担当さんと弾丸ツアー

第19話 担当さんの剣と、作家の盾

 翌日、午後は叔父さんの店で未希の宿題に付き合って、夜は代々木上原のレストランで夕樹乃さんと夕食を共にした。彼女を遠慮なく食事に誘えるようになって嬉しい。

 僕らは食事をしながら、お母さんの転院についての相談をしていた。病状を詳しく知らない僕は正直何も手伝えることはない。せいぜい付き添う程度だろう。

「それじゃあ、明日は転院先の病院に一緒に行こう。その後でお母さんのお見舞いも」

「ありがとう。玲央さんが来たら、お母さん喜ぶわ」

「なんで?」

「そりゃあ、お母さんも貴方のファンだもの」

「そうなの。嬉しいな。……で、お母さんには何て」

「恋人でいいんじゃない?」

「じゃあ、それで」

 レストランを出た僕らは、夜道をてくてく、となり町の駒場まで、手を繋いで歩いた。

 まだ九月初頭。夜とはいえまだ蒸し暑い。

「こんなの初めてね」

「うん」

「嬉しい」

「……良かった」

 自宅のエアコンをリモートで入れておく。帰る頃には少しは冷えているだろうか。なまじ広いリビングのせいで、冷えるのに時間がかかる。

 こんな風に夕樹乃さんと夜の散歩が出来る日が来るとは思わなかった。嬉しいというより、まだ夢でも見ているような気分だ。

 でも、逢瀬を重ねるたびに、少しづつ悲しくなっていく。

 僕は彼女に何一つ約束が出来ない。それがたまらなく苦しい……。

 見上げれば、都心の曇り空が、地上の灯りを吸い込んで赤黒く光っている。


 その晩は僕の部屋で二人で過ごした。

 四年分の空白を埋めるには、まだぜんぜん足りないけれど。

 このマンション、本当は夕樹乃さんを迎えるために買った物件だったのに、もっぱら迎えてるのは未希ばかり。

 こんなはずじゃなかったのに。

 こんなはずじゃ、なかったのに。


     ◇


 翌日、僕らは転院先の獅子之宮総合病院を訪ねた。先に受け入れできるかを確認するためだ。この手順を逆にすると、最悪転院不可能となる。都心の病院で夕樹乃さんの勤務先からも近く、現在入院中の病院よりもお見舞いしやすいと思う。

 入院相談窓口で転院したい旨を申し出るとすぐに受付してくれた。嫌らしい話だが、こういう場合には、いかにも金を持ってそうな格好で行くとスマートな解決に繋がることが多い。しかもここは金に糸目をつけなければ最高の医療が提供される病院だ。そりゃあ金の臭いにも敏感だろう。

 母上の病状などの説明は全て夕樹乃さんが行ったが、思いのほかすんなり病室のキープが出来そうで、医師やスタッフも転院の成功を祈ってくれた。まずは第一ステップ完了。


 第二ステップは現在入院中の病院の方だ。主治医に診断書をスムーズに書いてもらうのがゴール。これがないと後でとても面倒なことになる。

 都下にある公立病院にやってきた。ここに夕樹乃さんの母親は入院していた。外観は老朽化が進み、色々難しそうだなと感じる。コスト的にも無理をしているのだろう、入ってみると、院内の設備や什器類も古いものが多い。

 決して従事者に不満があるわけではないのだが、物事には限界がある。それが公営ともなればなおのこと。病室を出入りするスタッフを見るに、むしろ環境に対しては十分手厚いのではと感じた。だが……。

 中層階の相部屋に夕樹乃さんの母親はいた。

 彼女の後ろについて僕も入室した。

「お母さん、お見舞いに来たよ」

「いらっしゃい……そちらは?」

 ぺこり、と頭を下げる。

 と、お母さんの表情がぱっと一変した。

 すかさず夕樹乃さんが人差し指を立てて、しーっと、お母さんを注意する。

「お忍びだから」と夕樹乃さん。

 再度ぺこり、と頭を下げた。

 ベッド脇に僕の本がたくさん並んでいた。

 これ君がもってきたの、と尋ねると、お母さんが自分で病院の売店で買ったのだと。こんなところでも売ってるんだな、と少し驚いた。

 お母さんが夕樹乃さんに耳打ちする。どうやらサインが欲しいらしい。

 まかせろ、とハンドサインをした僕は、自分の本をまとめて、その階にある休憩所に持っていった。二人で話したいこともあるだろうし、僕はただのお邪魔虫だしで。

 大量の本を抱えて廊下をてくてく歩いていると、数名のナースに気づかれたけど、しーってやって黙ってもらった。そもそも、ここは病院だし、プライベートを言いふらしていい場所でもないしね。とはいえ、早々にお母さんはこの病院を出ていくのだけど。

