第二章 払暁に咲く激情

払暁に咲く激情(1)

「ル、ナ…………?」



 掠れた声で呟かれた自分の名前に、ルナは思わず引き金を引く指が止まる。

 濡羽ぬれは色の黒髪に、燃えるような真紅の双眸。少女のような可愛らしい顔立ちをしているが、先程の声から考えるに男だろう。

 ふと、彼の首元を見ると、そこにはペンダントが煌めいていて。咄嗟に何なのかを察して、ルナは驚愕に目を見開く。息が詰まった。

 そのペンダントは六年前、ルナが連邦へと移住した幼馴染に贈ったものと同じものだ。鍵の形を模した、月長石ムーンストーンの。

 私の名前を知っていて、かつ、このペンダントを着けている人物。

 そんな人物は、連邦にはたった一人しかいない。


「レ……、ヴ…………?」


 そう。レヴ。レヴァルト・ヴァイゼ。

 六年前、国際情勢の悪化に伴い別れた男の子の名前だ。もう二度と会えることはないと、そう思っていた、大切な幼馴染の。

 真紅の瞳を見開いて、彼は狼狽えた様子で呻く。


「な、なんで……、きみ、が…………!?」 


 その言葉に、ルナは言い様のない激情が湧いてくるのを感じて奥歯をぐっと噛み締めた。“なんで?”。それを言いたいのは、こちらの方だ!


「あ、貴方こそなんで…………!」


 互いの瞳が深く絡み合い、引き金を引く指が恐怖で揺れる。夜闇の中に立ち昇る爆炎と硝煙の中で、二人はお互いを信じられない様子で見つめあっていた。

 誘爆したらしい弾薬が爆発する音が轟き、空気を震わせる。だが、それすらも二人の耳には届かない。

 なんで。何故、レヴが連邦軍になんか居るんだ。そんな疑問ばかりが募っては、ルナの脳裏を駆け巡っていく。

 呆然と見つめ合う二人の静寂を破ったのは、通信機に届いた仲間の声だった。ちっ、と舌打ちした後に、少女の冷然とした声が聞こえてくる。


『こちら〈スカーレット〉。……居場所がバレた。これ以上、ここからの援護は不可能だ』


 その言葉を聞いて、ルナはきっと真朱しんしゅの双眸を細める。……そろそろ、頃合か。


「了解しました。……では、現時刻をもって〈秋桜コスモス〉作戦は終了。各員、撤退を開始してください。〈スカーレット〉、貴女は私と一緒に後退の援護を」


 全員が了解というのを聞いてから、ルナは通信を切断する。再び、眼前に立ち尽くすレヴの姿を見つめた。


「…………レヴ」


 目を細めて、ルナはぽつりと彼の名を呟く。もし、彼が連邦軍だったとしても、今は敵だ。殺らなければ、こちらがやられる。

 でも。今の彼にこちらを攻撃する意思はないのだろう。その証拠に、彼の手に握られていた拳銃の銃口は地を向いていた。

 もう、二度と彼とは戦場で出会いたくない。悲痛な願いを胸中で呟きながら、ルナはその場を去った。




  †




 ルナが目の前から立ち去ったあとも、レヴは呆然とその場に立ち尽くしていた。今、目にした光景が、何一つ信じられなかった。現実だとは思えなかった。


「レヴ! 居るなら返事をしろ!」


 後方から聞き慣れた男の声が聞こえてきて、レヴはハッとして振り返る。まだ、夢の中に居るような気分だった。


「…………!? レヴ!」


 目が合った途端、アルトは崩れた建物の傍から一目散に駆け寄ってくる。呆然と立ち尽くすレヴを、彼は精一杯に抱き締めた。


「良かった……! 無事だったんだな……!」


 痛いぐらいに抱き締めてくるアルトに、レヴは苦笑する。あれぐらいならば、別に避けれるのは知っているだろうに。

 瓦礫の陰からこちらを見ていたリズが、肩を竦めて苦笑する。彼女の手には拳銃が握られていて。恐らく、周囲警戒をしているのだろうなとレヴは思う。


「ったく、大袈裟すぎるのよ、貴方は。レヴならあれぐらい避けれること、貴方が一番知ってるでしょ?」

「そ、それはそうだがよ……。けど、やっぱり、心配にはなるだろ?」


 言われて、アルトは振り返って苦笑したように笑う。

 抱擁から解放されたレヴは身体をアルトの隣へと移して、リズの方へと視線を向ける。すると、彼女はにこりと笑って、無言でレヴの無事を喜んでくれた。


「早く隠れなっての! まだ敵が居なくなった訳じゃないんだから!」


 他端たたんで周囲警戒をしていたレーナが、振り返ってきて怒鳴るように叫ぶのが聞こえた。彼女はレヴを視界に入れるなり、微かに安堵の表情を浮かべる。どうやら、皆にはかなり心配されていたらしい。


