第44話 いざ戦場へ


国境よりサラマンドとオンディーヌを分断するように流れる大河。


断絶線デッド・ライン』は五百年前の両国による戦争の深い傷跡によりできた渓谷に海水が流れ込み作り出された海峡だ。


両国を繋ぐ長く大きな架け橋にはそれぞれの関所があり、常に互いの行動を見張り睨み合いが続いていた。


しかし、ついにサラマンドがその均衡を破り攻め入った。


両サイドは海に囲まれているため挟み撃ちという戦略は国境周辺を制圧するには大いに役立つ。


瞬く間に架け橋と近隣の街を制圧したサラマンド軍は、軍事戦艦ボルケーノを使い左右からも進軍し、制圧した町を拠点に押さえ込もうとするオンディーヌ軍の背後を取るつもりのようだ。


なぜそのままオンディーヌ城へ攻め入らず国境付近の制圧にこだわるのか。


それには理由がある。


巨大な架け橋の真ん中に鎮座する記念碑の存在だ。


記念碑は両国繁栄時代に双方の協力により建てられたもの。


この記念碑を手中に収めることはサラマンドにとって非常に大きな意味を持つ。


記念碑は両国の繁栄を祈ったものだが、他者が聞けば両国にとって憎しみの対象でしかない創造物など破壊してしまえばいいと思うかもしれない。


だがサラマンド軍にはそれが出来ない。


何故ならそれは、サラマンドは五百年前の栄華をどこかで憂いており、両国の関係を修復し繁栄を取り戻したいという気持ちだからだ。


恐らく、オンディーヌにとってもそれは同じだろう。


この五百年間睨み合いを続け、記念碑のある架け橋に危害を加えようとしなかったのが何よりの証拠だ。


そうでなければこれだけ剣戟が混じり合う橋の上で記念碑周辺だけを避けるような動きにはならない。


宗教じみたものかもしれないが、奇跡に近いこの暗黙の理念が両国を再び繋ぎ救うことのできる最善にして唯一の一手になりうるかもしれない。


とはいえオンディーヌ軍はサラマンドに比べても明らかに数で不利。


窮地であることは間違いない。


恐らく国境の防衛に回せる人員が足りないのだろう。


その証拠に容易くサラマンドの進軍を許している。


当然アリス女王もサラマンドの動きは把握しているはずだ。


やはり正反対に位置する『大聖典』への対処でそれどころではない、か。


「ぎゃあ〜〜!! 怖い怖い怖い!! 死んじゃうよぉーーー!!」

「少し黙っててくれ。今のうちに戦況を把握しておきたいんだ」


まったく。


うるさくて集中できない。


せっかくスカイダイビングを堪能しているってのに。


「ほら下を見てみろよ。国境がよく見えるぞ。ここから見てもくっきり分かるなんて本当にでかい河なんだな」

「むりむりむりーーーー!!! 早く終わってお願いだからぁーー!!」


それにしても雲を掻き分けながらの落下はなんとも爽快な気分だ。


おまけに魔法の補助もない生身のダイブ。


そのスリルも一際というものだ。


「何でこんな状況で落ち着いていられるの?! 頭おかしいよ!!」

「そんなことないだろ。少しはローズたちを見習ったらどうだ?」

「ヴィンセント様〜♪」


俺とフランの横では一緒に地上へ向かい落下するローズたちが笑顔で手を振っている。


彼女たちの足元には水色に光る魔法陣が浮かんでいた。


ローズたちはハンナの支援魔法により極限まで空気抵抗を抑えられているだけでなく、魔法陣が床の役目も果たしているため落下している感覚がほとんどないのだ。


「あっちはズルじゃない!! こっちは生身だっての!!」

「心配しなくても後でちゃんとアレと同じ魔法使うから大丈夫だって」

「今すぐ使ってよ?!」


抱かれたフランの顔は涙でぐっしょりだ。


「そんなことしたらせっかくのスリルが台無しだろ? それにさ、昔からスカイダイビングに憧れていたんだ」

「勝手にあなたの趣味に巻き込まないでくれないかな?!」

「そもそもハンナの魔法には人数制限があったんだ。それに俺と一緒に降りる人候補に真っ先に挙手したのはフランだぞ」

「こんなことになるとは思わなかったの!! うわぁ〜ん! 騙されたぁ〜!!」


腕の中で必死にもがくフランを何とか押さえつけ、左手で丸を作り眼下の地上に注意を戻す。


両サイドから攻めているのはレギオン『神の息吹グレイス・ヴェール』と『神焔の駒インフェルノ』。


ということはグレゴリーとゼノンか。


四大レギオンのリーダーが二人。厄介だな。


そして何よりも厄介なのが国境を真っ直ぐ突き進んでいる『聖火セイクリッドファイア』。


間違いなくこの中で一番の難関になる。


聖火セイクリッドファイア』は四つのレギオンをまとめる言わばレギオンのトップリーダー。


これを阻止しない事にはオンディーヌに勝利はないと言っていい。


だが、そううまくもいかないだろう。


リーダーを務めるユリウス・イェリニク。


ユリウスの強さ、そして恐ろしさは誰よりも知っている。


果たして彼を止められる強者がオンディーヌにいるか・・・


しかし妙だ。