 サインを書き終えて病室に戻ると、なんとお母さんがベッドの上で泣いて正座をしていた。何事かと思ったら、いきなり土下座されてしまった。

「えええ……あの……」困惑しかないのだが。「顔上げて頂いてもいいですか」

(なんとお礼を申し上げればいいか)と小声のお母さん。

 会話が全部ささやきだ。相部屋って面倒だな。向こうに行ったら絶対個室にするぞ。

(いえ、今はお体を治すことだけ考えてください)

(じゃあお母さん、わたし主治医の先生と面談してくるからね)

 僕とお母さんはお互いコメつきバッタのようにペコペコ合戦をして、その場を後にした。まだチャットで会話したほうがマシだこれは。

 次に、夕樹乃さんにくっついて、主治医の診察室を訪ねた。普段は彼女が一人で面談しているのが男を連れてきたので、若い先生は少しぎょっとしてた。どうもナースが言いふらしたのか僕の素性を知っていた。用向きを尋ねられたので、僕はただ、お見舞いに来ただけです、と答えた。多少伺うような目で見られたけれど、ここでそれ以上の情報が必要とも思えないしで。

 転院の話を持ち出すと、むしろその方がいいとすら言われて僕らは胸を撫で下ろした。転院先があの病院ならなおのことだと。診断書もあっけなく手に入れ、あとは日取りを決めるだけとなった。僕は早速、先方の病院に電話をして、上手いこと話をまとめたと告げると、いつでも連れてきて下さいとのことだった。僕も夕樹乃さんも週末は完全に動けないから、善は急げで明日転院することにした。

「こんなにとんとん拍子に行くとは思わなかったわ。ありがとう、玲央さん」

 休憩所で一服してると夕樹乃さんが目に涙を浮かべて言う。僕は指先で彼女の涙をすくった。

「そんな……。むしろ待たせてしまって申し訳なく思ってるんだけど」

「玲央さんが悪いんじゃないわ」

「分かってる。でも……ごめん」

 僕らは病院の受付で退院手続きをし、明日までの入院費を清算した。やってみると案外あっけないものだな、と思った。

 僕は彼女が長年繋がれていた鎖を叩き切った剣だ。

 その鎖に繋がれた原因の半分は僕らの家の因縁ではあったけど、お母さんを生きながらえさせ、彼女の社内での立場を安定させた、表と裏を持った鎖だったけど。僕がその鎖を断ち切るということは、全てを背負うという覚悟を伴う。だけど。

