死のフラグメント

一畳半

序 夕の海月

夕の砂浜に人影が1つ。


「おーい、草野ー」


校舎のすぐ隣、時間帯もあって人気ひとけの少ない砂浜。

座って待っていればいいのに、わざわざ突っ立っている彼女に声をかける。


良いスタイルだから、制服のセーラー服が映える彼女。

ポニーテールと青藍のスカートが潮風でゆらりゆらりと揺れている。


「おつかれー」


こちらの声を聴いた彼女は、振り向いて、そして少し微笑んで返した。


「蒼井ー、おつかれ」


文化祭終わりの疲れのせいか、はたまた砂に足を取られているせいか。

俺はヨロつきながら砂浜を踏み、歩く。


少し歩くのを速くして、彼女の傍まで寄る。

そして、両の手に1本ずつ持っているジュースを見せる。


「ジュース、どっちがいい?コーラと抹茶ラテ」


赤い缶のコーラと、緑のペットボトルの抹茶ラテ。


彼女は、うーん、と少し迷った後に答えを言った。


「抹茶にしようかな」

「そうだろうな」


俺は抹茶ラテを差し出した。


ありがとう、という言葉と共にジュース1本分の重さが手から消える。


俺は彼女の隣あたりまで歩いて、砂浜に腰を下ろした。


そして、ふぅ、と軽くため息をつき、手に持っているコーラの缶を開ける。

プシュッと快い音。


口に含み、まず来るのは殺人的な甘さ。やがて薬品感に包まれ、最後におまけ程度のスパイスが来る。


1口飲んで、缶を唇から離す。


「今年の文化祭、どう思う?」

「大盛況じゃない?ラストのイベントも盛り上がって」

「だよな」


「キッチンカーとかも来て」

「あぁ」


「事故もなく」

「うん」


なんとなく会話を始めたが、なんとなくで終わってしまった。

お互い疲れてるのだから、こんなもんだろう。


彼女の方も、砂浜に腰を下ろしてジュースを飲んでいる。


彼女は、横目で見ても映えた。

可愛かった。


垢ぬけない感じを出しているポニーテール。

普段かけている眼鏡をはずして、新鮮な感じ。

顔を傾け、唇をボトルにつけて飲むその姿――


ほんの少しの間見とれていたが、バレそうになったので急いで目を背ける。


「抹茶ラテ、うまい?」

「えっ、うん」

「そうかぁ」


なんともごまかすような質問になってしまった。


「いや、実は俺、昔からコーラあんま好きじゃないんだよね」

「じゃあ、なんでコーラ買ってきたの?」

「なんでだろうなぁ」


そう言うと彼女は、わからない人、と微かに笑った。


「あの、さ…」

「どうした?」


少し言葉に迷うような空白を経て、彼女はおもむろに言った。


「海…、綺麗だね」

「まぁ、そうだな」

「うん…、ね。綺麗…」


夕日で輝く海。

確かに綺麗なその姿を目にしながら、俺は再びコーラを口につけた。

主に薬品感のせいで、正直あまり好きな味ではない。だが、癖にならないと言えば嘘になる、本当に絶妙な味。


ごくごく、となるだけ薬品感を感じないよう流す。


すると、何かが上がってくる感覚がした。


急いでおぅふ、と口を押さえる。


「ゲップ、出そうだった」

「汚い」


冷たい声で彼女は言った。


「ごめんて」

「まぁ、出てないしいいよ」

「そうか」


それからは、しばらく沈黙が続いた。

落ち往く陽に包まれて、そして潮騒が響く中、ジュースをすする二人。


気がついたら、いくらか時間が経った。

缶はだいぶ軽くなっている。

日も大方沈んでいる。


文化祭終わりで疲れているせいだろう。いつもより会話は弾まない。

だけれども、俺は、いや互いに居心地の悪さは感じていなかったように思う。


そうして、しばらく沈黙が続いていた。


「なんか、ない?」


不意の声が、沈黙を弾けさせた。

彼女はよいしょ、と立ち上がった。

そして、波打ち際まで近づいた。


「どうした?」

「うーん、海月くらげだ」


声をかけると、帰ってきた彼女の返事。

何となく見てみよう、となって俺も近づいてみた。


「あんま海近づくと、大きい波来た時に靴濡れるぞ」

「分かってる」


波でたゆたえているそれに惹かれたのだろう。茶色のローファーを濡らしそうなほど近づいている草野に声をかけつつ、横に近づく。


「ほら、これ」


彼女はローファーで軽くつついて示した。


「クラゲ、か」


赤だか茶色だかの、半透明で”ぐちゃぁ”と、まともな形もせずに横たわった骸。


「なんか、海月くらげ食べたい」

「ガチで?」

「いや、さすがにこれは食べないけど」


ローファーでツンツンしている彼女は、少し笑いながら言った。


「クラゲ好きな人?」

「まぁ、わりと…。蒼井は好きじゃない?」

「苦手だね」

「あぁ、そうなんだ…」


昔は、嫌いというほどではなかった。進んで食べることはしなかったけれども、食卓に出れば何も思わずに食べていた。


ただ、大きくなると、だんだんクラゲがどんな生き物なのかを知ることになる。

特にその姿を、脳がより細かく理解していくにつれて、クラゲを食べようという気持ちは削がれていった。


「海月は《くらげ》は美味しいよ。歯ごたえが良い」


クラゲの骸を弄びながら、クラゲトークをしていたその時だった。


「おーい」


浜に声が響く。


「蒼井、草野ー」


良く知る声に、二人振り向く。


「「あっ、先輩」」


こちらまで近づいてくる、”生徒会長”の腕章をつけた先輩。


「君たち、休憩そろそろ終わりにしようか」


はーい、と返事を返した後に、彼女は言った。


「そういえば先輩、これです」

「何?」


彼女はそう言って、クラゲの骸を見せた。


「アカクラゲだね」

「そうなんですか」

「この辺りでは、割とよく見るけど、知らない?」


種類の名前を聞いたことはなかったが、そういえば何度か見たことがあるような気がする。


「まぁ、とりあえず文化祭の片づけやろうか」


骸から離れ、俺と彼女はそれぞれのジュースを持って、先に浜から校舎に戻り始めた先輩を追う。


「6時までにはなんとか片付け終わらせて帰るからな」

「マジですか」

「マジだ。蒼井も草野もがんばれよ」

「先輩も、がんばってくださいよ」

「分かってるよ、草野ちゃん」

「”ちゃん”づけやめてください」

「草野ちゃん、ゴミあったら捨てとく」

「まだ少しある。それと、先輩だけがダメなわけないじゃないから、蒼井さん」

「わーったよ」


少し歩くと、微かに聞こえていた波の音も、まったく聞こえなくなる。

代わりに聞こえるようになるのは、浜の傍に通っている国道を、自動車が走る抜ける音。


あのクラゲは、明日どうなっているだろうか。

ふとそんなことが浮かんだが、やめた。

クラゲは好きじゃない。

嫌なものについて深く考えることなんて、したくない。


夕の日を背中に感じる。

微かな潮風を肌に感じる。


普段から、浜に出れば感じることなのに、不思議で特別な感覚。

きっと文化祭の、青春の余韻がまだ体内に残っているからなのだろう。


「片付け、やるかぁ」

「やってくれぇ」

「やろう、かぁー」


疲れからの、ふぬけた声を出しながら、俺含めた3人は浜から出ていった。

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