第9話:泳いで遊んで帰り道

「どうしたいきなり」


「ここにきてからお兄ちゃんはあたしに構ってばっかりでしょ。あたし個人としてはすごい楽しいけど、お姉ちゃんがほったらかしになっちゃうのはちょっとねー」


 美希ちゃんの表情は後ろにいるため見る事は叶わないが、その声色には少々の硬さと心配が感じられる。冗談でもなんでもなく、少なからず真面目な時のトーンだ。


「いいんだよ。美希ちゃんが三人で一緒に流れるプールで遊ぼうと誘ったけど、ひとりでアッチのプールに行ったのは真理那なんだから」

「いやいや、お兄ちゃんが誘ったら真理那お姉ちゃんは絶対こっちきたって。なのにお兄ちゃんってば『真理那は二十五メートルでガンガン泳いできたらどうだ?』なんて先に言っちゃうんだもん」


 それはそのとおりだ。

 美希ちゃんが流れるプールに誘う前に、先に真理那にそう言ったのはオレである。

 ただ、何も冷たく突き放したわけじゃないのだ。


「ちょっとだけ内緒の話をするとだな」

「ないしょー?」

「真理那にはああして存分に泳いで欲しかったんだよ。ほら、元々あいつはかなりの運動少女――特に水泳に関しては大好きだろ」

「それはそうだね」


 その一端が、あのセクシー日焼けスタイルとして表れている。


「素直に吐きだせないだけで、相当モヤモヤ&むしゃくしゃしてるんだよ真理那は。いきなり家出なんてかますくせに、それでいいのかとも考えてんだ。真面目だよなー、もっと気楽に考えてもいいのに」

「…………おおーっ」

「なんだ拍手なんかして」

「いや、お兄ちゃんのお姉ちゃんに対するわかりみが深すぎてすごいなーと」

「はっはっは、そうだろそうだろ。もっと褒めていいぞー」


「ぶっちゃけお姉ちゃんのことが大好きなんだよね」

「ああ、大好きだぞ」

「ッッ!!」


 オレの背中から離れ、今度は前に来て悪戯っこな上目遣いでからかってきた美希ちゃんの頬がボッ! と紅くなる。


「なんだよその顔は~?」

「だ、だってそんなストレートに返してくるとは思わなくて……あ、あたしの方が恥ずかしくなっちゃうよ~。うぅ、顔あっつ……」

「安心してくれ、美希ちゃんのことも同じくらい好きだぞ」

「はぅあ!? も、もうお兄ちゃんってば!!」


「とまあ、こんな風に口説かれるとホイホイ付いていきそうな感じがするからオレが傍にいてやらないとな。美希ちゃんは甘い言葉に簡単に騙されるなよ?」

「も、も~~~う! 騙され何てしないですよーだ」


 可愛く歯を見せてイーッとやって、美希ちゃんはパシャパシャと前へ前へと泳いでいってしまう。そのあとをのんびり追いかけながら、オレは再び真理那の方を確認した。


「相変わらず気持ちよさそうに泳いでるな……」


 あの調子ならあと三十分から一時間はそのままでもいいかもしれない。

 なんだかんだでオレのとこに来て以降、真理那が一人でゆっくり考える時間はなかったはずだ。悩ませる時間がないようオレが引っ張り回してたし、常に傍にいたからな。ある意味ではストレスになっていた可能性がある。


 だが、ああやって泳いでいる間は近くにいることはない。

 好きなだけ身体を動かしながら、必要な分だけ一人で考えることができるだろう。

 そのあと必要であれば、あっちから声をかけてくるはずだ。


 ――個人的には、思う存分頼ってくれていい。

 そうしてくれた方がオレも安心できるし嬉しいぞ。


 口には出さずに、心の中でひとり祈るように呟く。


「おにいちゃーん。そろそろウォータースライダーいきたーい」

「よし行くか! 行きがけに真理那も誘ってみよう」


 とはいえ、別段放置するわけではなく、オレはオレで機会さえあればこうやって真理那に声をかけようとするんだがなーはっはっは。


「真理那ー、スライダーに行くぞスライダーに」

「私はいいわ。美希と行ってきなさいよ」

「おんやー? 真理那とあろうとものがスライダー如きに怖気ついたか~? 美希ちゃんはワクテカしてるっていうのになぁ~~~?」

「……いいわ、行ってあげようじゃない」

「わーい♪ 誰が一番早く着水するか競争しよー!」


 わざとらしすぎるオレのクソウザムーヴ。それに乗っかってきた真理那はザバッと勢いよく二十五メートルプールから水飛沫と共にあがってきた。


 ふっ、ちょろすぎるぜ。


 口にした瞬間はたかれそうな感想を抱きながら、オレ達は高いところにあるスライダー出発点に昇ってスタンバイOK。スライダーコースは三つ並んでいたので、それぞれが好きな座り方でノリと勢いのスライダー勝負に挑む。


