自販機/機械蜂

 家に帰ったのは、結局七時前だ。

 予定より三十分ほどおそいけど、家に親はいないのだから、叱られることもない。

 ご飯をよそいおかずを温めながら、ぼくは明日からの事を考えた。


(僕の『境界紋』を制御するために、名桐さんの仕事を手伝う)


 二人で町に浮かんだ『境界紋』を探し、界獣と戦って境界を切り離す。

 改めて考えれば非現実的な話だし、出会ったばかりの見知らぬ大人の言う事をカンタンに信じて行動を共にするというのも、危ないような気がする。

 名桐さんとは例のビルの前で別れたし、家の場所まではバレていない。何も聞かなかったことにして、しばらくは放課後の散策を止める……って手も、あるとは思う。

(でも、なぁ)

 そっと自分のわき腹をなでる。

 このアザが『境界紋』であることに、もはや疑いの余地はなかった。

 だったら僕は『境界紋』のことをもっと知りたいと思う。そうすれば、未だに形の見出せないこのアザの事も、なにか分かるかもしれないからだ。


「――きみの形を知りたい」


 あの日、銀河の下で出会った怪物の姿を思い返す。

 薄暗い世界では、あいつの姿はよく見えなかった。そして今日、僕はあいつの姿に変わったのだと直感的に思ったけれど、自分で自分の姿は見られない。

 僕は、あいつの形を知らないのだ。それをアザから読み取る事も出来ない。

 それが僕にはやっぱりさびしくて、気にかかる。

(あと、名桐さんについていけば、面白いシミが見られるし)

 正直なところ、それも僕には楽しみではあるのだ。

 今日見た魚龍のようなシミが、他にもたくさん存在する。

『境界紋』に関しては喜べないけど、シミという点にだけ絞れば、ワクワクする話だった。


 *


 異変、というかおかしなことに気付いたのは、翌朝の学校だ。

 僕はクラスメイトの漆原さんに、何をどう話すべきか迷っていた。

 彼女が教えてくれた廃ビルに浮かぶシミは『境界紋』で、僕は紋から通じる世界と世界の境界で、巨大な魚龍に出会い、翼を持つ黒い生き物に変身して戦った。キレイな大人の女の人が真実を教えてくれて、今日から『境界紋』解決の手伝いをすることになった。

(とは、流石に言えないよなぁ)

 明かしていい話だとは思えないし、そもそも一から十までウソっぽい。

 僕が素直に話したとして、漆原さんは「変な作り話だな」としか思わないだろう。

 話せる範囲で伝えるなら「魚龍って感じのシミがあったけど、消えかけだったよ」とかだろうか。とかく、よけいな事は言わないようにしないと。

 色々と考え込みながら、僕は自分の席についた。

 漆原さんはすでに登校していて、チラっと僕に目を向けると、ちいさく首をかしげる。

「秋目君、どうかした? 難しい顔してるけど」

「い、いや特に大したことじゃなくて、昨日教えてくれたシミについて――」

「――昨日は、何も教えてないと思うけど」

「……えっ!? いやだって、廃ビルの壁の、」

「私、記憶力良い方だから。秋目君と話したなら忘れないよ」

 漆原さんは眉をよせながらハッキリと言い切った。

 本気で覚えてないんだ。これ、どういうこと!?

「もしかして秋目君、寝ぼけてる? ちょっと疲れ気味?」

「疲れては……いるかも。でも大丈夫……」

「ならいいけど、辛かったら保健室行きなよ。あ、そうそう」

 漆原さんは僕を心配しながらも、塾の帰りに見たというシミの話をしてくれた。

 駅前の自動販売機に浮かび上がった、落書きのような、シミ。

 地図を受け取った僕は、思い立って彼女に問うた。

「漆原さんは、そのシミに何か形を思い浮かべたり、した?」

「んー……。変な形だとは思ったけど、私は特に思いつかなかった、かな」

 これが『境界紋』だとは限らないのだけど、もしそうだったとしても、漆原さんに界獣を見る力はないのだろう。ホッと胸を撫で下ろす僕に、彼女は更に続ける。


「秋目君ならなにか見えるかな。面白い形が思い浮かんだら、教えてね」

「…………うん」


 僕は、うなずく事しか出来なかった。


 *


「どういうことですかっ!?」

 その日の放課後。

 件の廃ビル辺りで名桐さんと待ち合わせた僕は、早速新たな疑問を彼女へぶつけた。

 廃ビルのシミを教えてくれた漆原さんが、教えた事実を忘れている。

 僕が問いかけると、「ああー」と名桐さんは額をおさえ、ごめんと謝ってきた。

「すっかり忘れてた。『境界紋』が消えると、異世界を知らない人の頭からも消えるんだ」

「なっ……なんでそれを伝え忘れちゃうんですか……!」

「えー。なんていうか、私それで困った事ないから……」

 聞き込みで不審に思われたり、私有地に入って怒られたりしても、『境界紋』が消えればなかったことになる。そういう部分で助かる事はあっても、困った事態になった経験はほとんどないのだと名桐さんは言う。


