第7話 沈黙

生徒会室に足を踏み入れる。


今来たばかりなので当然だが、まだ電気はついていない。しかし、それにもまして暗い。空が曇っているせいで、窓からの日光が少ないからだろうか。


部屋に入って、まず感じるのは、埃っぽく重い空気。

空気とは、部屋から生まれる。空気が良くない、ということは空間そのものに何らかしらがあることが多い。


ごみごみと、図表や文章が書かれたホワイトボード。

コピー機や棚の上に無造作に置かれた紙の束。

まとめられてはいるが、机の上に適当に置かれている、黒い――おそらくはコーヒーの空き缶だろう。


昨年度の3月、高1の最後に見た記憶とは違う。

久しぶりなだけではない。

確かに、机や椅子の配置は変わっている。それはそうだ。半年と数か月あれば、家具の配置を変えることくらいはあるだろう。

しかし、それではない。

もっとくっきりとした、いや、本当はおぼろげで、それを自分が勝手に解釈しているだけなのかもしれない。それでも、確かに感じる強い何か――


「先輩、大丈夫ですか」

「あ、あぁ」


斎藤の言葉で呼び戻される。彼女はてきぱきと扉を閉め、俺の横を通り抜けて電気をつけた。

一気に、部屋が明るくなる。薄暗かったホワイトボードや机が、その色をくっきりとさせた。しかし、それらの色は鮮やかでなく、どこか褪せた色をしている気がする。


「どこ座りますか」


斎藤が、どこぞにリュックを下ろして訊く。


生徒会室には、真ん中にダイニングテーブルほどある大きな白い机がある。

そおしてそれを囲うように椅子がいくつかあり、それら机と椅子を囲むように壁の沿ってホワイトボードやプリンターが置かれている。


「ここにしようかな」


一番入口に近いところにはなんとなく座りづらい。

だから奥の方を選んだ。


「じゃあ、私は先輩の向いにします」


斎藤は机の上に置かれていた缶の集まりをそそくさと別の棚に置き、俺の向いに座る。

俺は椅子の近くにリュックを下ろして、腰を下ろした。

机の上はさすがに、使えるように書類や物は置かれていなかった。

斎藤は、いつのまにリュックから出したのか、薄い鼠色のノートパソコンを取り出していた。ディスプレイを展開し、マウスを配置している。


「最近、どんな感じ?」


手持無沙汰で、なんとなく発した言葉だったが、すぐに言わない方が良かったと気が付く。


「生徒会ですか?」

「いや、あぁ」

「いえ、はい…。まぁ、アレからは…中々ですね」


斎藤は苦い顔をして言った。

わざわざ訊いた自分がバカだった。愚かだった。そんなの、分かり切っていたことだっただろう。


「そう、だよな…」


手持ち無沙汰に、机に置いてあった文化祭のリーフレットを手に取る。

校内の地図や、公演系企画のタイムスケジュール。


ぼんやり眺めていたが、考えずにはいられなかった。


生徒会長、草野桜の自殺。

活動を引っ張っていた年長者が急にいなくなってしまった。

部活ならともかく、生徒会はやらなければいけないことをこなさなかった場合、広く迷惑がかかり、最悪は信用問題になる。信用がなければ、この活動は成り立たない。それ以前に、身近な人間が急に自殺なんてしたら少なかれ衝撃を受けるものだろう。残された斎藤や、今日顔を合わせると言う他のメンバーの苦労――


あぁ、草野。これからだったのに――


その時、音がした。

電話のなる音。


生徒会室には内線電話が備え付けられている。ちょうど、位置は自分の後ろあたりだ。振り返ると、それが鳴っている。


俺は立ち上がって、電話に出た。


「はい、生徒会室です」

『あ、蒼井か。ちょっとさ、そこに斎藤いる?』

顧問の荒木からだった。


「はい、います」

『分かった。ちょっとASAP《なるはや》で職員室来るよう』

「おかのしたです」

「んじゃ、よろしく」


それだけ言って、荒木は電話を切った。

焦っているのか、終始口調は早かった。


「何でした?」

「顧問が呼んでるって」

「荒木の磨美ちゃんがですか?」

「あぁ」


1個下の斎藤の学年でも、あの先生は下の名前にちゃん付けて呼ばれてるのか…


「すみません、なる早で戻りますね」

「あぁ、いや。そんなに急がなくても大丈夫だけど」

「いえ、なるはやで戻ります」

「そうか…」

「では、行ってきます。あぁ…もしかしたら生徒会の中3来るかもしれないので、来たら待機させておいてください」

「分かった」


斎藤は、ノートPCやペンケースなどの最低限の物をさっさとまとめた。

そしてドアを開けて出て行った。


***


高校生たる者、暇な時間は有効に活用するべきだ。

ということで俺はこのスキマ時間に課題を課している。


ちょうど明日提出しなければいけない国語の課題があった。

もはや運がよかったと言ってもよい。

ありがとう、斎藤を呼び出した磨美ちゃん、いや磨美様。

まぁ、この課題を出したのは磨美ちゃんなわけだが…


内容は国語と言ったが、詳しく言えば古文だ。

中々の頻度で授業中に寝ており、ノートにもちょこちょこ。


助動詞「て」は完了の意味。「けり」は過去。

ゆえに「てけり」は過去の完了で「てしまった」

と訳される。

もはや日本語ではなく、外国語として機械的に処理しなければいけない。


***


古の日本人が残してくださりやがった、はた迷惑な遺品と格闘してはや数十分。

最初は満ちていた集中力もそろそろ切れかけて、シャーペンの音がテキストを駆けるような軽快な音もあまり聞こえない。


壁にかかっている時計を見て、そろそろ斎藤が帰ってこないだろうか、などど考え始めていた、まさにその時だった。


コンコンコン。


きっちり3回響いたドアを叩くノックの音に、俺は持っていたシャーペンを机に置いてドアの方向へ振り向いた。


斎藤が帰ってきたのだろうか。


ドアノブが周り、扉が開く。

斎藤だと思った。


「こんちはー」


視界に入ってきたのは、少年と少女。

どちらも斎藤ではなく、俺の見知らない生徒だった。


俺の反射的な視線が、先に入ってきた少年のものと重なる。


ふいの視線の重なりに、少し困惑している少年。


いくらか沈黙が流れた――

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