寄り道は何度でも、幾らでも、望むままに

 その後。

 スカイツリーを降りてから、花火大会会場としても有名な隅田川を下る船に乗った。


 かの銀河鉄道999を生み出した大先生にデザインされた未来的な客船は、隅田川を下りに下って東京湾へと突き進む。その間乗客達はいくつもの橋をくぐりながら船上からの街並みや景色を眺められる。


 夏の景色は、スカイツリーよりも高く分厚い入道雲が印象的で。


 デッキに上がった真理那は、その光景を目に焼き付けようとするかのようにじっと夕方前の移り変わる空を見上げていた。


「お姉ちゃんは空が好きだよね」

「オレと同じでな」


 あいつが泳ぐのが好きな理由も、そこにあるのをオレは知っている。

 当たり前の話だが人間は空を飛べない。鳥のように自由に羽ばたけない。だが、空のような青さのプールで泳ぐことはできる。


 夏空の下、仰向けでぷかぷか浮いていると穏やかな気持ちになれる。そう教えてくれたのは昔の従妹だった。

 そんな事もあってか、オレも空は好きだ。

 少し違うのは青空に限らないところ。そして、自ら自由きままに近づこうとした意識の違いか。


「今日の憂いを帯びてる表情なんて、絵になると思わない?」


 隣の座席で足をぷらぷらさせている美希ちゃんに「ああ」と首肯で返す。


「でも……ちょっとゾワッとする。今日着てる服の色もあって、お姉ちゃんが溶けちゃいそうだから」


 美希ちゃんもオレと似たような感想を抱いていたらしい。

 デッキに上がっている真理那と空の色合いが似ているせいか、ふたつが混じり合ってどこかへ消えてしまうような、真理那がふっといなくなってしまうような……切なさが佇んでいるような気がしたのだ。


「晴兎お兄ちゃん」

「ん?」

「あたしのお姉ちゃんは、曇空や雨空よりも晴れた日が似合うし、大好きなんだ。だから……晴れさせてあげてね」


 柄でもない。

 美希ちゃんの声色は真剣そのもので、何年も前の真理那とダブってみえた。

 きっとこの子は将来男が放っておかない美人になることだろう。不思議なことにさざ波だつような居心地の悪さと、不甲斐なさがあった。

 妹の美希ちゃんを介して、昔の真理那にどうするべきかを説かれたかのようでなんとも罰が悪い。

 これで、今後家の事情に振り回されるようなところまでは似て欲しくないところだが……。


「そうだよな、繋いだ手を無様に突き放すような真似はカッコ悪すぎる」


 さしあたり、まずは『今』やるべき事を。


「真理那!」


 エンジン、風、水上を走る音。どれにも負けないようように声を張って、真理那をこっちへ振り向かせる。「何?」と彼女が訊いてくる前に、オレは言葉を紡いだ。


「予定変更。もうしばらく寄り道するぞ!」


 ◇◇◇


 隅田川を下る船に乗っていた俺達は、往復チケットに切り替えて今度は川を遡っていく。向かう先は乗り込んだ船着き場と同じ、浅草だった。 


「浅草に戻ってくるなんて、行き損ねた場所でも思い出したの?」

「金銭と時間のやりくりとしちゃあ非効率だが、限られた時にしか立ち寄れない場所もあるってな」

「えー、なにそれ~、気になるな~♪」

「おお、気にしろ気にしろ。気にした分だけきっと面白くなる」


 あえて詳しい説明はせずに、オレ達は再び来たルートを戻っていった。

 浅草がある台東区から橋を渡って墨田区へ。戻りの船に乗っている間に沈んでいった太陽はもう地平線の向こうに半分以上落ちていて、街はしっとりした夕焼け色で染まっている。


 悪くない時間帯だ。

 このまま外から見上げるのも悪くはない。

 とはいえ、今回の目的は別にあったので外からを拝むのはまた今度。


「さあもう一度上に行こうか」

「もう一度って……アレの?」

「お察しのとおり、東京で一番高い場所だよ」


 高速エレベーターを乗り継いで、あっという間に目的地――スカイツリーの天望回廊に到着する。途中で「スカイツリーは一回降りたら同じチケットで再入場できないのに……ちょっと勿体ないわ」と真理那がぶつぶつ呟いていたが、シースルーのエレベーターの怖さを紛らわせていたのだと思うと少し可笑しかった。


