第9話 バーテンダーの裏の貌②

清和が帰ると部屋はまた静かになった。

溜息と共に煙を吐き出し、吸いかけの煙草を灰皿に押し付ける。


「さて、と」


ワイシャツの袖口のボタンを外し、肘まで捲り上げる。

ベッドに膝で乗り上げると小さくスプリングが軋む音がしたが、尊が起きる気配はない。

久我も眼を閉じる。

掌に熱を集めるイメージを思い浮かべ、精神を集中する。

久我の守護神は妙見神――妙見菩薩と一般には呼ばれていて、北極星、または北斗七星を神格化した神だ。

修法の文言を言霊として、自らが信奉する神の名を呼んだ。


「――北天を統べる神、衆星しゅうせいの王、妙見尊星王に奉る。我、障礙しょうげの群賊を祓い、生死しょうじの魔を破らんと欲す。オン、ソチリシュタソワカ」


胸の前で両手を合わせ真言を唱えると、次第に久我の掌が蒼光を帯びていく。

実体のない焔が、揺らめき始める。

久我の表情が変わった。

眦が切れ上がり、双眸に強い光が宿る。

妙見神の力が漲り始めた。

こうして掌に「気」を集め、相手にその熱と力を送り込む。

それが久我の祓い方だった。

焔は極北の昏い夜を照らす星のように、辺りを蒼い輝きで包んでいく。


気になったのは酒で眠らせた後、問題の霊の気配も鳴りを潜めていること。

完璧に尊と同化しているらしく、目視が出来なくなっていた。こういう状態の相手を祓ったことはない。


(そんなに深く同化されたら、もはや憑依だな)


もしかしたら巫女や口寄せに近い血筋なのだろうかと思いつつ、尊の体に触れようと手を伸ばしたその時。


「……サワ、るな」


地を這うような声と共に、久我は強く手を払われた。


「!」


意識がないと思った尊から思わぬ反撃を受け、久我は身構えた。

尊はカッと両目を開き、こちらを睨んでいる。その目は血走り、表情は苦悶の色を浮かべ、先刻までの様子とはまるで違っていた。


「私の体に――勝手に、フレルナ」


その声は明らかにこれまでの尊のものではなかった。

くぐもった唸り声をあげ、久我を威嚇してくる。


「……は、お前のものではないぞ」


そう返すと、尊ではない「何か」は顔を歪めて嗤う。

久我を突き飛ばし、ベッドの奥へと後退った。


「今は、ワタシノ、モノダ。お前が眠らせた……ソウ、ダロウ?」

「ああ、そうだな。お前も一緒に眠らせたつもりだったんだが――」


(中の浮遊霊だけ覚醒したってことか)


素早く手を伸ばし、相手の腕を掴む。

唸るのを無視してもう一度ベッドへ引き込むと、胸ぐらを掴んで押し倒した。


「グウ、っ!」


そこから逃げられないよう馬乗りになるまで、一瞬の早業だった。


「離せ…ハナセエェッ!」


逃れようと暴れるのを力づくで抑えつけるが、謎の霊が憑依している尊の力は異常に強かった。

チッと舌打ちをし、尊を押さえつけたまま久我は器用に自分のネクタイを外していく。

やめろ、触るなと散々暴れて手こずったが、その両腕を頭の上で交差した状態でベッドの柵に縛り付けることに成功した。


汗を拭いながら、息を吐く。

完全に体を乗っ取られている尊を、改めて見下ろした。

相変わらず唸り声をあげ、噛みつきそうな勢いで睨み返してくる。


「…思った以上に元気がいいな。しかし、こんな肉体労働になるとは――くそ」


コレを放置しなくて正解だったな、とは思う。

まあそれも自分だけの勝手な判断で、本人にしたら余計なことをするなと言いたい所なのだろうが。

うぅと唸り返すのを無視して、ベストの内ポケットから呪符を取り出した。


「オン、ソチリシュタソワカ、北極紫微大帝七十二道の符、蕩滅邪鬼とうめつじゃき


取り出した呪符は邪鬼や魔物の類を抑えるためのものだ。

真言を唱えながら尊の額に押し付けようとした。

その時――

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