23.背傷

明かり一つ無いまま、私は暗い通路を歩いていた。

暗い気持ちでいるからだろうか、この通路は一生続くようにも思えるし、ここに居れば誰にも会う事無く、一生終えられるとも思えてしまった。

(私は何のために……)

そればかり考えてしまって、まともに他の事を考えられない。

私はどうしたら良いのか分からなかった。

どうして、ここに来たんだっけ。

どうして、亡命したんだっけ。

どうして、地位も財産も名声も捨てて、こんな地下組織での闘争を選んだんだろう………

自らがここにいる原点は何だっただろうか。そう思った瞬間、脳裏に誰かの声がした。

「教官!」

遠く、そして古い記憶の中から、それは自分に対して呼び掛けてきた。

「教官!今までお世話に成りました!」「しっかり自分の責務を全うして参ります!」「教官に教えを乞う事が出来て、本当に良かったです」「明日から国境警備ですよ」「演習で会いましょう!」「有り難う御座いました!」「また、呑みましょうよ」「心の支えに成ってくれて……本当に有り難う御座います」「教官、本当に有り難う御座いました」

これは、自分が今まで言われてきた言葉……今は無き、栄光の日々の記憶。

甦る様々な人々の顔、若い顔、老けた顔、涙ぐんだ顔、満面の笑顔………

そうだ、私はここに居た。ここに確かに存在していた。多くの人間を育て、送り出した。そうだ。私は誰かのために生きていた……!

呼び覚まされた古い記憶は、降川を鼓舞した。

しかし、それと同時に、確かな苦痛を伴う言葉も呼び起こされた。

「それでは、しっかりやってきます」「失敗しても、国の礎に成るんですから、怖くありませんよ」「大丈夫、成功しますって」「足が…足が動かない……」「痛い!痛い!痛い!頭が!頭が!頭が!ああぁぁぁあ!!」「きょ……かん……ころ…し…て……」「死にたくない…死にたくない……死にたく…ない……!」「教官、助けて…助け……」「来るなぁぁ!来るんじゃない!来るな!来るな!来るなぁぁあ!!」

行く時は笑顔で不安をかき消して、帰ってくる時は苦悶に歪んで、恐ろしい人間の所業を目撃したあの日々……

私は頭を抱えた。

足が自分を支えていられなくなり、膝が折れて、尻を通路の床に倒れ込むように落とした。次第に息は荒くなり、頭はガンガンと、何かに打ち付けられるような痛みが走る。

どうして忘れていたんだろう。絶対に忘れてはいけない事じゃないか。

手塩にかけて育てた多くの人間が、若者が、あのガラスの向こうで苦しみ、悶え、時に死に、時に生き地獄を味わう……あの狂気の実験の日々は絶対思い出したくは無いものだった。

だが、同時に絶対に忘れてはいけないものだった。

彼らが生きた軌跡を、彼らが選んだ道を、その末路を見届けた自分が忘れたら、彼が為した事は本当に無に帰す。

その一心で、ずっと、恐怖と狂気に抗った。

狂いそうになりながら、毎回、実験の様子を直接見届け、「今日は成功しろ」「壊れるな」「命が保たれてくれ」そう願い続けた。

そんな日々が私には確かにあった。

頭を抱えながら、私はどうにか立ち上がると、呼吸を整えながら、記憶を探った。

なぜ、忘れていた。なぜ、今思い出した。

私は……私は……どうして……そうやって、頭が熱くなる程に記憶をかき回し、過去を探っていた瞬間、電流が走ったかのように、過去の情景がフラッシュバックした。

執務室の机の上で息を荒くし、頭を抱える私。次の瞬間、引き出しを開け、円柱型の箱をを取り出した。

私にはそれが瞬時に錠剤入れである事を理解できていた。

そして、震える手で錠剤入れを開けると、中にあった細長い錠剤を取り出し、飲み込んだ。

すると、今までの苦痛が、頭痛が嘘のように無くなり、晴れ渡るような気分が頭を満たした。

その感覚を最後に、フラッシュバックは終わった。

「………また……逃げたのか……私は……」

フラッシュバックやトラウマに苦しむ隊員向けに開発された脳の海馬に作用する記憶忘却剤。

私はそれを使って、自身を苦しめる記憶から逃げたんだ。

(何て弱い男だ、私は!)