 無事を喜んでくれる友人達に心が暖かくなるのを感じながら、レヴは二人と一緒に瓦礫の陰へと退避する。辿り着くなり、戦域に目を光らせていたレーナが戸惑った声を上げた。


「撤退、してってる…………?」

「ほんとか!?」

「何かあったのかしら……?」


 彼女の言葉にアルトとリズが驚嘆と疑問の混ざった声を上げる中、レヴは一歩下がったところで先程の事態を思い返していた。



 ――現時刻をもってコスモス作戦を終了。各員、撤退を開始してください。



 ついさっき、ルナが耳の通信機らしきものに告げていた言葉だ。……という事は、やはり、あれは現実に起きた出来事だったのか? そんな疑問が、レヴの脳裏には浮かび上がってくる。

 しかし。何度考えても、レヴにはルナがこの基地を襲撃しに来ていたということが理解できなかった。もしかしたら、あれはルナではなくて。ルナによく似た、別の人物なのではないか。レヴの名前を呟いたのもたまたまで、別人と勘違いしていただけじゃないのか。そんな事ばかりが脳裏にぎっては消えていく。


 だって、六年前とはいえ、ルナはとても勉強ができて、それに華奢な女の子だったのだ。少なくとも、こんな敵地の真っ只中を襲撃する部隊になどなれる訳がない。 

 そもそも。仮に彼女が軍人を望んだところで、両親が引き留めているはずなのだ。彼女の両親は、あののことを本当に大切にしていたから。だから、娘を戦地に赴かせる事など、絶対に許すはずがない。

 もし、徴兵に取られていたのだとしても、彼女の両親は政府高官だったのだ。逃れる方法は幾らでもあったはずだ。

 ということは。やはり、あれはルナではなかったのか? 

 そんな堂々巡りの思案は、アルトの声によって遮られる。


「ほら、レヴ。行くぞ」

「え?」


 全く話を聞いていなかった。何とか取り繕おうと言葉を探していると、アルトは目を細めて呆れたように口を尖らせる。


「さてはお前、何も話聞いてなかったな」

「……ごめん」


 レヴは悄然と目を伏せる。敵に惑わされて仲間との連携を疎かにするなど、愚行もいいところだ。

 苦笑しつつも、リズは三人の中で出た結論を改めてレヴへと説明する。


「敵が撤退したから、今のうちに全速力で教官のところへ向かいましょって話よ。また、いつ攻撃が来るのかも分からないしね」

「わかった。……ありがと、リズ」

「礼を言われる程でもないけどね。……さ、早く行きましょ」


 そう言うと、リズは口元で何かを呟いた。途端、強烈な風と共に、彼女の身体は宙へと浮かび上がる。

 リズに続いてアルトとレーナも魔術を起動して、周辺には一つの大きな風が形成される。最後にレヴが魔術を起動する前に、ふと、レヴは気になっていた疑問を口にした。


「そういや、あの人は?」 


 先程から少し気になってはいたのだが。どうも、ここで戦闘をしていた青年兵の姿が見当たらない。もしかして、別の戦域へと移ったのだろうか?

 暫しの沈黙の後、アルトが魔術を解除して降りてきた。彼は瓦礫を指差して、レヴに耳打ちする。


「俺達を庇って、下敷きになっちまった」


 苦渋の表情で呟く彼の顔を見て、レヴは微かに目を見開く。そっと目を伏せて、自分の軽率な発言を悔いた。


「……ごめん」

「お前が謝ることねぇよ」


 アルトは目を細めて低く呟く。今は戦時下で、彼は軍人だ。ここが戦場と化した以上、命を賭して戦うのは当然で。その末の死も当然だ。

 頭では理解わかってはいるけれど。やはり、身近な人が死ぬのは、心にくるものがあった。いったい、今日だけでこの基地にはどれだけの死者が出たのだろう。この惨状下にあっても、何もできない自分が悔しかった。


「ほら、行くぞ」

「……うん」


 彼の死は、絶対に無駄にはしない。そんな決意も新たに、レヴは頷いて魔力翼フォースアヴィスを起動する。あかく輝く光翼を背に、レヴ達は教官の居る臨時司令部へと向かうのだった。

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