一夕の夢(2)

 この近辺は収容所以外は雪原が広がるのみで、戦力配置には殆ど考えを凝らす余地すらもない。

 ひとまず唯一の狙撃担当のレーナは雪の中に伏せさせて、残りは各隊に分かれて左右に配置。レヴとルナは彼らよりも少し前方の中央に位置し、その雪原の中で〈スタストール〉の到来を待つ。二人が敵の動向を確認し、戦闘序盤の指揮及び敵攻撃の吸収を担うかたちだ。

 西の地平線に沈みかけた陽の光は赫々かくかくと燃え、蒼い夜闇に僅かに朱色を灯している。夕月夜ゆうづきよの空には、星の光が僅かに瞬いていた。

 冬に特有の物淋ものさびしさの中、一旦通信機を切ったらしいルナが隣で少し呆れたような声を漏らす。


「……ヴァイゼ大尉。貴方、本当に士官学校で教育を受けたのですよね」

「悪かったね。どうせおれは座学は万年ギリギリだったよ」


 今回の陣形及び作戦は、全面的にルナが計画を立案した。座学については、レヴは毎回合格点ギリギリで綱渡りをしていたのだ。実技が良かったから辛うじて学校に残れていただけで、そういう分野については彼女や他の戦隊員の方が優秀だ。


「最後にもう一度、〈スタストール〉の習性について確認をしておきたいのですけど。宜しいですか?」

「え? あ、うん。大丈夫……だよ」


 少し大人びた玲瓏の声に、レヴは戸惑いながらも言葉を返す。

 今は共闘関係にあるとはいえ、レヴとルナは敵同士なのだ。各隊の隊長である二人が妙に馴れ馴れしいのは良くないのだと判断しての態度なのだと、分かってはいるけれど。そんな状況でもないことは、分かってはいるけれど。

 けれど。

 どこか一線を引いたよそよそしい態度に、レヴは居心地の悪さが拭えない。六年前に別れて、二ヶ月前に敵として再会して。やっと、まともに話せる時間ができたのに。


「では、今から私が読み上げるメモに間違いや抜け落ちている箇所があれば、指摘してください」


 そう言って、ルナは胸ポケットから取り出した手帳を開いて読み上げる。


「〈スタストール〉は口や砲身に似た場所から魔力弾を放ち、彼らの攻撃対象は己に敵意を向けてきた人間に向く。また、核となるものが体内に存在し、それを破壊しない限りは活動を続ける。――――どうです? 合ってましたか?」

「うん。大丈夫。全部合ってるし、抜けもない」

「よかった。……では、あとは彼らが来るのを待つのみですね」


 鋭く赤い眸が、北斗七星の煌めく北の空を睨む。それを、レヴは少し複雑な面持ちで見やった。




『あの子達、ほんとに信用してもいいのかな?』


 レヴと帝国軍の白藍種アルブラールらしき指揮官の少女の居る位置から右側後方。〈スタストール〉の襲来を待ち構えるアルトとリズの通信機には、レーナの疑問の声が届く。

 まぁ。彼女の心配も理解はできるのだが。


「かと言って、今更辞めますとはできねぇだろ」


 最初の〈スタストール〉の福音ふくいんが観測されてから、約十五分。〈スタストール〉の移動速度から考えるに、そろそろ接敵する頃合いだ。

 人類をここまで追い詰めた敵が至近に迫っている最中、余計な敵対はこの場にいる全員の全滅を招きかねない。それだけは、何としてでも避けなければならない事態だ。


「少なくとも今、共闘を破棄するのは愚策でしかないわ。色々思うことはあるかもしれないけれど、我慢なさいな」


 リズが宥めるように言うのを、レーナはうーんと呻くような返事をするのが聞こえてくる。それに苦笑しながらも、アルトは四年前のことを少しだけ思い出していた。

 過ぎたことだと割り切ろうとして、けれどもやっぱりまだ捨てきれない、家族と故郷の過去だ。

 戦争で父が戦死したのち、女手一つで育ててくれた母は、帝国の急襲の際に榴弾の破片からアルトを庇って死んだ。心的外傷後ストレス障害PTSDの後遺症のせいか、あまり記憶には残っていないが。

 失意の中で、ふと、レーナのことが頭によぎったのは覚えている。お互いの父同士が軍の同期で、家族ぐるみで仲の良かった同年齢の少女。

 彼女の家は砲弾によって吹き飛ばされていて、瓦礫と化していた。そして。その中で。レーナは、爆死した妹の千切れた片腕を抱えて、悲嘆と絶望の中で泣いていたのだ。 


 その姿に、アルトはレーナを絶対に守ろうと。そして、もう二度と、大切な人は喪いたくないと強く思った。

 レーナが軍に志願すると聞いた際には、アルトは迷わず軍へと志願した。元々従軍は考えていたし、何より、帝国への復讐と憎悪に染まったレーナを、一人にしておく訳にはいかなかったから。