そう分かった瞬間、私は自分を罵倒した。

馬鹿だ!阿呆だ!間抜けめ!生きている価値の無いゴミクズ!ノータリンが!

忘れてはいけないだろうか!何で、忘れるんだ!何で忘れようとした!

絶対に、絶対に忘れては成らないだろうが!私が覚えていなきゃ、誰が覚えておくんだ!

薬剤の研究のために、人生を失った彼らの事を……誰が覚えておくと言うんだ!

結局は、自分は逃げ続けただけなのだ。

クリスティーナを連れて逃げたのだって、もう向き合いたくなかっただけだ。

私はとんでも無いゴミクズだ………

「ううっ……あぁぁ……ヴヴヴヴ……!ああああああぁぁぁ!!!」

私は暗闇の中、嗚咽にも似た咆哮を上げ、資格もないのに涙を流した。

私はエリートだった。

誰からも貶された事など無い、ずっと精進し続ける、成長し続けるそういうタイプの人間だと、心の奥底で思いたかったのかもしれない。

だが、その実情は弱く、愚かな、逃亡者でしかなかったのだ。

それに気づいたゴミ虫が、今は鳴いているだけなのだ。





私は暗闇の中を歩き始めた。

みっともなく泣き腫らした顔は、まるで自分が悪いのに、怒られて泣きじゃくる小学生のようだった。

自分がやった事、忘れていた事は取り返しはつかない。

それでも、やった事に対する影響は把握できたし、忘れていた事は思い出す事に成功した。

(戦果はあった。後はそれをどう活かすかだ)

骨身に染みている軍人としての精神が、私に選択を迫った。

(クリスティーナに対しては、もう何も出来まい。今、苦しむ彼女に私のような者が何を言っても響く事はないだろう)

では、今はどうするべきなのか。

私は局長から白い六月がこの施設から撤収する事を聞かされていない。

つまり、私には直前に成るまで言う気は無いのだろう。

となれば、こちらとしては撤収準備を命令されるまで、幾分かの猶予があると言う事だ。

もちろん、その猶予と思っていた瞬間に襲撃部隊が突入してくる可能性もあるだろう。

しかし、その時はその時。

銃撃戦など慣れたものだ。相手が異能力者ならば、尚更、戦い方など熟知している。

今はそれを、内山に叩き込む。

あいつを一人前の異能力者に育て上げ、ここを撤収した後に、クリスティーナを説得する。

設備はあっても、恐らく人工生命体は一つも無いだろう。そうであるなら、業(かるま)は目に見える形ではもう存在しない。

(そうなれば、恐らく………)

だが、この考えは甘いだろう。

一度やってしまった事は、二度、三度と繰り返せば、もはや、良心の呵責など無くなる。

クリスティーナもきっとそうなっているのだろう。

だが、それでも……

(彼女が、本当の意味で自由に生きられるように、苦しまないようにするために…私はこの身を捧げねばならぬ…!)

もう、逃げ出さない。

絶対に彼女の事だけは救ってみせる。

必ず、苦悶に歪んだ表情で、復讐のために自身と同じ存在を作り出すような悲劇を繰り返させないように、私が彼女の手を掴んで、彼女を縛る全てから連れ出さねばならない。

彼女は悲劇のヒロインではないのだ。

自由を謳歌する可憐な一人の少女なのだ。初めての体験に一喜一憂し、笑みを浮かべる普通の女の子なのだ。

歪まされ、盗まれ、彼女から失われた全てを私が取り戻してみせよう。

これは、私の宿命だ。私が真に為すべき事だ。

明かり一つ無い永遠に続くとも思われる暗闇の中、男は決意した。

もう二度と背に傷は作らぬと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る