一夕の夢(5)

 何とかお互い攻撃はしないという約束を取り付ける事に成功したルナは、まずはキースとレイラをレヴの部隊員が居る場所へと移動させた。

 一夜を共にすると告げると、二人は何故だか揃って一瞬慌てていたようだったが。誤解を招く表現はやめろ、とも言われたが。ルナには正直よく分からない。

 まぁ。それはともかくとしてだ。二人を安全な場所へと移動させれたのは良かったのだが。とはいえ。


「……流石に寒い、ですね」


 満天の星空の下、凍えるような冷気が吹き荒ぶ中で、ルナは収容所の屋上で周囲警戒をしながら呟く。

 隣にはくっつくようにしてレヴがいて、二人で一つの毛布にくるまっている状態だ。当初の予定では夕方には全て終えて撤収する予定だったから、野宿用のものはルナ達は何も持ってきていない。

 傍から見れば色々と際どい光景ではあるが、生憎この辺境の地には人間どころか動物すらも殆ど居ない。凍絶とうぜつの地に存在するのは、ただひたすらの静謐と、〈スタストール〉の大軍勢だけだ。


「そりゃこんな何もないところで、風に当たってちゃ寒いでしょ」


 少し呆れたような声が、如何にも寒しげに隣から聞こえてくる。


「まぁ。それはそうですが」


 ルナは苦笑したように笑う。とはいえ、ここは数時間前に〈スタストール〉が来襲したばかりの土地だ。周囲警戒を完全に解いて、ルナ達まで寝ている訳にはいかない。

 それきり会話は途切れて、二人の耳には驚く程の静謐と、ひゅうひゅうと吹き荒ぶ冬風の音だけが響く。

 ふと、空を見上げると、そこには満天の星空に、何か流れるものが見えて。


「あ……、流れ星……」


 気付かず、声が漏れ出る。無数に煌めく星々を背景にして、天頂から幾つもの煌めきが流れ落ちていた。


「……確か、小熊座流星群だったっけか」


 隣でレヴが呟くのを、ルナは驚きに目を丸める。


「よく覚えてますね」

「シャロと君の妹に、流星群の話は飽きる程聞かされてたからね」


 肩を竦めて笑うのを、ルナも釣られて自然と笑みが溢れ出る。確か、二人とも星座の図鑑なんかをよく読んでいたっけ。

 けれど。もう、そんな幸せな時間は二度と来ないのだと気付いて、ルナは静かに掌を握り締める。

 レヴの妹シャロちゃんは四年前に死んで、ルナ私の妹ステラは彼ら連邦軍の敵だ。そんな自分達が平和な世界で笑い合う事など許されないし、決して叶わない。

 流星群を見上げるながら、ふ、と真朱の双眸を細める。この世界はどこまでも無慈悲で、非情だ。

 国が決めたからには、連邦軍は討つべき敵であり、彼らも敵だ。たとえ、それが共に肩を並べて戦った人達であったとしても。――大切な幼馴染であっても。 


「今日、ありがとな」


 ふと、レヴが呟くように言うのを、ルナは聞く。指揮管制型ニーズヘッグの声の話だと分かるのに、少し時間がかかった。

 ――私が、彼に妹殺しをさせてしまった。

 そんな後悔が、ルナの胸中にはふつふつと湧き上がってくる。

 ぽつぽつと、レヴは言葉を紡いでいく。


「おれ、ずっと乗り越えられたと思ってたんだ。家族が――シャロが死んだこと」

「…………」

「でも、違ったんだ。ただの思い込みだった。何も乗り越えてなんかいなかった。そう思い込もうとして、自分の気持ちに決着もつけないままに、蓋をしようとしてた」


 だから、指揮管制型ニーズヘッグがシャロの声を発した際に、頭が真っ白になってしまった。立ち止まってしまった。

 彼の独白を、ルナはただひたすらに無言で聞く。あんなに可愛がっていた妹を、彼は目の前で殺され、そして、今度は自らの手で殺すことになってしまった。

 それが偽物だとしても、彼にとってその事実は変わらない。だから。せめて、話を聞くぐらいはしてやりたいと思って。


「おれ、シャロを見捨てて逃げたんだ。四年前。帝国軍が来てるのが聞こえてきて、怖くて。体中から血を流してるシャロを、おれは置いていったんだ」


 最期まで一緒に居てやることも、楽にしてやる事も。何もできなかった。

 そんな後悔がひしひしと伝わってきて、ルナは思わず目を伏せる。


「……その。ということは、写真とかは、」

「ないよ。何も残ってない……というか、ほんとに急だったから。何も持ってけなかったの方が正しいかな?」


 レヴの顔には乾いた笑みだけが浮かぶ。幼馴染にそんな顔はして欲しくなかった。


「ルナは? 家族写真とかはあるの?」


 訊かれて、ルナは自嘲に微かに口の端を吊り上げる。


「家族写真は、私も。ステラの写真は、部隊結成時に撮った集合写真を貰ったものだけです」


