第三節 悲しませてすまない

第四十四話

 それまで黙っていた清原王きよはらのおおきみ聖子せいこ皇后を抱き締めていた。


「悲しませて、すまない」


「離して! あなたは今でもあの女を愛しているのに! 分かっているのよ!」

「聖子」

 清原王きよはらのおおきみは離さない。

「わらわは……わたくしは、ずっと、お待ち申し上げていたのです。あなたが、いつかわたくしの元に来てくれることを」

「……すまない」


「わたくしは……ずっと、あなたの妃になることを、ずっとずっと――幼いころから夢見てきたのです。まだ、成人する前、あなたにお会いしたときから、ずっと。……ずっと、あなたのことをお慕い申し上げておりました。……文字の能力がないと嫁げないと分かっていたので、真澄鏡まそかがみの前に立ったとき、花が降ってきて……どんなに嬉しかったことか。

 これで、あなたの妃になれると。それなのに……‼」


 聖子皇后は泣いているらしかった。

 清原王きよはらのおおきみの胸の中で。

 辺りは依然として真っ暗で、ぼんやりとしたあかりしかない。


 ……あれ?

 聖子皇后は結局、清原王きよはらのおおきみのことが好きなんだよね。しかも、ずっと前から好きだった、と言っていたわよね。

 しゅを発動させたのは、聖子皇后じゃないってこと?

 それとも、愛を拗らせて呪ったってこと?

 清白きよあきさまだけ呪ったとか?

 でも、明らかに清白きよあきさまへと清原王きよはらのおおきみへのしゅは連動していたから、同一の集団によるものだと思う。


「……あのう、聖子皇后」

 あたしは恐る恐る、声をかけてみる。返事はない。聖子皇后は、清原王きよはらのおおきみの胸の中に顔をうずめて、顔を上げようとしなかった。清原王きよはらのおおきみが少し笑って、あたしの顔を見た。


「聖子皇后がしゅをかけたわけじゃないんですね? 清原王きよはらのおおきみ清白きよあきさまに」

 あたしの台詞に、聖子皇后は顔をあげて、きっとあたしを睨みつけ、言った。


「そんなことするはずはない! わらわは……わたくしは、清原王きよはらのおおきみのことをずっとずっと好きだったのです。愛していたのです。わたくしを見てくれないから、哀しみは積もったけれど。でも、弑したいなんて思っていません……! 病になってほしいとも、思っておりません……! 

 わたくしを見て欲しかっただけなのです。


 清白きよあきが憎いのは本当です。清白きよあきが亡くなり、わたくしと清原王きよはらのおおきみの子が、市原王いちはらおうが皇太子の位に就けばいいと思っているのも本当です。だけど、清白きよあきを呪ったりもしていません。……そもそも、わたくしに、能力の高い清白きよあきしゅがかけられるほどの力はありません」


「だけど、高子たかこ王女ひめが毒を使ったしゅがある、と話していたわ」


「それは話だけです。わたくしは、そういうものに気をつけなさい、という意味で話したのです。清原王きよはらのおおきみが病がちになって……わたくしは、もしかして強力な、新しいしゅなのではないかと思いました。そして、使のです。と。


 わたくしは、実は、清白きよあきこそ、清原王きよはらのおおきみを弑して、自分が早く天皇の地位に就こうとしているのではないかと疑っていたのです。清白きよあきの病は自作自演ではないかとも思っておりました」


「そうですか」

 なるほど。

 お互いがお互いを犯人と目していた、ということ。

 でも、しゅをかけた人間はここにはいない――と、思う、たぶん。

 あたしは、聖子皇后の言葉が嘘ではないと思った。


「わたしは父上にしゅをかけたりはしていない。それにわたし自身も、ほんとうにしゅをかけられていたのだよ」

 清白王きよあきおうが静かにそう言った。


 では、誰が?

 そこにいる全員が思った。

 誰が? 清白王きよあきおうが瀕死になるほどのしゅを?

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