「ほら、『境界紋』って異世界との接点でしょ? 異世界とのつながりが無くなったら、そもそもこの世界には無かったモノってことになるんだよ。境界と一緒だね」


 境界線は内側じゃない。

 名桐さんが昨日言っていた言葉は、浮かび上がった『境界紋』にも当てはまるらしい。

 彼女の説明に僕は深く深く息を吐いて、「分かりました」と答える。

 ちゃんと伝えておいて欲しかったけど、昨日言われても情報量が多すぎて頭がいっぱいいっぱいになってたかもしれないし。

「それじゃ、『境界紋』探しに行こうか。って言っても、まだ情報ないから足で探すしかないんだけどー……」

「あ。それなら行きたい場所があるんですけど」

 漆原さんにもらった地図を、名桐さんに見せる。

 これが『境界紋』である保証はないけれど、昨日だって、漆原さん情報で魚龍に行き着いたのだ。確かめる必要はあると思う。

「ふぅん。こういうの教えてくれる友だちがいるんだ……」

「僕がシミとか模様とかが好きって、クラスメイトはみんな知ってくれてますから」

 漆原さんに限らず、これという情報があれば色んな人が教えてくれる。

 そう話すと、名桐さんは「うらやましいな」と笑う。

「封紋師はSNSとか地道にチェックだよ? 私もそんな友だち欲しい」

「……でも、『境界紋がいくつかある』ってことは分かるんですよね?」

 昨日の口振りだと、『境界紋』の出現自体は予知出来ている風だった。

 僕の問いに、それはねと名桐さんは答える。

「『預言の境界紋』を持ってる人がいるんだよ。明確な事は分からないけど、ヤバそうなのは引っ掛かる。今回の場合はこの町に『五度の世界の危機』が訪れる……とかね」

「五度の世界の危機、ですか」

「素直に受け取るなら、『境界紋』が五つ。一つは昨日の魚龍。一つはミツル君だね」

 ナチュラルに世界の危機にカウントされていた。

 そりゃあ、あいつが自分で言ってたんだけどさ。世界を壊すって。

「というか、『預言の境界紋』? それぞれに能力があるんですか、境界紋って」

「あるよー。だって『境界紋』は世界の転写だから。それぞれの世界のルールが使える」

 たとえば、もし昨日の魚龍が人の身体に浮かび上がっていたなら、魚龍の姿や水中呼吸の能力なんかが得られるかもしれない。あるいは、辺りを水浸しにするとか。

「じゃあ……名桐さんも?」

「私にもあるよ、力。本当なら昨日も私が魚龍を倒すハズだったしね?」

 右手の甲を見せながら、名桐さんは答える。白い手袋が肌を隠していたけれど、その下にはきっと、僕のとはまたちがう『境界紋』が浮かんでいるのだろう。

「でも、どんな力かはまだ内緒。色々と、現地で話した方が都合よさそうだし」

 早く行こうよ、と名桐さんは急に会話を切って歩き出す。

 もしかしたら、なにか失礼なことを言ってしまったんだろうか?

 僕は内心で首をかしげながらも、彼女について行った。


 *


『境界紋』からは異世界の有り様があふれ出す。

 水浸しの廃ビルの前例通り、駅前の自販機にも異常事態は起こっていた。

「ありゃ~。思ってたより面倒になってるね」

 ばぢぢぢ、ばぢッ!