 ステラのぬいぐるみ以外は、全て家に置いてきてしまった。そして。その家も、今はどうなっているのかも分からない。

 恐らく、白藍種アルブラールの人が住み着いて、私達の写真なんかはとっくに捨てられているのだと思う。


「……こんな戦争、早く終わればいいのにな」

「……ええ。本当に、そうですね」


 守りたいから、討たねば奪われるからと、互いの大切なものを奪い合い、その果ての憎悪のままに殺し合う。そしてそれが波及して、より大勢の大切なものが失われていく。

 何も得るもののない、ただ、憎悪と悲嘆が増え続けるだけの戦争など。


「……少し、お願いがあるのですが。よろしいですか?」

「……内容によるけど。まぁ、聞くぐらいなら」


 ちらりと視線を向けられるのに、ルナはどきりと胸を衝かれる。燃え盛る炎のような、真紅の双眸。

 心を落ち着かせるように短く息を吸って、吐く。意を決して、口を開いた。


「今日。夜が明けたら、私達はこの収容所を今度こそ完全に爆破したいと思っています。これ以上の憎悪を広めないためにも。だから、」


 一拍置いて。ルナは決然と告げる。


「約束して欲しいのです。私達がここで何をしていたのか、また、貴方達がここで見たものを誰にも口外しないと」


 こんな惨劇を連邦が知れば、それは帝国に対する憎悪を煽り立てるまたとない大義名分となるだろう。そうすれば、この戦争は更に悲惨なものになる。本当に取り返しのつかない、どちらかが絶滅するまで続く地獄となってしまう。

 それだけは、絶対に避けなければならない。

 暫しの沈黙ののち、レヴは口を開いた。


「……分かった。この事は、誰にも言わない。約束するよ」


 その言葉に、ルナは微かに目を見開いて――にこりと、笑った。


「……ありがとう、ございます」

「ただ。〈スタストール〉が攻撃を仕掛けて来たってのは報告させて貰うからね? 流石に、今回の件を放置する訳にもいかないし」

「それは分かってますよ。私も、今回の件はハン――指揮官に報告するつもりですから」 




 そんな二人の指揮官の会話は、偶然目が覚めていたアルトの耳にも僅かながらも届く。

 なんだか妙に馴れ馴れしい二人の様子に疑問を感じながらも、アルトは特に考える事もなく再び微睡まどろみの中に意識を沈める。





  †





 翌朝。黎明の薄明るい空の下で、二つの部隊は雪原の中相対する。


「では、本件のことについては、くれぐれも他言無用で宜しくお願いします」


 銀髪赤眼の少女――ルナが、敬礼しながら帝国軍部隊を代表して言うのを、レヴは答礼を返して言う。


「戦争をこれ以上激化させたくないのは、おれたちも同じ思いです」


 予定時刻に起こした三人は、最初こそ困惑していたものの、その意図は十分に理解してくれた。

 あんな惨劇を、ただのプロパガンダにされて汚されたくないということも。この戦争が更に激化すれば、その先には地獄しかないということも。


「貴方達のこれからの幸運を、祈っています」


 真摯な瞳で、ルナは言う。お世辞でも遠回しな皮肉でもない、彼女の本心からの言葉。

 その真朱の双眸を、レヴは真っ直ぐ見据えながら応えた。


「おれたちも、大尉達がこれからも無事でいてくれたらと思ってます」


 澄み渡る薄明の空の下、互いの部隊員達は相手へと敬礼を送り合う。共に戦った仲間として、敬意と賞賛を言外に伝えて。

 暫くそのまま直立した後、レヴ達はルナ達へと背を向ける。振り向くのは東の、自らの部隊の駐屯基地がある方だ。

 ここから去ったら最後、彼らは再び討つべき敵となる。彼らは――ルナは帝国軍で、レヴは連邦軍だから。国が決めたならば、それは敵だ。討たなければならない存在でしかない。

 そして。それが。レヴが決めた、自分の運命だから。


『じゃあ、殿しんがりは任せたわよ』


 通信機越しにリズが言うのを、レヴは無言で頷く。リズを先頭にしてレーナとアルトが飛び去っていくのを確認した後、ちらりと、後方を見やった。

 次、会った時には、ルナは敵だ。たとえ、彼女が大切な幼馴染で、守るべき者のために戦っているのだとしても。

 意識を空へと向けて、レヴは魔力翼フォースアヴィスを起動する。瞬間、身体は宙へと浮かび上がり、背には制御し切れぬ魔力が赤い光の翼となって顕現する。


 ――次会った時には、ルナを討つ。そう決意して、レヴは黎明の東の空へと飛び立った。

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