第7話 あの日の約束

「へっ? おい? 甥御さん? な、なんだそれなら早くそう言ってくれれば良いのに……、お嬢さんも人が悪い」


暴虐な獅子から飼い猫に成り下がった戦士は、バツの悪そうな顔をしてそそくさと人ごみに消える。


「もう、何なのよアイツ! パパ、あんなのはサッサと冒険者登録を取り消しちゃって!」


いまだ憤懣やるかたないメル・ライザー。


「メル、”パパ”じゃないだろ。ここではギルマスと呼びなさい。お前もここでは主幹という立場だという事を忘れるな」


ギルドによって多少の違いはあるものの、トップにギルドマスター、次席にサブ・ギルドマスター、その下に主幹が三人というのがギルド館の経営者という事になる。メルは第三主幹なので、このギルド館のナンバー5だ。


「……は~い。でもさ、ネッド。さっきは何でアイツをコテンパンにやっつけなかったのよ。あなたの実力なら、赤子の手をひねるようなものだったでしょう?」


「だから、私が急いで止めたんだよ。ネッドは、この街で穏やかな暮らしをするために戻って来たんだ。ここで騒ぎを起こしてどうする」


管理職としてはまだまだ未熟な小娘の暴言を、苦々しく聞き、諭すギルドマスター。


「ま、そりゃ、そうなんだけどさ……」


メルは、ギルマス、というより父親の説教に少し口を尖らせた。


「ありがとうございます、伯父さ……じゃなくてギルマス。ちょっと危なかったです」


ネッドは居丈高な冒険者につかまれ、クシャクシャになった胸元を直す。


「まぁ、よく我慢したなと言っておこう。しかしこれからも、ああいう事は普通に起こり得ると忘れないようにな」


「はい、肝に銘じます」


ネッドは真摯に反省をする。


もしあの時、ガントが止めていなかったら、恐らくネッドはあの無法者を床に叩きつけて失神させていただろう。メルは喜ぶだろうが、この街で静かに暮らすという彼の願いには、少なからず影響が出たに違いない。


「さてと、馬鹿が去ったところで話の続きね。私との結婚はちゃんと実行してもらいますからね」


「えっ? だからよく覚えていないんだってメル姉」


一難去って、また一難である。


「メル姉じゃないでしょ、ここではメル主幹と呼びなさい」


ネッドは、いきなり経営者風を吹かせるメルに、”だったら主幹らしく振舞えよ”と言いかけたが、火に油を注ぐ結果になるのは目に見えていたので大人しく口を閉じた。


「こら、メル主幹。ネッドを困らせるんじゃない。そりゃ、そういう約束をしたのは確かだが、もう16年近く前の話だろ」


ギルマスが、とうとうと述べる。


「ま、それはそうだけど……。ん?……ちょ、ちょっと待って。なんでパパ、じゃなかった、ギルマスが”確かだが”って言えるのよ? 」


メルは父親の思わぬ発言に動揺した。


「えっ? いや、それは……。実はあの時、ママが”メルがネッドと深刻な話があるみたい”と言ってたんで、心配になって後をつけたんだ。で、木の陰から一部始終を聞いていたってわけさ」


十数年の時を一気に飛び越え、ネッドとのやり取りを聞かれていた事を知り赤面するメル。


「ちょっと、パパどうしてそういう事するの!? 信じらんない!」


「い、いや、だからパパじゃなくてギルマス……」


とまどう父親に、ネッドが助け舟を出す。


「ほらほら、ギルマスに、メル主幹。もうみんな集まってますよ。何かお話があるんじゃないんですか?」


「そうそう、そうだった。これからサブ・ギルマスと打ち合わせをした後、皆に伝えねばならぬ事が……。ほら、早くいくぞ、メル第三主幹」


「あー、誤魔化した!」


娘の剣幕をよそに、さっさと会議室の方へ消えるギルマスとその娘を見て、ネッドは笑いをこらえるのに腐心した。一段落したところで空いている席を探していると、どこからかネッドを呼ぶ声がする。


「おーい、ネッド。こっちこっち!」


辺りを見回すと、少し離れたテーブルで先ほど店に来たライルが手を振っている。


「いよぉ、さっきは大変だったな。奴があれ以上やるようなら、俺が出て行こうと思ったんだけどさ……。しかし驚いたね。お前さん、ギルマスの甥だって?」


呼ばれるがまま席についたネッドを、繁々と見つめる好奇心旺盛な冒険者。


「あそこから随分離れてますけど、ここにいて聞こえたんですか? 地獄耳だなぁ」


ネッドは誤魔化しついでに少しおどけてみせた。


「あぁ、こっちには何でも聞こえちまう、怖いオバさんがいるからな」


ライルは同じテーブルについているマルチェナを指さした。彼女はエルフとの混血らしく耳が少し長い。そういう意味では人間よりも聞こえはいいのかも知れないなとネッドは思った。


「ちょっと、オバサンとは何よ、オバさんとは。失礼な!」


水色の長い髪を少しばかり揺らしながら、相棒の魔法使いが語気を荒げる。このテーブルには彼らの他に男の僧侶ともうひとり戦士らしき女性がいて、どうやら皆でパーティーを組んでいるようだ。


「なんだよ、お前だって俺の事、よくオジさん、オジさんっていうだろうが」


まるで夫婦漫才の様なやり取りが続く。


「ほらほら、もうやめて下さいよ。こちらさんが戸惑ってるじゃないですか」


ネッドの正面に座っている、ライルと同年代の男性僧侶が仲裁に入った。


「初めまして。僕はノズラズ教の教会に所属するカンナンと申します。まぁ、今のは二人にとって健康を保つための運動みたいなもんなんで、気にしないで下さい」


「そうそう、あ、私は見ての通り、戦士をやっているヌーン、よろしくね」


続いて筋肉質の女性が自己紹介をする。一見小柄に見えるが、どうやら圧縮筋肉を使っているみたいだ。年の頃も、メルより少し上にみえる。


「ところでさぁ、あんた付加職人の中でもスピリッツアーなんだって? ほんと珍しいよね。王都でもなかなかお目に掛かれない代物だろ?」


ヌーンが身を乗り出して、ネッドの顔を繁々と見回した。


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