 三人揃って降り立つ回廊。

 変貌した風景に向かって真っ先に歓声をあげたのは、最年少の美希ちゃんだ。


「わああああ、夜景だよ夜景! 百万ドルの夜景ってやつかな!!」

「百万ドルは神戸の方だな」


「とにかくスゴイって事が伝わればなんでもいいよ! ね、お姉ちゃん! ほらほら、すごい綺麗だよ!!」

「………………ええ、ほんとうに……綺麗」


 大興奮の美希ちゃんとは対照的に、真理那は非常に落ち着いた様子で夜になって光り輝く回廊を歩んでいく。昼間のどこまでも広がる空色や白色の明るさとは異なり、夜の天空散歩は導くべき道を指し示す優しい色に光輝いている。


 どこよりも高い、都会の絶景マジックアワー。

 時を刻む光は心意気の「粋」、美意識の雅、賑わいの「幟」にライティングされる。その明かりの余韻だけでも、回廊が淡く照らしだされているかのようで、さらに眼下には人の灯が、地上を駆け巡っている。


 ひとつひとつの建物が夜闇を照らし、道路は流れる光のラインが途切れることはない。黒い眠りについた川も海もハッキリ見えるというのに、まるで夜空の星々が降り注いだかのような夜景の前には、わずかな寂しさも彩るエッセンスとなる。


「のんびり散歩で、今度こそ頂上まで行こう」

「晴兎……でも……私は」

「一緒に行ってくれ真理那。……オレが行きたいんだ」


 ココだけじゃない。他にもたくさんある。だから、今日はこの場所で。次は別のとこへ。

 そんなオレの強引なお願いと祈りに、


「じゃあ仕方ないわね」


 そう受け入れて、真理那は歩き出してくれた。



 真理那達は時折感動の声をあげつつも基本的には静かなものだった。外に向かって余所見をし続けるのは安全面では本来NGなのだろうが、今回はオレが見守っているのでどうか見逃してほしい。

 

 心が淀んだ末の、家出の気晴らしではなく。

 気持ちが落ち着いて一度戻ると決心した今だからこそ。

 シンプルに邪魔されることなく、コッチに来てくれたからこそ魅せられるものを見せてやりたいから。

 そして、オレの我儘でもある。 

 真理那に変な未練なんて残して欲しくなかったのだ。


 十分かそこらか。あるいはもっと短かかったのか、長かったのか。

 時間の縛りなんて気にすることもなく、自由に思うがままに、オレ達は夜の天空散歩に興じた。


 登ったり下りたり、行ったりきたり。

 偶に写真を撮ったりもしながら。


「うーん、素敵な夜景デート♪」

「デートにしては人数がおかしいわよ」

「ああ、困ったもんだ。こんな高嶺の花で両手に花スタイルなんて嫉妬に狂った男達にボコされてもおかしくないな」


「自意識過剰って知ってる?」

「自惚れでもなんでもなく、事実だろ」

「ちょっと二人共ー。あたしの前でイチャイチャするのはどうなのさー」


「そうだな、美希ちゃんも一緒にイチャイチャしないとな」

「美希? この軽薄な従兄とイチャイチャするなんて止しなさい。悪い事ばっかり教えられるわよ」


「えー、お姉ちゃんはしてるのにー?」

「そもそもイチャイチャしてない……という前提で。ごめんね、私はもう戻れないし止められないぐらい手遅れなのよ」 

「人の印象をスナック感覚で悪くしないで欲しいんだが?」

「悪いのは事実でしょう?」


「否定はしない」

「ほら、見なさい。すごいやましい事があると自覚してる」


 気さくなからかいに対して「おっけい、話し合おう」と降参のポーズをすると、姉妹揃ってくすくすと笑ってくれた。


 なんとも穏やかな夜だ。

 明日もきっと夏本番とばかりに暑いのだろうが、この心地よさを糧にして元気に楽しく過ごせそうである。


 そのうち、今度こそ天空回廊の天辺に到着した。

 諦めるわけでも、あえて引き返すなんて行為に縛られることなく、自分の意志で。

 オレ達は自由な気持ちのまま、行きたい場所に来れたのだ。


「真理那」

「ん」

「寄り道ついでに、余計なアドバイスだ」

「……?」


「お前が帰ったら、汐凪の家はきっとこう言うだろう。『無駄なことをしやがって。大人しく家にふさわしい振舞いをしろ。黙って言う事を聞いておけばいいのに何故わからないのか?』ってな」


 あの家は、そんな連中がうようよいる。

 大して人間もできていないのに余計な口ばかり挟む大人達の巣窟だ。


 それを目の当たりにしたオレにはわかる。

 あいつらはきっと叔母さんを飛び越えて、真理那を追い詰めにくるだろう。生意気な小娘が屈服させて見下すために。


 だが、そんな頭がおかしい連中だからこそ効くものがある。

 それは――。


「もし嫌がらせを受けたり、強引に言う事を聞かせようとしてきたらこう言ってやれ」


――『貴方たちは寄り道すらする余裕もなくて残念ですね。無駄なことをするから楽しいし、後悔なんて全くない。私は今、笑えていますよ』――


 そう真理那に告げられた時の、親戚達のショックを受けて何も言えない面が脳裏にありありと浮かぶ。きっと最初から言う事を聞かなかったオレの時よりも、アホな顔になることだろう。


