第6話:蜜月のイケない夜と朝

 ◇◇◇


 その日の夜は比較的涼しかった。

 つけっぱなしで過労死しそうな旧型エアコンを久々に休ませながら、網戸と昔懐かしき古くて重い首振り扇風機が大活躍。

 

「くー……すー……」


 いそいそと快適な部屋を整え終わった寝室では、一日中オレに連れ回された真理那が先に敷いた布団で寝こけてしまっている。おそらくだが、今日だけの疲れだけじゃないだろう。


 昨日はひたすら身体を休めていたようだが、そもそも真理那が家出したのがウチの前に座ってた日かどうかも定かじゃない。もしかすると数日ほっつき歩いた末にオレの下まで辿りついた可能性すらある。


 ただ「スースー」と無防備に寝入っている真理那の寝顔は、少なからず安眠していように見えた。眩しくないよう豆球だけにした明るさだけの中でもだ。 

 ……昨日は、時折苦しそうに呻いたりもしてたからな。ひどければ病院に連れていくべきかと悩んだぐらいだが、これなら大丈夫だろう。


「したら、どうするか……」


 今後の事もだが、まずは今だ。

 家に帰ったら真理那に何かやりたい事があるか訊いてから行動するつもりだったが、当人がコレではそうもいかない。


「……オレも寝る体勢に入るかね」


 とはいえすぐ寝つける気はしなかったので、リビングの家具を適当にどかして布団を敷いてゴロゴロしながらテレビを観れる導線を確保する。

 最初は動画配信サービスの中からおすすめ表示された映画を観ようとしたら、その中に映画館で観て以降一度も観てなかったアニメ映画があったのでポチッと再生ボタンを押した。


 天気を変える不思議な力を持つ少女と、彼女に関わることになった少年が主役の物語は夏に観るのがちょうどいい。特段、とんでもないセンスと時間によって作り上げられた情景は素晴らしく、オレは花火大会のシーンがお気に入りだった。


 真理那が起きないよう音量は小さくして、しばらく観続ける。

 ある程度物語が進んだところで、そういえばこの少年は家出したキャラだったことを思い出した。

 状況や経緯はもちろん異なるが、家出という点においてはオレの後ろで寝ている真理那と同じといえば同じ。家族や故郷に思うところがあったのも似ているといえば似ているかもしれない。


 ――家出か。

 ……誰でも一度は考えることだ。

 実行するヤツはマイノリティだけどな。オレみたいに。 


 なんてぼんやり想っていると、イイ感じに眠気が目蓋を重くしてきた。

 特に抵抗することもなく、うとうとと眠りの世界へ誘われるオレ――だったのだが……。


 ぼふっ、と。


 背中に感じた軽い衝撃と柔らかいぬくもりで、目が覚めてしまった。

 感触からして、何者かがくっついてきたようだ。この家にはオレと真理那しかいないので何者かの正体はすぐに判明するのだが。


 ――何のつもりかがわからん。

 もしや寝ぼけて転がってきたか? 器用なヤツめ。


 なんて冗談はすぐに否定される。

 もぞもぞと、明らかに意志を持った動きで真理那が身を寄せてきたからだ。最早密着してるといっていい。いや……マジでなんのつもりだ?

 まさか大穴狙いで夜這いか!?


 来る者拒まずなオレとしては悪くない話だが、そんなに急いで大人の階段を登る必要はないとも思う。


 色々考えはしたものの、結局離れる気配もなくシャンプー混じりのいい匂いがふわふわと漂ってきたのもあって、オレは直接確認する手段を選んだ。


「……どうした、自分の布団と間違える寝ぼけタイムでも始まったか」

「……ッ」


 向こうはオレが寝てると思ってたんだろう。一瞬息を呑む声がした。

 しばらく無言の時間が続く。しかし、真理那が離れる気配はなく、代わりに何か言いたそうにしている雰囲気だけが漂ってくる。


「何かあるなら言ってみろよ」


 内心では大慌ててではにしても、もし一線を超えるようなものが飛び出したらどうするかとドキドキだ。いとこ同士とはいえ夜の布団で触れ合っている状況はなんとも味が悪い。

 まぁ、もし真理那がそういったことを強く望むのであれば最終的にはやぶさかじゃないんだが。


 もういっコッチから強引に仕掛けてみるか?

