向谷栞はビビらない1


 

 救い料って、そんなこと言うのは腰にちとせ飴を携えた上裸のブタくらいなもんだろ。数m先の路地で男が放った救い料という言葉に顔をしかめてしまうが、真横でにたにたと不敵な笑みを浮かべている向谷と一緒になってその路地の様子を傍観してしまう。



「い……いくらですか?」

「1割……」

「へ?」

「だから1割だよ、1割。財布に入ってる金額の1割」

「そ、そんなぁ……。あの、今日はその……楽しみにしてたゲーム機を買うために……5万円も持ってきちゃったん……です、けど……」

「ならその1割の5千円だな」

「そ、そんなぁ。それじゃあゲーム機が買えない……」

「おいおい。本来なら全部無くなってたはずの金なんだぜ? なら、その1割くらい貰ったってバチは当たんねぇだろ?」

「そ、それは。そうなんですけど…………」



 男はそう言って先ほどまでカツアゲされていた生徒にじわじわと詰め寄っていく。



「――いくわよ」

「えっ、行くって……お、おい!」



 隣でそう呟く向谷の声を聞き、右の向谷を見ると、すたすたと路地に入って行ってしまう。



「お、おい! 危ねぇって!」 

「む、向谷さんっ」



 俺と多野さんもそんな向谷の迷いなき歩みにつられて路地の中へあっという間に入りこんでしまった。



「……何だ、お前らまだいたのか。俺になんか用か?」

「い、いや……あの……」



 路地に入り、改めて間近で男を見上げる。デカい。近くで見るとますます威圧感がある。180cm程度だろうか。俺の身長が170cmだからそれよりも10cmもデカい目の前の男に俺は気後れし、思わず足を2歩引き、多野さんのいる位置に靴のつま先を揃える。そんな俺の退歩と同時に、小さな足が一歩。大きく進歩した小さな足が見えた。そう、向谷の足だ。



「何ビビってんのよ、千賀」

「い、いやビビるだろ、普通に」

「まったく。そんなヘタレでどうすんの? あたし達はこれから社会に出たら本物ほんものと対峙しなくちゃいけないのよ?」

「……ほ、本物?」

「ほ、本物ってなんだよ?」

「暴力団」

「ぼ、暴力団!?」

「はぇ……せ、千賀さん……。思考部って、お巡りさんかなんかですか?」

「い、いや……違うと……思うよ?」



 こいつは急に何を言い出すんだ。暴力団? そんなのが普通の高校生である俺たちに一体何の関係があるって言うんだ。まったくもって理解ができない。



「いい? 暴力団っていうのは何も遠い存在じゃないの。あたし達、一般市民の生活の中に巧妙にもぐりこんでいるのよ。そう、こんな風にね!」



 向谷はそう言うと目の前に立つ自分よりも30cm程度も巨大な男に対し、ビシッ、と左の人差し指を突き立てる。ああ、あんなデカい男に対して何の躊躇ちゅうちょもなく指をさすなんて。状況を考えろよ、状況を。相手はどう見ても不良だろ。きっとさっきの奴らみたいに殴りかかって来るに違いない。



 となると、やっぱりそれを守るのは俺になるのだろうか? 男女平等が叫ばれる現代で? とは言ってもやはりこんな状況で殴られる女子を助けなければ俺は周囲からたちまち非難されるに違いない。まったく、なんて面倒な女なんだ、こいつは。これがせめて多野さんであれば俺だって少しは身をていして守る気になった――――かもしれない。でも、目の前の好戦的な小動物のような女を守る気持ちなど、俺にはさらさらないのだ。



 ――いっそのことこのまま多野さんと一緒にとんずらしてしまおうか。多野さん1人でも助けられれば目の前の女は最悪ボコられてしまっても俺の男としての面目は保たれる、かもしれない。そんなことを思考している俺の前で向谷は話し続ける。



「そして、権力者に裏から手を回してくるものなの。でも、あたしたちはそれに屈しちゃいけない。『暴力団員による不当な行為等に関する法律』に従ってしっかりと対応することが必要なの。それが、楽しい日本を作るためには必要なのよ! 暴力団には屈しません!」

「お、おい。やめろって……」

「暴力団には屈しません!!」



 向谷はそう言うと今度は右手に持っていたスマホを目の前の男に突きつける。



「え? な、なんで110番? いや、俺……暴力団じゃねぇけど……」  

「えっ……な、なら反社会的勢力ね!? 観念なさい!」



 どうやらスマホの画面には110番の文字が表示されているらしい。強気な姿勢に対し、用意周到にいつでも110番SOSの準備はばっちりだったようだ。



「さっ、そこのカツアゲられくん」

「えっ、ぼ……僕?」

「そうよそう! あんたしかいないじゃない。さっ、ここはあたしに任せて、早く逃げなさい!」

「あ、ありがとうございます――」



 カツアゲられくん。向谷にそう名付けられた生徒はそそくさと路地から飛び出していく。



「あっ、おい! 待てって!」

「待ちなさい!! ここは一歩たりとも通さないわよ?」



 慌ててカツアゲられくんの後を追いかけようとする男の前に、小さなミニソルジャーが立ちふさがる。俺と多野さんはそんな勇敢なミニソルジャーの後ろで固まってしまっている。



「ちょっと千賀、椎菜、何やってんのよ!! あんた達も言いなさい! 反社会的勢力には屈しません。ほらっ!」

「い、いや……」

「こ、怖いですぅ……」



 こちらを振り向いてきた向谷は俺たちに同調を求めてきたが、そう簡単に奴のような行動はとれなかった。先ほど目の前のこの男がアッと言いう間に不良たちを蹴散らした様子は見ていたし、下手に前に出てこいつと一緒に安易な行動はとれない。何かあった時に助けを呼ぶことができなくなる。



