第二十三話 次の侵略

武田信玄は、莫大ばくだいなお金が必要な状況に追い込まれていた。


その状況を既に察していたのが……

欲深い愚かな人々をあおって争いを引き起こし、戦争へと発展させ、兵糧や武器弾薬を売りさばいて利益を得ている人間であり、この世で最もみ嫌われている人間でもある、『武器商人』であった。


一度入ったら二度とい上がれない底なし沼にまったかのように。


 ◇


「信玄様。

さらに銭[お金]を貸して欲しいとのことではありませんか?」


「察しておったのか!」

「信玄様が、何の用もなくそれがしを呼び出すはずがありますまい」


「ははは!

それはそうじゃ。

さて。

そちも知ってのこととは思うが……

川中島かわなかじま合戦かっせんでは大勢の者が死んだ。

死んだ者たちには家族がいる。

その生活を、わしは守ってやらねばならん」


「武田家に最後まで尽くした者の家族ならば、当然のことでしょう。

十分な銭[お金]を与えて安心させるべきです」


「ただし。

そのための銭[お金]がない」


「必要な銭[お金]は全てこちらでご用意しましょう。

大変心苦しいのですが……

返済方法はお考えでしょうか?」


「……」

「ご心配には及びません。

信玄様と、それがしは一心同体……

同じ荷を負う覚悟にございます。

返済方法については、既に2つ考えておきました」


この商人は、返済に必要なお金をどうやって捻出ねんしゅつするかまで考えていたようだ。

抜け目のない男である。


 ◇


「どんな方法ぞ?」


「1つ目は、『鉱山開発』です。

甲斐国かいのくに[現在の山梨県]には砂金さきんを収集する者たちが多くいるとか。

金の鉱脈がある可能性は高いと存じます」


「わしも、その可能性には気付いている。

ただ鉱山開発には……

想像を絶するほどの銭[お金]がかかるのじゃ」


「金の鉱脈に当たる確率は、10回に1回くらいしかないですからな。

10回も掘るとなると……」


「うむ」

「それがしは、効率良く金や銀、銅や鉄などを回収する『技術』こそが肝心だと考えております」


「ほう」

「金の鉱脈に当たるか当たらないかに関係なく……

1


「なるほど、そういうことか」

「信玄様に……

その技術を差し上げましょう」


「何と!?

どうやって?」


大蔵長安おおくらながやすという男を家臣となされませ。

父と一緒に猿楽師さるがくし[当時の伝統芸能のこと]をしている者です」


「猿楽師だと?

それが、鉱山開発の技術と何の関係がある?」


「『表』の職業に過ぎないからです」

「ん?

そういうことか!

猿楽さるがくを隠れみのに各地を渡り歩くかたわら、ありとあらゆる鉱山を見てきたのだな?」


御意ぎょい


 ◇


武器商人が送り込んで来た男と対面した信玄は……

鉱山開発について多くの質問をした。

信玄が大きな興味を抱いたのは、『灰吹法はいふきほう』という技術である。


なまりを使えば……

金や銀をもっと効率良く取り出せると申すのか」


鉱石こうせきから金や銀を取り出すには、多くの熱[およそ1,000℃]が必要です。

ところが。

鉛を鉱石から取り出すには、多くの熱を必要としません[およそ300℃]。

加えて金や銀には、鉛に溶ける特徴があります」


「ほう。

鉱石に鉛を混ぜ、金や銀を一旦いったん鉛に溶かすことで、多くの熱を使わずに回収するということか。

必要な熱が減れば、『効率』は飛躍的に上がるだろうな」


「はい。

金の鉱脈に当たる確率はどうにもなりませんが……

1


「なるほど!

長安ながやすよ。

我が武田家累代るいだいの家臣・土屋つちや家へ養子に入るのじゃ。

これからは土屋長安つちやながやすと名乗るが良い」


「有難き幸せにございます。

それがしとその一党の持つ技術に、間違いはありません。

必ずや鉱山開発を成功させてご覧に入れましょう」


 ◇


歴史書によると。


猿楽さるがくの専門知識しか持ち合わせていないはずの長安ながやすを……

信玄が武田家累代るいだいの家臣の養子に入れたばかりか、鉱山開発などの重要な内政ないせいまで任せたのは全て『事実』である。


長安は信玄の代では重用ちょうようされたものの、勝頼の代になると『一変』してしまう。

不正の疑いを掛けられて徹底的に追及されたからだ。

勝頼は自分を重用する気がないと結論付けたのか、何と敵方であった徳川家康に自分を売り込む暴挙に出る。


売り込みは成功し、信玄と同じように家康から重用された。

徳川家累代るいだいの家臣・大久保おおくぼ家の養子に入れてもらったばかりか、やがて日本各地の鉱山を全て任された。


鉱山という鉱山を全て牛耳ぎゅうじって絶大な権力を握った長安であったが……

長安が死ぬと、家康は態度を『一変』させる。


「長安の一族が持っていた地位を剥奪せよ。

持っていた財産も全て没収しろ。

そして……

長安の娘は見逃してやるが、息子7人はことごとく殺せ」

と。


家康は長安を重用しながらも、同時に腹の底では激しい憎悪を抱き続けていたのだろうか?

