?」

「だからなんだ? お前は死ぬまで屋敷のタダ飯食らいでいるつもりか?」

「それは……」


 そう言われてしまうと反論の余地はない。だが、私を屋敷の隅に追いやって、なんの教育も付けてくれなかったのはそちらではないか。


 一族の者や家の使用人らに「飼い殺しのお嬢様」と嘲笑されても、こんな運命だと諦めるよりほかなかった。どうせこの陰鬱な容姿で外に出たところで、なんの結果も生み出さないから。


 そして既にこの年齢だ。これからも、老婆になるまで変わることはないだろうと思っていた。


「どうして私なんですか……。妹たちの中で、まだ未婚の若い子もいるのでしょう? 他国の王家に差し出しても恥ずかしくないような、教育を施された子が」


「断交解除からまだ半年だ。そんなところに誰が嫁ぎたいと思う?」

「……人質、ということですのね」


「いまだ危険は潜んでいるからな。隣同士だというのに、長らくの断交のせいで互いの情報は未開で未知だ」


 未知……そうかしら? ひと昔前の、の国のことなら……。


「私は、我がスコル家の図書館にて、国交があった頃のスクルド国の史料を目にしたことがあります。全区域にわたりやや冷涼な地であるものの、豊かな自然に恵まれ豊作な年が多く、在住する人々は敬虔かつ穏健で、ゆるやかに日々の営みを繰り返す、安らかな国のようです。断交していたなら仕方ありませんでしたが、私は少なからず興味を持っておりました」


「はっ」

 父は鼻で笑う。


「よほど自国びいきな者が編纂した史料であろう。しかしお前がそう考えるなら、願ってもない話ではないか?」


「…………」

 国に興味があることと王家に嫁ぐことは、また別の話だわ。でも。


「私がスクルド国に嫁ぐことで、お父様のお役に立つことができるのでしょうか」


「実はな。この度の結納品として、スクルド国カール領……国境付近だな、そこにそびえるフニトビョルグ鉱山の一画を譲り受けることになった」


「まぁ……それは何よりですわ」


 我がスコル侯爵家は代々王家に仕えてきた学者の名門だ。歴代の王の業績を編纂したり、王家の人間に国家の成り立ちや歴史を教えてきた。しかし、家の財政の面では決して有利な職種と言えない。

 代替わりの歴史の中で次々と、他の新興家に出し抜かれ……父も苦渋を舐めてきたことだろう。そこに降って湧いたような、鉱山の土地を得られるチャンス?


 そんな報酬が付随している婚姻話、他の御家だってみすみす逃しはしないはずだけど……結果的にどこも、大事な娘を人質として送り込むのは躊躇したのね。


 となれば父にとって、これで己の地位、名声を巻き返せるかといった正念場。その機会で私こそ、お役に立てる……。


「長女であるにも関わらず、ここまで御家のために功績を残せずいた私を、お屋敷に置いていただけたことに感謝申し上げます。できる限り報いるよう、尽力いたします」


 私は自己流のカーテシーで父に強がりを見せた。


「お前は本当に微笑まわらわないな。他国であろうと他者に取り入るにはまず笑顔と心得よ」

「……肝に銘じます」


 室外へ出たら私は脱力し、扉にもたれて呟いた。


「だって、笑えないんだもの……」


 表情筋がどうしても動かなくて。前にアンジュが無理に口の両端を指で押し上げようとしたら、ひどい顔になった。


 こんな状態で他国の王家に入ってやっていけるのかしら。


 私だって笑いたい。自分が「笑っている」ということを意識もしないほどに、熱中した時を過ごしたい。


 今日も帰宅したら“あの場所”に篭ろう。私の唯一、心を解き放てる憩いの場……。




「あら、その青い御髪おぐし。スコル家のユニヴェール様ではありませんか」

「まぁ、スクルド国へのお輿入れがお決まりになったユニヴェール様ね」


 宮廷の玄関口に着くというところで、徒党を組んでお喋りしているご令嬢方に出くわした。お茶会でもあったのかしら。

 どちらの家の方々か、私には分からない。面識がないのだもの。

 これだから父の職場には来たくなかった。見ず知らずの人を見かけると、私の足はすくんでしまう。


 私自身たった今、この婚姻話を聞いたところだというのに、宮廷ではもう噂になっていることなのか。


「私たちの代わりに、この情勢のなか危地へとお輿入れなさるお覚悟、素晴らしいですわ」

「ユニヴェール様がそのお歳まで独り身でいらして、私たちとしても助かりましたわぁ」


 ……なに? 今なぜ私、そんなふうに言われなくてはならないの?


「お嬢様方、繰り返される戦争は終わりましたよ?」


 キッと目を剥く彼女たち。ここは小さな冷戦地?


「そうそう。お相手、スクルド国第三王子の並々ならぬ武勇は、既にこちらにも伝わってきていましてよ」

「その剛力に敵う者なしの恐ろしい方ですってね。見目も、それは荒々しい猛獣のようだとか」

「まぁ、そのような方が王家の人間でいらっしゃるの? きっと国民みなが野蛮なお国柄ですわね」


 ……早く帰りたい。


「ユニヴェール様の、三十路にもなって侯爵家の食客をお続けになっている図太さが買われたのでしょう。猛獣のご主人を飼い慣らして、ぜひ我が国に富を流していただきたいものですわ」


 私のことはどう言われようとも、これから久しく友好を築いていこうという相手にはなからの偏見は……もう聞きたくない。


「激励は以上ですか、お嬢様方?」

「「「……!」」」


 彼女らはついに言葉を失った。仏頂面の私の視線も、こんな戦場では武器になる。


「出国の準備がありますので、失礼いたします」


 玄関へ向かう私の背中の向こうで、

「悪しきものに憑りつかれていらっしゃる方はまったく、性根が逞しくて羨ましいですわね」

とかいうヒソヒソ声が聞こえた。


 この髪の色……出立までに脱色できないかしら……。


 今までどんな方法を試しても、できなかった。抗うだけ無駄ね。



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