 そして。今。彼女は仇敵の白藍種アルブラールではないとはいえ、帝国軍人と肩を並べて戦うことを強制されている。嫌悪感も無理はないな、と思った。

 見据える北の宵闇の先、突如、何かが煌めくのが見えて、アルトは思考をそちらへと戻す。何かと思って目を眇めたと同時に、レヴの叫ぶような声が通信機に響いた。


『全員、福音ふくいんに備えろ!』


 そう聞こえた、直後。



「【■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!】」



 〈スタストール〉の福音ふくいんこえが、アルト達の耳をつんざいた。

 先程のよりも鮮明に、神々しく。それでいて悍ましさを感じさせる、本能的な畏怖を呼び覚ます宗教音楽アレルヤにも似た絶叫のこえ

 削れる正気を何とか堪えつつ、アルト達はレヴの指示を聞く。


『指示があるまで攻撃は控えろ。十分に引き付けてから、急襲する』


 〈スタストール〉は人間の位置が分かるとはいえ、視認するまでは大まかな場所程度までしか捉えられない。射程範囲内には数匹の〈スタストール〉しか入っていないから、効率的な撃破のためには今はまだ攻撃を加えられないのだ。

 作戦を考えたのは、言うまでもなくアルトとリズ、そして帝国軍の白藍種アルブラールの少女だ。確か、フォースター大尉といったか。

 雲にも似た速度で接近してくる〈スタストール〉の種類は、今回は三つだ。


 地面を駆けるのは、二種。先陣を突き進むのは、狼のような体躯にけれども白鉄の装甲を纏い、二対の赤い目と口元に両刃りょうばの紅いブレードを携えた猟狼型ハティの群れ。

 その後方から装甲楔形陣形パンツァーカイルで進撃してくるのは、全身を直角の装甲板でよろい、一○○ミリ砲を砲塔に収めた装軌車両の如き姿をした戦車型スコルだ。

 空を飛んで接近してくるのは、全幅一五メートルはあろう二対の翼を拡げる、大きなわしの容貌をした航空型フレスヴェルク。人類軍から制空権を奪い、航空攻撃を不可能にした白鉄の怪鳥。

 戦車型スコル猟狼型ハティの進撃する足音だけが鳴り響く中を、アルトとリズは無言で驀進ばくしんする〈スタストール〉へと〈ドラウプニル〉の照準を向ける。 

 ほどなくして、レヴの声が通信機に届いた。


『各員、攻撃開始!』




『――各員、攻撃を開始してください!』


 告げられた作戦開始の合図に、キースはおののきつつも、構えていた小銃の引金を引く。

 小気味いい銃声が耳を打ち、それと同時に銃口からは緑色に煌めく弾が射出される。魔力付与エンチャントによって火力と貫徹力を大幅に強化された、対〈スタストール〉戦争において抵抗の要であった魔術工学兵器の、その結晶。

 魔力付与エンチャント弾は直進し、猟狼型ハティの群れを抜けて戦車型スコルの車体下部を穿つ。が、当たり所が悪かったらしい。戦車型スコルは自壊せず、本来の戦車ならば覗き窓が付いているであろう位置から、二対の赤い目がぎょろりとこちらを見た。

 その無機質な灯りと目が合い、全身が竦む。

 主砲塔の砲身がこちらに向けられ、闇夜のそれよりも一層と暗く見える砲口が覗く。が火を噴こうとした――その時。

 上面から、一閃の弾丸が戦車型スコルを穿った。

 核を貫かれたらしいその戦車型スコルは瞬く間に火柱を上げ、砕けたらしい装甲の鉄片が周囲に弾けて戦車型スコルそのものが大きな対人散弾となる。死に際のその時すらも人を殺戮せんと暴威を振り撒く、圧倒的な殺意。

 呆然とするキースの耳に、聞き慣れない少女の声が通る。


戦車型スコルは私達で何とかする! 貴方達は猟狼型ハティを!』


 切羽詰まった、けれども頼もしい声音に、キースとレイラは口を合わせて返答する。


「――了解!」




 空から降り注ぐ緋色の弾丸の雨を躱しつつ、リズは戦車型スコルの上面から〈グングニール〉の弾丸を叩き込んでいく。

 対装甲ライフルの名に相応しく、鮮緑の弾丸は白鉄の装甲を容易く貫徹し、核に至って戦車型スコルの身体を自壊させる。乱戦にはなっていないから、爆発の余波には気を遣わなくていい。

 リズの更に上空では、単騎で航空型フレスヴェルクを翻弄しているアルトの姿が見える。生じた隙に、レーナの狙撃が航空型フレスヴェルクの核を貫き、自壊の炎が薄暮の空を刹那照らし出す。互いの腕を信頼しているからこそ為せる、完璧な連携。

 戦闘の合間、リズはふと北の地平線へと目を向ける。闇夜の中に、白金の巨躯が蠢いているのが見えた。黒い双眸を僅かに細めて、リズは呟く。


「……は頼んだわよ、レヴ」

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