 そんな危険な思考が働きかけてきた時、ようやく真理那からアクションがあった。


「そのまま……寝てて」

「……?」

「見られたら、恥ずかしいから……だから、そのままでいて」


 最初は意味不明な言葉だったが、二言目で意図を察したオレは黙ってそのまま横向きに寝っころがり続けた。すると、身体の側面に置いていた右手のひらに真理那の手が重なってくる。


 タイミング的になんとも艶めかしいが、これはオレ達のシークレットハンドシェイクだ。その指先は少しだけ震えていた。


「……寝苦しくさせてごめんなさい。でも、こうしていたいの」

「…………」


 夏の夜であろうとも、人肌が恋しくなることはある。理由は人それぞれだが、そんな時は誰かに触れて安心したいもんだ。


「今日が楽しかった分、こうしていないと、今は怖い。起きたら、またあの家で、お母さんからイヤなことを言われるって思ってしまうの。……そんなわけないのに。あの人も、あの家も、ずっと遠くなのに」

「ああ、ココは東京のオレの部屋だ。だからお前は好きにしてていいんだ」


 つまらん家族の縛りやお家の都合なんて、気にしなくていい。

 少なくともココに居る間は、そんなもののために苦しむ必要は皆無だ。


「…………こうして晴兎にひっついてると安心するわ」

「ああ」

「匂いも変に落ち着くの。不思議よね」

「そうか」

 

 オレも同じ、とは気恥ずかしくて言わなかった。

 実際こっちからすれば落ち着くどころの話ではないし。


「これ以上は望まないから……明日目が覚めるまでこのまま……」


 ココでオレは、逡巡しながらたどたどしく話す真理那に遠慮を感じた。

 握りこまれた手のひらから力が抜けて離れていきそうになる。

 したい事があるなら遠慮せずに言ってくれと、あれほど伝えたつもりなのに。まだ我慢している従姉妹様に少しだけ腹が立った。


 だからその腹いせに、オレは。

 身体を反転させて、強引に真理那を全身でハグしてやるのだ。


「んぅ」


 従姉妹の火照ったような吐息を無視する。

 彼女は腕の中でもぞもぞと身じろいだが、割とすんなり諦めてしまったようで途中からは完全に身体を預けてしまった。


「……ここまでは要求してないわ」


 ややおっかなびっくり。だが、額をぐりぐりと押し当ててくるのは信頼の証か。

 改めてオレから秘密の握手をしてやると、やわやわとした同意の反応があった。


 自分からかましたくせに、何をやっているのかオレはと。引かれていたであろう一線をみずから越えたことに対して自問自答しそうになる。だが、きっと真理那は本来こうして欲しいのだ。

 証拠というわけではないが真理那はまったく怒っていないし、お気に入りの寝床でゴロゴロと喉を鳴らす猫みたいに丸まっている。


「ふふっ、遂にあたしも晴兎のお手付きになるのかしら」

「冗談だろ?」


「最悪私はそういうことになってもいいと思ったわよ。家出少女にとって体を使った奉仕は貴重な対価じゃない」

「生々しくて笑えねえ……」

「あら、私は笑えるわよ。実際、今そうなってるんだもの」


 悲観も自虐もなく、ほのかに明るくておかしそうに真理那はくすくすと声を出して笑っていた。さっきまでの悲壮感はきれいさっぱり消えている。


「今の内に、起きたら服が乱れていた時になんて言おうか考えておこうかしら」

「おいおい……」

「うん……そうねぇ……こんなのはどうかし……ら」


 なんともフリーダムな発想をする真理那。

 本来であれば許されざる密着状況から避けることなく、そのままうとうとと寝入り始めた彼女が翌朝口にしたのは。


「大人の階段、登ってしもうた……」


 であった。


 寝起きの真理那はどこかぽーっとしていた。髪もつんつんはねて寝癖だらけで服も乱れて皺が寄っている。いやまあ半分はオレのせいなんだけど、もう半分は真理那本人のせいなのであえて言う事もあるまいて。