 背負う力をくれたのは彼女で、だからその力を彼女のために行使するのは当然のことだし……ああ、ぐるぐるしてきた。

 彼女はどんな思いで、この病院に何年も通っていたんだろう。その切なさを想像すると彼女が不憫だし、自分の不甲斐なさが情けなくて、腹が立った。

 あの夜、島本が夕樹乃さんに浴びせた罵声『この役立たず』ってのは、実は僕のことだったんじゃないかとすら思う。

 あんな呪いの言葉を夕樹乃さんに浴びせるなんて、やっぱり許せない。

 夕樹乃さんは断じて役立たずなどではない。役立たずなのは奴と僕だ。

「この後どうする? 何か準備とかあれば付き合うけれど」

 病院前でタクシーを待つ間に次の行く先を決めておこうと思った。

 すると夕樹乃さんが僕の手に指を絡めてきた。今にも泣きそうな顔だ。

「そばに、いて」

「うん……。じゃあ、うち来る?」

 どのみち人目を憚って過ごせる場所なんて、そう多くはない。自宅か、都心の大きいホテルくらいだ。

 彼女はこくりとうなづいた。

 長年の重荷が降りて、感無量というやつかな。

 救ってあげられて、本当に良かった。

 四年もかかってしまったことが悔やまれるけど。

 都下の病院から駒場まで少し距離があるので、僕は車に乗り込むと、帽子をかぶって髪を詰め込み、サングラスを掛けた。車の中というのは、あんがい見られるものだから。

「担当さん的に、僕が髪を切ったら困る?」

「あー……ちょっと困るかも」

「だよね。別に好きで伸ばしてたわけじゃないから、いつ切ってもよかったんだけど、なんかトレードマークにされちゃったから切れなくなっちゃった」

「え? 好きで伸ばしてるのかと思ってたわ。私、まえから貴方の髪を三つ編みにしたくてたまらなかったのよね。今度やらせて」

「ま、まあ、いいけど……じゃあ、帰ったら」

「ええ。楽しみにしてる」

 何故か僕の髪を三つ編みにする約束をしてしまった。クセが付かなければいいんだけど。少し心配だな。

「あ! 夕樹乃さん、そういえば、奨学金の返済も残ってるんだよね」

 あぶないあぶない。忘れるところだった。

「それは自分で払うから……」

「むー……。また僕に押し倒されたいの?」

 さすがにこういう問答はもう終わりにしたい。自分で言っててあまりに酷い。

「……じゃあ、そちらも、おねがい、します」

 顔赤らめていわないでぇ……。

「よろしい」

 僕は彼女の手を恋人つなぎした。


     ◇


「本当にありがとう、玲央さん。これで一安心だわ」

 翌日、新しい病院に無事お母さんを送り届けた僕らは、夕樹乃さんの職場である出版社に向かうため、病院前からタクシーに二人揃って乗り込んだところだ。なお僕の髪の毛にクセはついていない。

「安心するのは、お母さんの病気が治ってからじゃないかな」

「まあ、そうだけど。私一人じゃ何も出来なかったから」

「反省した?」

「しました」

「ホント?」

「ほんとです」

「ならいい」

 僕は彼女の肩を抱き寄せて、頭をこてんと彼女に預けた。昨日の晩、さんざん彼女を抱いたのに、また欲しくなってきてしまった。今晩も連れ帰ってしまおうか。


 出版社に着くと、僕だけ入場証をもらう手続きで足止め。夕樹乃さんはエレベーターホールで待っていてくれた。二人揃ったところで、彼女の職場である文芸レーベルの編集部にやってきた。

「お疲れ様です! 山崎です!」

「これはこれは山崎先生、わざわざおいでにならなくても……」

 ヤニ臭い編集長が寄ってきた。

 初手で大きな声で挨拶をすると、場のイニシアチブが取れると本に書いてあったので実行してみた。普段態度の大きい編集長が心なしか弱く見える。

「いつも岬さんに任せっぱなしですし、今回のツアーは急に決まりましたから僕もお手伝いしなければと思いましてね!」

 いつもは彼女の後ろに隠れてた僕だけど、今日は違うぞ。違うんだぞ。違うんだからな。

 僕の傍らで居心地悪そうにしてる夕樹乃さんの肩をがっしと掴んで、反対の手でサムズアップをしてみせた。

「あはは……そ、そうなんです~。書店さん用の宣材も作らないとですし~」夕樹乃さんが微妙なカンジになってるが、知ったこっちゃない。

「僕と岬さんで、このツアー絶対に成功させてみせますよ!」とイキリ散らかす僕。お前誰だよ。

「お、おお。強力タッグですな。よろしく頼みますよ」

 気圧されたのか、編集長はすごすごと自分の席に戻っていった。

 僕は夕樹乃さんにくっついて、彼女の席にやってきた。綺麗に片付いてるな……と思ったら、見覚えのあるマスコットが。

「夕樹乃さんも異界獣キッズ好きなんですか?」

「え、や、あ、その、……なんとなく、くじ引いてみたというか……」

 うちにダブリが山ほどあって、正直かなり持て余してる。近所でバザーでもあったら売りに行くか。

「そんなことより、ポスターのサイン入れお願いします。終わったら企画部に持ってって書店さんに発送してもらいますから」

「りょ」

 夕樹乃さんがポカンとしてる。しまった、未希のがうつってしまったぞ。

「うかい」

「あ、はい。じゃあ椅子どうぞ」と夕樹乃さんが隣の席の椅子を引っ張ってきて僕に勧める。枚数にして五十枚くらい。といっても店舗を五十か所回るわけじゃなく、一か所で数枚使ってもらうためだ。

 僕が爆速でポスターにサインを書き込み始めると、他の編集者たちが遠巻きに見物しだした。めったに会社に来ない僕が、いつものようにびくびくと夕樹乃さんの影に隠れもせず堂々と彼女の前にいるものだから、何が起こったのかと思っていることだろう。

 普段彼女がなんて陰口を叩かれているか、おおよそ分かっている。引きこもりの小僧を色香でたらしこんで成績を上げている魔性の女とか。島本がこうした陰口の発生源を裏で間引いて回っていた原因の半分くらいは、僕が表に出てこなかったせいだとは思う。夕樹乃さん、まじごめん。なので、今日みたいに彼女の隣で堂々としてやれば多少は陰口も減るんじゃないかと思って、こんな柄にもないことをやってるわけだ。

