第3話

ハエが飛ぶ音がする。

双子ちゃんが飛ばした紙飛行機からだった。

和紙で折られた監視の目は、彼の背後を二機連なって飛行し尾行する。

虚ろな彼をこんなちゃちな式紙で監視するしか、彼らは出来なかった。

自分を見張ってどうするのだろうか。

式紙の精度を試したいのか。

捕まえられない生きた雲の生態でも探りたいのだろうか。

すぐさま死ぬ運命にあるというのに。

彼らは双子ちゃんに飛ばさせ続ける。

彼はそれから逃れようともまこうともせず、電線上を駆けていく。

電線上は彼の道だった。

地面を走るより楽だからだ。

すれ違うのはカラスぐらいのものだから。


大通りを渡たり住宅地区からラブホテル街に出る。

道を渡れば別世界さね、と横断歩道脇にある電柱にからまった蔦の葉に寄生した人面植物が、何度も何度も同じ呟きを繰り返す。

ふぃっと振り返り見れば、こちら側は生き生きとした人の営みを繰り広げるラブホ街。

あちらは気落ちするほどうっとおしい茶色と黒まみれの古い木造家屋が、死体のごとく群れをなしていた。

軒並み連ねた苦い色の家々に人気は皆無だ。

動くいきものを見たとすれば、それはカラスか信者か、落ちた神ぐらいなもの。

通りを挟んだ向こう側の歩道では調度、その神が真っ昼間の百鬼夜行をしているところだった。

真っ黒な二メートルほどの背高な土筆に、地面をするほど長い両腕を取って付けたような姿。

ゆらゆらと、尖ったり俯いたり四角かったりする頭部分を動かしもたりと行脚。

一体で居たり、何十体かで列をなしたり。

そぞろぞろぞろ、目的もなく牛の足。

存在理由不明のまま、のさばる。

この町におわす神を人は認知し見ないものとする。

腫れ物のような、背景のような、居て当たり前と。

この街にはお似合いと。

そして母と姉と自分を囲う宗教団体は、あれを信仰する。森羅万象を得る神、だと。

微かな思い出が蘇り酩酊しそうになり、彼は矢継ぎ早に両足を動かすことにした。

五月蠅い紙飛行機を従えて、何かを振り切るようにしながら。

そうでもしないとやってゆけない、なにかに駆り立てられ。

空気の壁を忘れ風を忘れ息を忘れ、ひた走る。

弾丸になった気分で、かっ飛ばす。

清潔感漂う和洋折衷様々な外観を取りそろえたラブホ街を、彼はさらっと抜ける。

人様の情事に興味のきの時も湧かないからだ。

さきほどよりさらに大きな通りを渡ると、華やかな街並みが広がってくる。

すなはちここは町の要。

煌びやかで享楽に浸る歓楽街の中心部。

超高層ビルが立ち並び、道路では高級車が猛牛のように唸りながら排気ガスを蒔き散らかす。

真昼だというのに、歩道は人でごったがえしていた。

それは社会のつまはじきものであったり、それなりの暮らしを送っている人であったり。

当然富裕層も混ざっていて、見なかったことにされる浮浪者が歩道の脇で蹲る。

高級品を扱うデパートが、今日も大きな口を広げて人を吸い込み。

最先端の家電製品を扱う店からは、売り出し中のアイドルの歌が響いて回る。

巨大なショッピングモールからは、それに対抗するような慎ましい爆音が流れている。

甘いモノに群がるアリの行列もどきを、彼はちらりと電線上から見下す。

彼らと目があったことは一度もない。

そもそも彼らは上を見ない。

黄色い曇天にもまるで関心がない。


街は、一風変わった黄色い雲に覆われていた。

黄色い光りを放つ雲に空を支配された街。

溢れ出る物欲と性欲で地べたは濡れそぼり、天は暮れれなずむこともなく、朝も夜も昼も黄色い曇天。

雲はドーム状を形成し、膜のように街全体に覆い被さっていた。

正しい日がどの角度にいようと遮断している。

偽物の恒星をドームの中心にいつまでも掲げながら。

いつまでも黄色い世界。

黄昏れと彼誰の間を永遠に彷徨う街だった。

科学的に解明されることもなく、歓楽街の夕暮れを保ち続ける雲。

異常な天の、地に蔓延るにはお似合いすぎるこの街。

青少年には教育的によろしくない、欲望まみれの黄色い街。

それを人は、当然と受け止めていた。

そこにたまに走る影のような物など、見ることのほどでもないようだった。

黄色い夕雲はぬくぬくなんでさや、と言う生き物のことを思い出して、彼は凝固を忘れ肉体を忘れ熱を忘れ駆け抜けた。

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