「お兄ちゃん、寝そべりスタイルとは……さすがだね」

「くっくっく、一位は貰ったな」

「さぞ変に落ちて痛い目にあうんでしょうね」


「あ、真理那。お前水着の尻のとこがめっちゃ食いこんでるぞ」

「え!?」

「おさきぃ!!」


 三者三様の言葉を挟みつつ、無駄に気合が入ってる(っぽいだけ)スライダーレース(仮)はオレの卑怯戦術(嘘)でスタートを切った。


 気持ちよくコースを滑り降ちていき、最後はプールにドバッシャーン! と大着水をキメたその結果は――。


 策にハマった余裕の真理那がドベ。

 オレが見事な一位。


「はっはっはっは! どうだみたかぁ!!」

「お兄ちゃんやるー♪ お姉ちゃんおっそーい♪」

「今のはノーカウントよ! ちょっと、次からはさっきみたいなのは無しでやるわよ」


 美希ちゃんの無邪気な煽りが効いたのか。

 そのあとも、自分が勝つまで止めない真理那に根性負けするまで、三人スライダー遊びは続けられ――。


「次はこっちで勝負しましょう」

「うわぁ、現役水泳部が大人げないこと言いだしてきちゃった……」

「だが受けて立とう!」 


 勝負の行方は真理那の独壇場で、決着したのだったとさ。


 ◇◇◇


 屋内プールで、遊んで遊んで、さらに遊んで遊びまくったオレ達は、電車に揺られながら帰路へとついていた。

 おやつの時間なので小腹も空いている。昼飯も身体を動かした分だけ食べたつもりだがそれでもまだ消費したエネルギーには足りなかったらしい。


「すやぁ……」

「遊んで食べたら寝る。美希もまだまだ子供ね」

「いいお姉ちゃんが板についてるな」

「ええ、こん子ん前ではそうしようと決めとーと」


 倒れてきた妹に肩を貸す真理那だが、その眠そうな顔は誤魔化せない。

 というか、大人だろうが子供だろうが動いたあとに眠くならないヤツなんて存在しないのだ。オレも例外ではない。ただ、今眠るわけにもいかないだけだ。


「晴兎は寝ないの? 私が起きてるから、遠慮なく最寄駅まで寝ちゃっていいわよ」

「生憎、このあと用事があるんでね。寝起きの回ってない頭で行くわけにもいかねーんだ」

「それは初耳だわ」


 特に言うべきことでもなかったからな。


「そんなわけでオレは出かけてるから、夕飯は美希ちゃんと二人で適当に食べててくれ」

「…………うん」


 珍しくわかりやすい程に寂しげな真理那の呟きに、「悪いな」と返した。

 ついでに「なるべく早く帰るからよ」と付け加えると、


「何を心配してるのよ。安心して? 別にお金を持ち逃げしていきなり消えたりなんかしないから」

「……恐ろしい冗談だ」


 口にするからには絶対しないだろうが。

 一種のやり逃げというか、やらかし逃げというべきか。


「暗がりや怪しい店には近づくなよ。夜の東京はお前らの考えてる以上に危険が隠れてたりするからな」

「はいはい」


「なるべく早く帰るからな」

「ちょっと晴兎、ソレはさっきも言ったばかりじゃない」


 わずかな間に繰り返された言葉を、しかし真理那は特に無下にすることもなく、線路を走る電車の走行に体をわずかに揺らしながら、穏やかにオレを見つめた。


「……ありがと。帰ってくるとば待っとーね」

「ああ」


 その後、うとうとしながら最寄駅に到着。

 家に帰る真理那達と別れてから、オレは携帯を鳴らした。


 これから会うべき人に連絡するために。


「もしもし、オレ。いま真理那達と別れたところ――ああ……十五分もあれば着くと思うから、先に中入っててくれ」


 必要な連絡を終えて、ふぅと一息ついて。

 オレは真理那達が歩いて行った方とは逆方向へ歩いていくのだった。

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