第3話 空の椅子


「4月の次期生徒会長までの繋ぎ、臨時にはなりますが、お願いします」


斉藤は、俺の方を向いて、頭を下げてそう言った。


「何で?」

「先輩が会長なら、円滑な生徒会運営ができるかな、と」

「それが?」

「えっ、と、先輩が適任かな、と」


少しの崩れを感じさせる、斉藤の声。


「どうして、俺なの?」


斉藤は少しの間、言葉を詰まらせた。


「生徒会の幹部として、昨年活躍されていたので」

「過去は過去、今は今じゃない」


そうして、深呼吸を1つ。

冷たい空気が肺を凍えさえる。


「というか俺は、今年は風紀委員なんだ。校則上、会長にはなれない」


事実、生徒手帳三十五頁の生徒会活動規則の第2項「生徒会役員任免に関して」に明記されている。

ちなみに委員の任免は担任にその権限がある、と第4項に書かれている。


「高二が欲しいとかなら別を当たってみてくれ」

「そんなことないです」


斎藤の口調が少し強くなっている。


「体裁の為に高二が必要なんじゃないんです」

「ふーん」

「先輩は、草野先輩のことが気にならないんですか」

「草野か…」


草野。草野桜

ポニーテールのアイツ。

自殺した生徒会長。


「文化祭の後、自ら謎の死を遂げた生徒会長、草野桜先輩。彼女の思いを、過去とは言え共に活動した仲間として引き継ぎたいとは思わないんですか?」


斉藤は畳みかけるように、少し熱を込めて言った。


「いや、思わないね」


この言葉を聞いて斉藤は諦めたのか、そうですか、とだけ言って会話は途切れた。


冷たく、強い風が吹く。

海からか、山からかは分からないが、吹いている。


「これで終わりなら、帰るぞ」


俺は鉄柵から離れ、足元のリュックを持つ。

リュックをかけられた右肩は、重さに軽く悲鳴を上げたが無視して歩き始めた。


「俺も昔の後輩とアテもなくダベれるほど暇じゃないんだ」


「先輩…」


斉藤の声を背に、俺はドアへと歩いた。

1歩、1歩と歩みを進めるごとに、肩のリュックの重さを腰で、体で感じる。


「何なんですか。本気で話してるのにずっと空ばっかり見て」


斉藤の、おそらくは呟きが微かに聞こえた。

確かに俺は、話している間斉藤の方を見ていない。


歩いて追ってくる足跡が聞こえる。


俺はドアの前まで来た。


「何か、あったんですか。先輩」


斉藤の声は崩れを立て直した。

そして、冷め切ったような声で続けた。


「前はあんなに優しかったじゃないですか」

「何か、あったんだよ」

「そうですよね、知ってます」


俺はノブに手をかけガチャンと回し、ドアを開けた。

そのまま中に入ってしまい、そそくさとドアを閉める。


当たり前だが、斉藤を閉じ込めるつもりなどは毛頭ない。だから、錠をかけ直すことはしなかった。


もしかしたら斉藤も勢いに任せて、ドアを開けて入ってくるかもなぁ、と思っていた。

だが、それが起きることはなかった。


屋上の扉に背を向けて一段、一段。

階段を降りていく。


「今さら、生徒会長になりたいなんて、言えないよなぁ」


誰に言うでもなく、うそぶく。

3階分の階段を降りきって、1階の昇降口から校舎を出たタイミングで、ズボンのスマホが鳴った。


待ち受けの表示をタップ。

パスワードをパスし、メールを開く。


ーー16:49

今日はお忙しい中、ありがとうございました。

今後とも、よろしくお願いします。


昇降口を出て、背を向けてままの校舎。その上の屋上を、なんとなく見つめてしまった。


今さらだけれども、後輩に申し訳ない態度を取ってしまったなぁ、と感じる。


本当は、斎藤から久々にメールが来た時点で、この件だとは想像していた。


それでも俺は引き受けられない。


今さら、俺なんかに出る幕はないのだ。

俺が生徒会長になんか、なることを望んではいけない。

これを頼まれることを想像していたことを恥じるべきですらある。


そう。

あいつが、草野桜が開けた椅子に座ろうと思う資格なんかない。

少なくとも、今の俺には。


空を見上げると、さっきまで五十対五十だった橙と空色が七十:三十くらいになっている。


冬は日が落ちるのが早い。


「早く、帰ろう」


俺は、再び歩み始めた。

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