 と思ったら案の定、移動中のエレベーターの中で、

「玲央さん、今日どうしちゃったんです? 柄にもないことしちゃって」

「やっぱそう思う? 僕もそう思う」

「じゃあ何でよ」

「……君から島本の加護が失せるからだよ」

「加護?」

「こないだ、あれだけ痛めつけたから、今後は君に手を出さない代わりに、積極的に裏で保護しようともしなくなるだろう。だから、僕が後ろ盾にならないといけないと思って」

「やっぱり手荒なことしてたんですね」

「えーっと」

 足の裏に、くっと制動がかかり、ポーンと目的階に到着したチャイムが鳴る。

 すうっとドアが開くと、噂をすれば何とやら。目の前に島本が立っていた。

 奴はぎょっとして、この世の終わりみたいな顔で固まってたので、

「どけ」と、肩をどついてやった。実際じゃまだったし。

 きっと奴には僕が死神にでも見えていることだろう。それでいい。

 さいきん、弱いままじゃダメだと思って、強い男の振る舞いというのを学ぼうと思ったんだけど、そういう本ってあまりないから、困った僕は映画を見て勉強しはじめた。実践してみると、あんがい使えるもんだと思った。ただ、あまり乱用すると夕樹乃さんが引いてしまうので気をつけなければ……。

 企画部の部屋に到着。ここでも大きい声で挨拶を一発。みんな何事かと一斉に僕を見るのでかなり恥ずかしかった。でも夕樹乃さんのためにも慣れないと。ポスター渡すのは夕樹乃さんがやってくれたので、すぐ用事は終わったかに見えた。

 その時、一人の社員が僕らに近づいてきた。サイン会の担当者のようだ。

「ああ、丁度よかった。山崎先生、次の現場からテレビ入りますんで」

「は?」

 僕は耳を疑った。

「代理店に話したら面白いというんで各開催地の地方局を呼んで、ついでにキー局のワイドショーやバラエティで使ってもらおうって話になりまして」

 ええええええ……。

「それ……毎回来るんですか?」僕は一瞬、夕樹乃さんと顔を見合わせた。

「そうですね。宿泊先もタイアップです。ちょっとCMしてもらえればいいのでお願いしますよ」どおりで豪華だと思った……。

「はあ、わかりました」

「あと地域によっては、特産品や観光地のPRもちょこーっとだけお願いするかもなんですよね~」

「ついでが過ぎますね……」

「こういうのは連鎖! 落ち物パズルと同じ、連鎖で効果が倍倍になっていくんですから。詳しくは現地のテレビの方に聞いてください」

「は、はい……」

 企画部、剛腕とは聞いてたけど、とんでもない連中だな、マジで。なんだかすごーくイヤな予感がする……。

 ここで夕樹乃さんが割って入った。

「あくまでもサイン会が我々のメイン目的です。その邪魔になるような取材はお断りしますよ。よろしいですか」

 凛とした力強い声音。彼女が僕の盾となり担当者を制す。

 担当者が一瞬、目を眇めたが、僕も加勢して睨んでやったら、

「もちろんですよ。事前に段取りを送らせますので」

「ではこちらのメアドまで一度連絡をお願いします。現地で動くのは我々ですから直接やりとりさせてもらわないと、緊急時に困りますので。いまから代理店の担当者さんと先方と細谷さんCCで調整お願いします」夕樹乃さんが名刺を渡した。

「分かりました。すぐお送りします。まず今週末のから、多分もう出来てると思うのでPDF送らせます」

「お願いします。遅くなると先方も退勤されてしまいますから急いでお願いします」

「了解」細谷と呼ばれたイベント担当者は自分の席に戻っていった。

「うわあ……夕樹乃さんかっこいい……」

 彼女はやり手だとは思ってたけど、生で見ると迫力あるしカッコイイ。マジで惚れ直してしまう。そうか、ときどきウチの店で誰かとやり合ってたのはこういうやつなのか……。これでは僕が関係してなくたって敵は多そうだ。僕は最初から彼女に護られていたんだな。

「山崎先生、私こう見えて仕事できますのよ」

「お見事」

 夕樹乃さんが、めっちゃドヤって笑った。

 それはそれで可愛いな、と思った。やっぱり今日もお持ち帰りしよう。

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