4 出立

 イアンが蟄居ちっきょしているのは、騎士団の建物にある、彼の自室だった。


 彼は星の騎士セレスダ選抜での健闘と、これまでの努力と忠誠心を認められ、王太子の側近として仕える立場にあった。イアンと王太子は年齢も近く、主従とはいえ友人のような関係性であったと認識している。ヴァンで言うところのエレナが事故に遭い、その責を問われ、蟄居していると考えると、その心中は想像に難くない。


 扉を開けば、機能的で質素な印象の部屋の真ん中で、イアンが蒼白な顔をしてソファーに沈んでいた。


「イアン」


 声をかけられ、やっと客人に気づいた様子で、彼は顔を上げる。王宮の内外にまで評判高い整った目鼻立ちはそのままだが、しばらく会わないうちにかなりやつれた様子である。普段は輝くばかりの銀色の髪も、少し伸びて乱れた印象だ。


 彼はヴァンに気づくと安堵したように少し表情を緩めたが、次いで星の姫セレイリの姿が目に入ると生真面目にも腰を上げ、拳を胸に当てて深く礼をした。


星の姫セレイリ。お戻りでいらっしゃいましたか」


 エレナは頷き応えてから、イアンに着座を促す。それから自身も向いに腰を下ろし、隣にヴァンを座らせた。


「イアン、ひどい顔色だわ。ちゃんと食事はとっているの」

「この状況では、食事も喉を通りません」


 あえて軽い調子で笑ったイアンの心を慮ったのだろう、エレナは口元で無理に微笑んだ。


「あなたがやつれると、世の女性が悲しむわ」

「そのお言葉をそのままお返ししましょう。あなたもかなりお疲れのようです」

「え、私は大丈夫」


 エレナの顔色の悪さも大概なのだが、自覚がないのか認めるつもりがないのか。彼女は首を振り、控えめな仕草でイアンの顔を覗き込んだ。


「イアン、それよりその……殿下の件だけど。あなたは、大丈夫?」


 イアンは虚を衝かれた表情になった後、すぐに取り繕い、強がる素振りを見せる。しかしそれも長くは続かず、彼にしては珍しく弱音を吐いた。


「大丈夫……と言いたいですが、この通りです。あの日、どうにかして殿下を危険からお救いすることができたのではないかと、悔やまれてなりません」

「気持ちは分かるけれど、自分を責めても仕方がないわ。今は前に進まないと」


 微かに震える声で、厳しい言葉を告げるエレナ。彼女個人としては悲しみに暮れたいところだろうが、星の姫セレイリとしては、己の心を律し星の民を鼓舞しなければならない。イアンも星の姫セレイリの葛藤を察したようで小さく頷いた。


「反体制派の仕業だと思う?」

「間違いないでしょう。あなたも、北で奴等に襲われたとお聞きしました。ご無事でよかった」


 先ほどのヴァンの気休めなど一刀両断にされてしまうが、無理もない。エレナが襲撃されたのと同時期に、王太子が事故に遭う。状況証拠からも、その筋以外は考えづらいものがあった。


「反体制派の目的は何かしら」

星の姫セレイリと王太子を狙ったとすれば、聖サシャ王国の体制を揺るがすことでしょう」

星の姫セレイリにはいくらでも代わりがいるのだからあれは陽動で、おそらくこちらが一番の目的だったでしょうね。私が襲われた後、黒岩騎士団から街道の治安調査に人員が駆り出されてしまったのだし」

「次に狙われるのは、畏れ多くも陛下でしょうか」

「もしかしたら。それと、陛下に忠誠を誓っている波の王オウレスも、反体制派からすれば排除の対象だわ」


 自身の存在など些末なものと言い捨てたエレナから視線を逸らす。彼女が自身の存在を、この国を維持する歯車の一部として割り切っている様子は、その命を守る星の騎士セレスダとしては見るに堪えない。しかしそれはもう、とっくの昔に受け入れたことだった。


「陛下もそれは気づいておられるはずだから、警備は徹底しているでしょうね。とすれば早く反体制派を取り締まらないと。ねえヴァン。あなたは例の刺客と話したはずよね。……そろそろ話して欲しいの。あの日あなたはどこへ行こうとしていたの」


 突然水を向けられて、ヴァンは息を吞み瞬きを繰り返す。


 何の話かと無意識に身を乗り出したイアンと、問い詰めるような調子はないというのに、秘密が許されぬように周囲を固めてきたエレナを代わる代わる見遣り、ヴァンは小さく息を吐く。


「君には勝てないな」


 もとより、墓場までの秘密とするつもりは毛頭なく、エレナに告げていなかったのは、不確かな情報で動揺させることもないと思ったからで、いつかはもちろん説明する予定だった。