「大丈夫、お前はまだシンデレラだ」

「は? なんて??」


 残念ながら、オレのユニークな切り返しは通じなかったようだ。

 とはいえシンデレラのままなのは事実。オレとしては役得というか嬉しみと、もう少し色々やっても許されたかなーなんて残念みが複雑に混ざり合ってるところではあるんだが……。


「ちょっと、なに窓の外を見ながら黄昏てるのよ」

「中々勿体ないことをしたかもな、と」

「あら、人に手を出しておきながら勿体ないとはひどい言い草ね」

「添い寝した程度で手を出した判定されるのもなぁ」


 しかも仕掛けてきたのは真理那からだし。


「随分爛れてる生活を送ってるのね。アレを添い寝? 同衾の間違いでしょ」

「おかげでとても気持ちよく寝れたぞ」


 ポカッと叩かれる前提で軽口を叩くと、予想通り真理那はポカリとオレの頭を叩いた後に「ふふっ」と穏やかな顔つきで言い放った。


「私もよ。おかげさまでね」


 それだけで「ああ、よかった」と思ってしまった時点で、この言い合い勝負はオレの負けなのだろう。


「……このまま真理那の寝起き姿を堪能するのもいいが」

「止めて、訴えるわよ」


「今日はどうするか決めよう。何かリクエストはあるか?」

「まずは女の子の前で着替え始めるのを止めなさい。……こら、無視してパンツ一丁にならないの。悲鳴を上げてほしいの?」

「へいへい」


 生返事をしながら隣の部屋に移動すると、おそらくオレと同じように着替え始めた真理那から再びお声がかかった。


「今日は家でゆっくりしない? それでゆっくりしてる間に明日以降の予定を組みましょうよ」

「ああ、いいぞ。もう、どっか遊びに行きたい場所でも浮かんだか?」


 自分からそう言いだすのであれば、真理那の世間一般的に悪い事をしてるという気持ちも少しはマシになったのか。息抜きというヤツは品行方正で責任感がある真面目なヤツほどしづらいもので、気持ちの切り替えが難しかったりする。

 その結果、せっかくの息抜きチャンスを不意にするのも多かろう。


 だが――。


「晴兎がこないだ言ってたじゃない。雷門に、それからスカイツリーって」

「ああ」

「都心部で指折りの名所に、私もデビューしてみたいわ」


 着替え終わった姿で楽しげに行きたい場所を口にする。そんな真理那はしっかり切り替えが完了しているようだ。


「なら、しっかり堪能できるプランを練るために本屋で観光雑誌でも漁ってくるか」

「あとはネットね。文明の利器に活躍してもらいましょう」


 そう言いながら自分のスマホを取り出す真理那。ただ、何かに気づいたようで「あ」と声を漏らしながら彼女はスマホをタプタプし始める。ネット検索というよりもメッセージを打つ時の指の動きだ。


「どした?」

「…………えっと、ちょっと問題が発生したみたい。もっと早く気づいてればよかったんだけど……」

「叔母さんからか?」


 当然母親なのだから娘のスマホに連絡はするだろう。もし何度も何度もメッセージを送っているのであれば、画面にびっしり同じ名前が並んでいてもおかしくない。


「お母さんじゃなくて」

「うん」


 どうしたものかと考えあぐねるように真理那が腕を組みながら、人差し指で肘の辺りをとんとんする。


「妹の美希(みき)。どうやったのか知らないけど、数日以内にコッチに来るって」


 新たな波乱は、もうすぐそこまできていた。

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