 駅前の、銀行や学習塾などが並ぶ一角の路地。

 やや目立たない場所に置かれたその自販機は、けれど今日に限っては大いに目立っていた。なぜならば、自販機はけたたましい音と共に火花を放っていたからである。

 あれヤバくない? 通報した方がいいのかな。通報ってどこにするんだ。通行人が立ち止まり、そんなことを話し込んでから、写真を撮って去っていく。

 名桐さんは「SNSの地道なチェック」を調査方法に挙げてたけど、こういうことか。確かに異変が大きくなれば、SNSで情報が湧き出てくる。


「んーと、あった! ほらほらミツル君、あそこ!」

「あ、僕にも見えました。あの横の黒いのですね?」


 自販機の右横には、スプレーかなにかで描かれたような黒い模様が浮かんでいる。

 模様は更に、弾ける火花の熱で焦げたのだろうか。ススのようなものも付着して汚れを広げている。

「四方に線が伸びて……なんだろう、虫の羽、みたいな?」

「悪くない着眼点だね。私もそう感じる。もうちょっと深掘りしてみようか」

 言いながら、名桐さんは『境界紋』をスマホで写して拡大する。

 もっと近づければいいんだけど、人目も多いし、火花も散っているしで難しい。

「ほら、ここ。内側の模様が消えているライン。何かに見えない?」

「虫の羽からの連想かもしれませんけど、鎧とか、虫の体のスキマ部分に見えます」

 つまりこれは、昆虫の『境界紋』かもしれない。

 とはいえ、それだけではない。じっと見ると、昆虫の体では説明し辛い部分もあるのだ。

「ここ、なんでしょうね。筒っぽくて、火花のススが煙のように……」

「ふふっ。私はもう答えを決めてるから、ミツル君の推理を聴こうかな?」

 名桐さんも、同じ部分に着目はしていたらしい。

 試すような物言いに「分かってるなら教えてくれてもいいのに」と思いながら思案する。

 筒らしいパーツは、『境界紋』の下部に二つほど浮かび上がっている。

 足、というにはやや不便そうで、納得がいかない。ならなにを示しているのだろう?

(そういえば、『境界紋』で起きる現象は、ぶつかったもう一方の世界のものなんだよね)

 今回の場合、火花が異世界由来の現象ということになるだろうか。

 火花。浮かび上がったスス。炎の『境界紋』……いやちがうな。もしかすると、自販機に表れたというのにも、意味があるのかも。

(自販機、火花。……電気を使う、機械……?)

 機械に関連のある界獣だとすれば、もう少し連想を進められそうだ。

 下部についた筒。そこから立ち上る、煙。

 もしかしたらこれは、飛行機についているようなジェットエンジンなんじゃないか?

「あ、ハマった」

 想像した瞬間、パズルが組み上がるような感覚が体に走る。

 うんうんと名桐さんはうなずいて、「答えは?」と僕にうながした。


「ロボットの蜂です。ジェットエンジンを備えた、雷のように速いメカニカル昆虫!」


 頭の中には、すでにそいつの姿も浮かび上がっていた。

 黄色と黒のハデな警告色。四つの羽で姿勢を制御する、鋭利なフォルムの機械虫。

 僕が答えると、「オッケー」と名桐さんは笑みを浮かべる。

「私の見立てとほぼ同じ。やっぱり才能あるよ、君」

「いやぁ、あはは……」

 シミの見立てで褒められた経験がないので、ちょっと恥ずかしかった。

 だけどそれ以上に、僕は嬉しい。今まで一人で楽しむ趣味だったシミの見立てに、誰かと一緒に挑戦した上で褒められたんだから。

 そしてこの見立ては、世界の危機を退ける助けにもなる。

「さて、準備はいい? 界獣の姿が浮かんだなら、私たちはもう境界に飛べる」

「えっと、はい。大丈夫です」

 答えながら、じっと『境界紋』を見つめる。

『境界紋』は解決すれば消えてしまうのだから、このシミを見ていられるのも今だけだ。見納めて、心に刻む。それから深呼吸して、名桐さんが差し出す手をにぎる。

 名桐さんは僕の手を引いて、浮かび上がる『境界紋』に指を触れた。

 周囲の景色がゆがんで、意識がゆらぐ。眠りに落ちる時みたく、意識が遠くへ行ってしまう感覚がして――


「着いたよ、境界」


 ――名桐さんの声と手の感触が届いた僕は、ふらつく頭で辺りを見回した。

 おかしな感覚だった。周りの建物や道の配置は、元の世界のまま。

 だけどその建物や町に置かれた電柱、街灯……多くのモノが、変化していた。


 空は暗く、そこかしこでネオンの派手な電灯がビカビカと光る。

 建物は元の世界より数倍高く、圧迫するような息苦しさがある夜の町。

 SFの世界かな、と僕は思う。僕らの世界よりも、何十年か未来っぽい。

 重くよどんだ異界の空を、キィンッ。甲高い音と共に、何かが飛び去った。

 僕らが見上げた頃には、その姿はビルの陰に隠れてしまっていたけれど……あれが今回探している界獣、機械の蜂だろう。

「少し、歩こっか」

 名桐さんはしばし空をにらみ付けてから、ため息混じりに提案した。

 ここに留まっていても、あの蜂がもう一度通りがかるとは限らない。見晴らしのいい場所を探しつつ、この世界に関しても探るべきだ。

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