「何言ってんのよ。こんな時、毅然とした態度で『NO!!』って突っぱねられないでどうするの!? そんなんじゃ社会に出てあっという間に反社の人とお友達よ?」



 いや、そうはならんだろ。思考が極端すぎる。正義感を出すことは結構であるが、今のこの状況をちょっとは理解したらどうなんだ。正義感があってもそれは命あっての上でのこと。なりふり構わず振りかざした正義感は結果として東京湾に己の身体を捧げることになるかもしれないんだぞ。



 そんな俺の心配をよそに向谷は右手の満に満を持した110番画面のスマホをずいっ、と男の前にかくさんポーズで差し出す。控えおろうてくれるといいが。



「さぁ、観念しなさい! 反社会的勢力!」

「はぁ。だから違うって言ってんだろうが……」

「あっ! ちょ、ちょっと! か、返しなさい! か、返せ!!」



 ――おろうてもらえんかったか。男は面倒くさそうに右手で髪をかき分けると、左手で向谷の右手のスマホ印籠いんろうをひょい、と取り上げてしまった。スマホを取り返そうと必死に目の前でぴょんぴょん、と跳ね続ける。先ほどまでの威光はたち消え、おもちゃを取り上げられた子供のように目の前の男の左手に必死にジャンプを続けている。



「あのな……ちょっとは俺の話を聞け。俺は別にカツアゲをしようとしていたわけじゃないんだよ」

「ふっ。この期に及んでよくそんな嘘を! さっき不良を蹴散らした後にカツアゲられ君にお金を出すように脅してたじゃない。あたし達見てたんだから。反社会的勢力には屈しません! か、返せ……こ、この!!」 

「だから違うっての……」

「えっ。ちょ、ちょっ……や、やめ……だ、だめ…………」



 男は面倒そうな表情を浮かべると今度はその右手を向谷へと伸ばしていく。



「い、いや……やめっ」



 その突然の出来事に俺も多野さんもただただ向谷の後ろでその様子を見ていることしかできなかった。



「い、いやぁあああああ!!」



 しゅるしゅる、とほどかれる布。そしてそのほどかれた布の下から露わになるたおやかな膨らみ――などということはなかった。向谷の胸はそれほど制服からせり出ていないのだから。だったら小さめの膨らみが露わになったのかと問われればそれもノーだ。なぜなら男がほどいたその布。



 それは向谷の角のような髪型に可愛らしく普段から着けているリボンだったのだから。そのリボンが解かれた瞬間、向谷のチャームポイントのように主張している角型の髪はぺたん、としおらしく寝てしまった。



「か、返して……あたしの……り、リボン…………返してって、ばぁ……」



 その瞬間、向谷の口調が少しよわよわしくなったような気がした。いや、気がしたではない。なった。いつものようなあの自身にあふれたトゲトゲしい口調ではないことは明らかだ。



「あぁ~~、面倒くせぇ。よく見たらこいつら俺と同じ高校か。なら少しは俺の話を聞け……」

「だ、黙りなさい……よ。あ、あんたのしてることは立派な不当行為……なんだから……ね。だから、あ、あんたは……ぼ、暴力団予備軍……よ! 反社会的勢力には屈しないんだから……く、屈しないからぁ!!」



 なんだろう。面白いな、こいつ。どういう原理でこうなっているのかは分からないが、いつもと違いすぎる向谷の様子に俺は新鮮さを覚えた。それどころかどことなくなよなよっ、とした感じが向谷が女の子だということを認識させてくれるような気がした。そんな普段と別人のようななよなよ向谷がゆっくりとこちらを見つめてくる。



「せ……千賀、な、なにぼさっとみ、見てんのよぉ。は、早く……あんたのスマホで、ひゃ、110番しなさい……たらぁ……」

「…………やだ」

「は……はぁ!? な、なんでよぉ……」

「……面白そうだから」

「お、面白そうだから……て。あ、あんた……あ、あたしにう、恨みでも……あんの? こ、こんなに今までよ、よくしてあげたのに……こ、この……恩知らずぅ……」



 ――いや、どこがだよ。お前がいつ俺に親切にしてくれた? むしろ散々に罵倒されてきただけな気がするんだが。俺はそんなここ1週間の恨みを晴らすかのように意地の悪い言葉をかける。



「おいおい、向谷。さっきまでの威勢の良さはどうしたんだよ。毅然とした態度で『NO!!』って突っぱねられないようじゃダメ、なんだろ?」

「ば、ばかぁ……い、いじわるぅ…………」



 向谷は俺の顔を見つめながら精いっぱいに言葉を口から振り絞っている。その瞳はいつものようにキッ、とした力強いものではなく今にも泣きだしそうなうるんっ、とした瞳だ。そんな瞳で見つめられると自分のしていることがものすごく悪いことのような気がする。目の前に不良を蹴散らした屈強な男が立っているのだ。本来であれば向谷の身の危険を守るためにすぐに110番をするべきだろう。そうせずにちょっと向谷に意地悪をした理由は目の前の男が危険人物ではないことを理解したからだ。

 


「向谷……」

「な……なによぅ……」

「前を見てみろよ」

「ふぇ? ま……前? あっ」



 俺に促され、前を振り返った向谷。その向いた先には先ほどほどかれたピンクのリボンで綺麗に蝶々結びがなされた向谷のスマホが差し出されていた。


 

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