「そ、そんなの言っていいのかしら」

「いい。オレが許す。つーか、言う事になるから今の内に心構えだけしとけ。それから……」

「まだあるの?」

「……叔母さんと話す時は、好きなだけオレをダシにしていいから、上手くおさめろよ。出来るだろ?」


 真理那の口が『本当にそれでいいのか?』と問おうとしたようだが、その声は外に出ることなく引き結んだ唇の中でかき消えた。

 仲良し従妹はオレの真剣な眼差しを見ただけで、確認したところで意味がない事だと察してくれたのだ。


 だから真理那はゆっくり、感謝を述べるようにこう応えた。


「……もちろんよ。せいぜい好きに使うから、覚悟してね」

「ああ。もう出来てるよ」


 そんなやり取りを終えて、オレの寄り道も終わりだ。

 軽薄な従兄様にとって真面目な話は肩がこるし、あまり得意なわけじゃない。


 手持無沙汰気味になりながら、大きな窓の外に広がる美しい夜景を目に納める。

 そうしていたら。 

 ふと。


 夜景を眺めていた真理那が自然な動作で、オレの真横に貼りつくように接近してきた。美希ちゃんもその動きには気付かなかったようで、手すりから身体をのめりだしながら夜景に目を奪われたままである。


「どした」


 小声で尋ねると、悪戯っぽい笑みが返ってきた。


「ありがと、すごか良か寄り道やった」

「偶には寄り道も悪くないだろ」

「ほんなこつね。……で、悪か子晴兎くんな、一体どこん誰ばココで口説いたりしたと」

「人聞きの悪い……」


「あー、田舎もんが背伸びしよーところが見てみたかったわー」

「いい、いい見んで。ただ、お前がそれで背中丸めずに帰れるなら見せんでもない」

「別にいいわよ。むしろお礼に、私が背伸びすると」

「は――?」


 今更ながらではあるが、夜のスカイツリーの大変メジャーなデートスポットである。ちょっと周りを見回せば、いつのまにやらカップルさんばっかりとなっていた。

 その甘い雰囲気に呑まれでもしたのか、はたまた悪戯したい衝動でも湧きあがって来たのか。……それとも、本気(マジ)の話なのか。


 ゆっくりと背伸びをしながら唇を近づけてくる真理那が、スローモーションでオレの瞳に映りこむ。

 身体が動かず、後ろに下がることも、首を曲げることもできなかった。そのまま行けば、赤の他人からみても立派なカップルに見えてしまうだろう。


 ……まあ、真理那とならそうなっても――。


 ぼんやりした曖昧な思考だけが頭を巡る中、無防備な口元に真理那のイイ匂いと一緒にやわらかな感触が飛び込んできて。

 その瞬間が、訪れた。


「……んふっ」


 よりにもよってこの家出娘は、その気にさせた従兄に対してギリギリの「寸どめ」を披露してみせたのだ。


「なんや、晴兎もけっこうあいらしかところがあるったい」

「お前なぁ……」


 張り倒したろかい。

 そう考えた矢先に、オレは後手に回ることになる。


「美希もいるから。代わりにこっちで……ね?」


 美希ちゃんから見えないように後ろ手に回された真理那の手が、オレの手を包み込む。手に平同士が触れ合ういつものシークレットハンドシェイクだ。

 ただ今回は秘密の握手は意図的に形を変えていた。さわさわと真理那の方からオレの手指をなでまわし複雑に絡めてから、親指をチュッチュと強めに押し込みあわせてくる。


 ハッキリ言おう。

 アホ程えっちだ。

 子供が戯れにやる愛情表現のようで、実のところはとても妹様には見せられないヘビィーなキスみたいなもんである。ここぞとばかりに舐めくさったメスガキみたいな顔で見上げてくるのも破壊力が高い。


「おま……ッ」

「なーに? これじゃ物足りないって?」


「今度やったら手ぇ出すからな」

「あら、そんなつもりがあなたにあるなら私はとっくのとうにお手付きになってるわ」

「……ぶち犯すぞワレェ」

「はいはい。動揺すると口汚くなるのよね。知ってる知ってる」


 そんなにオレをからかうのが楽しくて仕方がないのか。

 オレの悪影響によって悪い子と化した真理那の小憎たらしい笑顔は、今回の家出中な中でもトップレベルで。


 不覚にも、オレの好きな空に近い場所。

 東京で一番高い場所から眺める地上の星より。



 輝いてみえた。



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