息子が全員切腹したと聞いてもその感情は収まらない。


「長安の『一党』も絶対に見逃すな!

ことごとく始末せよ」


長安の一党と見なされた者たちについては……

自分に長く仕え続けた忠実な家臣であっても容赦しなかった。

領地を没収した挙げ句、切腹まで命じた。


江戸時代初期に起こった凄惨せいさんな粛清事件。

人々は『大久保長安事件』と呼んで、その恐ろしさに震え上がったという。


なぜ徳川家康は……

大久保長安の一族や一党へ激しい憎悪を向け、前代未聞の粛清を行ったのだろうか?


歴史書はとんでもない的外まとはずれな理由を書いている。

「長安の権勢をねたんだ家康側近の讒言ざんげんによるものである」

と。


側近に讒言された『程度』で……

家康が、自分のために功績を上げた人間の一族まで根絶ねだやしにするはずがない。

そんなことをすれば、誰も自分のために功績を上げなくなる。


決して表に出すことができない『裏』の理由があったのだ。


 ◇


信玄と武器商人との会話に舞台を戻そう。


「1つ目の鉱山開発については、よく分かった。

それで2つ目は何じゃ?」


「2つ目は……

『次の侵略』です」


「次の侵略?」

駿河国するがのくに遠江国とおとうみのくに[合わせて現在の静岡県]を侵略されては如何いかが

甲斐国かいのくに[現在の山梨県]にはない、『海に面した港』を手に入れるのです」


「……」

川中島かわなかじま合戦かっせんの1年前。

あるいくさが、尾張国おわりのくに[現在の愛知県]で起こっていたのをご存知でしょう?」


「桶狭間の戦いだな」

駿河国するがのくに遠江国とおとうみのくにの大名である今川義元いまがわよしもと公が大軍をようして攻め込んだものの……

何と少数の織田軍に敗北し、しかも義元よしもと公本人の首まで取られてしまいました。

優れた当主を失った今川家の勢いは、急激におとろえつつあるとか」


「今川家を侵略する好機だと申しているのか?」

「武田家が最強の武力を持つ大名になるには……

どんなに汚い手を使ってでも、海に面した港を我が物とする必要があります。

北の越後国えちごのくに[現在の新潟県]には海があるものの、軍神と恐れられる上杉謙信公の治める国を侵略することなど『不可能』でしょう?」


「要するに。


「そうではありませんか?」


 ◇


信玄は、今川家への侵略が容易ではないと考えていたようだ。


「武田家は……

今川家に加えて、相模国さがみのくに[現在の神奈川県]の大名である北条ほうじょう家も加えた三国さんごく同盟を結んでいる」


「存じております」

殿


「なぜそう思うのです?」

氏康うじやす殿の祖父は伊勢いせ宗瑞そうずい[北条早雲のこと]と言い、今川家の一門でもあった。

北条家にとって今川家は兄も同然。

兄が侵略されているのを、弟が黙って見ていると思うか?」


「今川家を侵略すれば、北条氏康公まで敵に回すことになると?」

「当然であろう。

勢いのない今川軍だけが相手なら楽だが……

戦上手いくさじょうずの氏康殿が率いる北条軍が加われば、厄介極やっかいきわまりことになるぞ?」


「信玄様の読みは、相変わらず鋭いですな……

それがしも北条軍の強さを重々承知じゅうじゅうしょうちしております」


「前田屋よ。

重々承知していて、それでも侵略せよとわしをあおるのか?」


御意ぎょい

既に、北条軍を『封じる』手を打っておりますゆえ」


「何っ!?

一体、どんな手を使った?」



【次話予告 第二十四話 最強の武力とは何か】

鉄砲は、弾込めに時間が掛かるという難点こそあるものの……

『最初の一発』を避けることは絶対にできません。

鉄砲隊へ向かって進むということは、自分の生死を相手の射撃の腕前に任せるのと同じことなのです。

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