どこを探してもユリウスのマナが察知できない。


代わりに同じような強大なマナが真っ直ぐ進んでいるのを感知した。


俺の最もよく知るマナだ。


「ヴィゴー・・・」


突然、地上から攻撃の余波が飛んできた。


魔法による流れ弾を悉く弾き落とし発動先を探す。


「想像以上に激化しているな」


次の瞬間、巨大な炎が俺たちとローズたちを分断した。


「きゃあーーー!!?」

「皆んな!!」


伸ばした手は空を掴む。


「くそっ!!」


地上を目前に、俺たちは衝撃に吹き飛ばされ離れ離れになったーーー。



両国がぶつかり合う真ん中を避け、比較的落ち着いているエリアに着地する。


至る所で剣戟や喧騒、魔法による爆発音が響き渡っている。


大地は僅かに振動していた。


「油断した。離れ離れになるとは」

「大丈夫かな。皆んな・・・」

「そうだな。無事だと良いけど」

「ここはどの辺りなの?」

「一番戦火の激しい中心からやや南だな」


目を閉じマナを感じ取る。


ローズとハンナは西側、シルヴァーナは東側か。


随分離されたな。


これだけ激しい戦乱の中だ。


合流するのは容易ではないか。


しかし、まるで誘われたかのような別れ方だった。


皆のことが気になるが今は信じるしかない。


「ごめんな。すっかり巻き込んでしまった」

「何言ってるの。あなたのせいじゃないよ」

「思えばずっと俺の都合だったなぁって思ってさ」

「私は全然へーきだよ。あなたがいればなんでも」


ヴィゴーが迫り、そこかしこに猛者が溢れるこの状況でその笑顔。


「相変わらず根拠のない自信だな」

「えへへ。私の取り柄だからね」


フランには敵わないな。


「心配しなくていい。何があってもフランだけは必ず守ってみせる。命に変えても」


フランはぴょんと俺の前に立ち、ビシッと指差した。


「私はフェルノスカイ家の令嬢、フランチェスカ・フェルノスカイよ! 甘くみないでよね!」

「そうだな。そうだった」

「もう! 忘れてたの?」

「令嬢らしからぬ言動だったからつい」

「私だってやる時はやるのよ!」

「知ってるさ」


フランは決して弱くない。


実際Aランクの中でもかなり実力があると思う。


正直Sランクじゃないのが不思議なくらいだ。


まあ、彼女の性格からなかなかそうは見えないが・・・


秘めた潜在能力は計り知れない。


っと、それより俺たちも人のことを心配している場合ではない。


ここは戦場。


何より今は眼前の脅威を取り除くのが先決だ。


「ね、ねぇヴィンセント。このマナ・・・」

「ああ」

「こんな大きいんじゃ私でも分かるよ」


辺り一帯で桁外れのマナを放つ存在がこちらに向かっている。


俺たちを知っているかのような迷いのないこの動き。


そして微調整を加え続けるマナコントロール。


疑いようのない強者。


頭の片隅で可能性は考慮していたが、ないだろうとタカを括っていた。


いや、考えないようにしていた。


サラマンドと対立する上で最も出会いたくなかった相手の一人。


「やはり。あなた様はそちら側につきますよね」

「俺を捨てたサラマンドと違ってシルフィードとオンディーヌには恩義があるからな」


何もない場所に人一人分、隠蔽されたマナによる空気の歪みが生じている。


「このような事態を招いたのは全て私の浅慮が原因。あなたの力で裁いていただきたい」


誰もが釘付けになる戦場に似合わぬ黒き華。


地面を踏みしめる度に咲き乱れるように散るマナの輝き。


まるでマナが喜んでいるかのように煌めいては消えていく。


その堂々とした姿はまさに豪華絢爛。


「出来れば遭遇したくなかったな。ウェンディ」

「私も同じですよ。ヴィンセント様」


ウェンディは一定の距離を保ったところで立ち止まった。


「私たち、敵じゃないよね? 戦争のことを知らせてくれたのもウェンディさんだし。何も戦わなくても・・・」

「理由はどうあれ今の私はサラマンドの魔導兵として。『円卓の騎士ラウンド・テーブル』のリーダーとしてここにいます。戦士として戦場に立つ以上、目の前の相手を一掃するのが私の役目」


ウェンディが手をかざすと、美しい輝きと共に透き通る金色の魔導書グリモワールが顕現した。


彼女が目の前をなぞるようにもう片方の手を滑らせると、やがて魔導書グリモワールは自身の身の丈以上もある長鎌へ変化し、彼女の髪が月光のような銀髪へと変わっていく。


放たれるその圧倒的なマナだけで息を止めてしまいそうになる迫力。


刺し貫くような。どこまでも洗練されたマナ。


ここまで鮮明かつ純粋なマナを持つ魔導士を他に知らない。


「この先へ進むのなら、私を倒すしかありません。お覚悟を」


己の責務を全うしようとする彼女と対照的に、俺たちは不安と迷いを残したまま身構えた。

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