 ヴァンは簡単に例の狂人が述べた地名を告げて経緯を説明した。無論、星の姫セレイリの運命に関する話題は避けて。


「それじゃあ、そのシャポックラントって場所を探せば、手がかりがあるかもしれないのね。図書室に行って地図でも見に行く?」


 しかしそれには及ばない。意外なところで手掛かりが出る。


「待て、シャポックラントと言ったか」


 眉間に皺を寄せるイアンに、ヴァンは首肯した。


「うん。もしかして知ってる?」

「いや、記憶は曖昧なのだが、確かうちの領地に似たような名前の町があったような」

「オウレアスの町の名前じゃないのか」

「響きだけ聞けば、北方の感じがするわ」


 ヴァンとエレナがそれぞれに口にするが、イアンは記憶を掘り起こしているらしく、答えはない。しばしの思案の末、彼は溜息交じりに言った。


「我が家の領地は北の国境に面していますから、北方風の地名はいくつもあります。ただ、これ以上は記憶に残っていないので、屋敷から所領に関する文書を持って来させましょう」



 数日後、マクレガー家の使いが届けた資料によれば、イアンの記憶は概ね正しく、シャポックラントは今でこそオウレアスの領土となっているものの、十年前の岩波戦争以前までは、マクレガー家の領地であったようだ。


 もともと痩せた土地であり、零細な町であったため、戦中に奪われ廃墟となった後、領有権を争われることもなく、ただ月日が経つがままになっていたようだ。


 シャポックラントの場所が分かったところで、一つ大きな問題がある。日蝕の儀が十六日後に迫っているのだ。往復の日数だけを考慮すれば式典には間に合うが、少しでも問題が起これば、星の騎士セレスダが日蝕の儀に不在となってしまう。


 王太子が臥せり、星の姫セレイリがオウレアスで襲撃されたため、成人の儀は延期となり、日蝕の儀も略式で行うことになったのだが、それでも星の姫セレイリの片翼である騎士が不在で祭儀を執り行うなど、前代未聞のこと。


 こうした状況下ではあったものの、結局エレナはヴァンに、シャポックラント行きを命じた。ヴァンも、それが正しい選択だと同意した。二人に意見の相違があるとすれば、一点のみ。


「黒岩騎士の一小隊を引き連れて行くのがいいと思う」

「いいや、それには及ばない。こんな状況で、聖都を手薄にするわけにはいかないよ」

「でもあなたに何かあったら、それこそ星の宮は大混乱になるわ」

「大丈夫。日蝕の儀があるんだから、少し視察したらすぐに帰ってくるよ」

「すぐに戻れば安全って、何を根拠にそう言っているの」


 互いに一歩も譲らぬまま議論は平行線を辿り、時間だけが過ぎていく。


 翌早朝、結局は本人の意思を尊重することにしたエレナがヴァンを一人で行かせることを決意すると、まだ日が低い時刻に、星の宮から王宮外部に繋がる道の上で、しばしの別れの挨拶が交わされた。


 ヴァンの希望もあり、盛大な見送りはなく、エレナとその乳母であったメリッサ、それに護衛の騎士が数名だけ。イアンは外出が許可されず、訪れることはできなかったようだ。


 空は薄雲に覆われ、少しすれば小雨が降り注ぐかもしれない。外套を掻き合わせ、手の甲に当たった冷たい感触で、襟元に星の騎士セレスダの徽章が付いたままだと気づく。オウレアスに近づくのならば、今回も外しておいた方が良いだろう。


 ヴァンは慣れた手つきでそれを取り、しばし逡巡してから、エレナに手渡した。彼女はなぜか息を吞み、目を吊り上げた。


「持って行きなさい。外して良いだなんて言ってないわ」

「だけど、オウレアスを忍びで訪れるなら、無駄な刺激はしない方がいい」

「じゃあ見えないところにしまっておいて」


 冷たく言ってから直後、思い直したように真っすぐな視線を向けてくる。黄金色の瞳が不安そうに揺れていた。


 心の底には不安が巣食っているらしく、少し突けば泣き出しそうな顔をしている。ヴァンをシャポックラントに遣わすのはエレナだというのに。彼女は、自分の責務の前では心を押し殺すのが常であったが、それを隠すのは決して得意ではなかった。


 永遠の別れでもなかろうに、エレナの様子に急に胸が苦しくなり、自然と腕が伸びる。柔らかな髪に指先が触れた時、自分の心にずっと前から堅く積み上げてきた堰が崩れる錯覚にいたり、慌てて腕を引っ込める。怪訝そうにエレナが首を傾けたので、たまには臣下らしくと、膝を折って誤魔化した。


 白い手袋に覆われた細い指を取り、軽く口づける。女性の主君に対する自然な仕草であったはずだが、エレナは意外そうにやや眉を上げたようだった。それに気づかぬ振りをして、ヴァンは黄金色の瞳を見上げる。


「日蝕までには必ず戻ります。あなたの隣に立つ光栄は他の誰にも渡しません。女神の祝福をいただけますか?」

「……星の女神セレイアの御名において。女神の祝福を授けます」


 いよいよ唇を噛み泣き出しそうなエレナに背を向ける。たかだか半月の別れだ。不穏な状況下ゆえ、互いに不安は隠せないが、滅多なことはないだろう。


 馬具の点検はぬかりない。雨が降り出す前に、雨雲を抜けよう。幸い、北に架かる雲は王宮の上空よりは薄い。ヴァンは馬を駆り、再度オウレアスへと向かうのだった。

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